トンネル
春日あざみ@電子書籍発売中
飛び出してきたもの
「ねえ、知ってます? ここの店、出るんですよ」
私が休憩室で軽食をとっていると、帰り支度をしていたバイトの男が話しかけてきた。
「全員退勤してるはずなのに、バックヤードをうろうろしてる人間がいたんだって、社員の人が言ってました」
名前も知らない人だが、どうしても今誰かにこの話をしたかったのか、私に話しかけてきたようだ。
「え、こわ。何ですかそれ」
「他のバイトの子も見かけたって言ってましたよ」
「えー、やめてくださいよ。私今日ラストまでなのに」
私が勤めるこのレストランのクローズ時刻は十一時。ラストまで勤務の際は、十二時までに片付けを終え、帰り支度が終わり次第、退勤となる。
「じゃ、俺、今日これで終わりなんで。お疲れさまでーす」
「そんな話しといて、自分は帰るわけですか……」
男はカラカラと笑うと、従業員通用口から外へ出ていった。
一人休憩室に残された私は、嫌な気分を払拭するように、頬をたたき、勤務に向けて席を立つ。
「ああ、もうやだなあ」
私は怖い話が苦手だ。
ホールに出て、注文をとっている間は気が紛れていたのだが。退勤時刻が迫る頃には、再び恐怖が襲ってきた。深夜の人の少ないバックヤードは気味が悪い。手早く着替えを済ませると、社員のかよ子さんに声をかけた。
「かよ子さん、支度できました」
「はーい、じゃあ送るね」
このレストランは少々不便な場所にある店だったので、ラストまで勤務するバイトたちは、社員の人に車で家まで送ってもらえることになっている。
かよ子さんは車の鍵を指に引っ掛けると、私を先導するように駐車場へと歩いていく。
「あの、かよ子さん。バックヤードに幽霊が出るって、本当ですか」
「ああ、バイトの子が言ってるやつね。どうだろうねえ。私は見たことないけど……」
かよ子さんが見ていないと知ったことで、怖いという気持ちが一気に薄れた。
みんなが見ているわけでないなら、見間違いの可能性だってある。
「で、サキちゃん家どこだっけ」
「あ、ええと、最近引っ越したんですけど」
他の社員の人には送ってもらったことがあるが、かよ子さんに送ってもらうのは今日が初めてだった。
私は、自分の家までの道のりを説明する。
説明を聞きながらカーナビをいじっていたかよ子さんが、急に指を止めた。
「もしかして、サキちゃんちって……櫻川トンネル、通る?」
「はい、通ります」
「うわ、まじか」
かよ子さんの表情が曇ったのがわかった。
「迂回できないんですよね。だいぶ遠回りになっちゃうので」
「そうだよね……ここだと」
気乗りしない様子の彼女だったが、迂回できないのであれば仕方ない、と、車を走らせ始める。
十分後、櫻川トンネルに到着した。
国立公園をくり抜くように作られたこのトンネルは、昼間でも薄暗く、鬱蒼としている。
時刻は午前一時。車の通りはなく、走っているのはかよ子さんの車だけ。
トンネルの中頃までやってきたところで––––かよ子さんは突如、ハンドルを右に大きく切った。
「えっ、なんですか?!」
大きく反対車線にはみ出した車体だったが、私の声にハッとしたかよ子さんは、すぐにハンドルを戻し、左車線に車を戻した。
「あの、何か見たんですか?」
「いや、何も見てないよ」
「本当ですか?」
「見てない見てない! この話はやめよ!」
かよ子さんの顔は、真っ青だった。
嫌な緊張感を保ったまま、私の家に向かって車は走り続けた。
*
その後しばらく、かよ子さんと勤務が一緒になることはなかった。
ある日の昼、また、バックヤードの幽霊の話をした彼と顔を合わす機会があった。山口君というらしい彼は、怖い話が好きなようで、この店の幽霊話以外にも色々「ネタ」を持っているらしい。
「サキさんはどこに住んでるんですか?」
「岬町」
「げ、心霊スポットど真ん中の場所じゃないですか!」
「え、そうなの?」
「そうっすよ。国立公園の近くでしょ? 戦没船員の石碑はあるし、謎の墓もあるし、自殺の名所だし。しかもあそこ、海に面してるでしょ。潮の関係でよく死体が流れてくるし。もうね、心霊現象のメッカみたいなとこなんですよ」
体が凍る。怖がりの自分がまさかそんなところを引っ越し先に選んでいたとは思わなかった。
「ちょっとやめてくださいよ……今日眠れなくなっちゃう」
嫌がっているのにどうして嬉々として話を続けるのだろうか。
空気の読めない彼に嫌気がさし、私は両手で耳を覆うポーズをとった。
「あはは、オーバーですねえ。特に櫻川トンネルはやばいんですよね。あそこ夜は近づかないほうがいいですよ、よく出るから」
「え」
「この間、勤務が一緒になった時に、かよ子さんに聞いたんですけど。バイトの子を送った時、櫻川トンネル通ったらしくて」
それ、私の話じゃ。
耳を押さえていた手を離し、私は机に身をのり出した。
「何か、あったんですか?」
ハンドルを切った時のかよ子さんの顔が蘇る。
あれは何かを「見た」顔だった。
「ああ、なんか。走行中に、猫が飛び出してきたと思って、ハンドルを切ったらしいんです。でもね、車が右にそれた瞬間、自分が避けたそれを見て、息を呑んだそうで」
「何が見えたの?」
「首だそうです。首が、こちらを睨んでたと言ってました。かよ子さん、以前にもあそこを送りで通って、幽霊見たからずっと避けてたらしいんですけど。また通るのやだなって、青い顔して言ってました」
私はまだ、かよ子さんに直接、あの時の出来事を聞けていない。
トンネル 春日あざみ@電子書籍発売中 @ichikaYU_98
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