サイドB

 他の人から見たら僕たちはただのカップルに見えるだろうか。

 歓楽街にある少々値段が張る焼肉店に僕たちはいた。

 黒を基調としたモダンな店内は完全個室制だから、他の客と顔を見合わせる必要はないのだが。

 僕らの関係性について疑問を抱く人は店員くらいしかいないけれども、そもそもここは歓楽街だ。ここにいる男女が金銭を媒介した関係性であることなんて珍しくもないだろう。


 そんなことを考えながら華ちゃんと肉を焼いていると店員が部屋をノックして入ってきた。

「お待たせしました、ホルモン1人前です 」


「幸せ~いっちばん好きな部位来たよ!」

 華ちゃんは満足そうな顔をして、店員からホルモンを受け取る。

「りょうくん、奢ってくれてありがとう!華は本当に幸せ者だよ~」


 華ちゃんがホルモンをトングで焼き網に置いておく。

 脂で覆われたホルモンは滑りがいいので気を付けて焼かないと、網の間から落ちてしまう恐れがある。

 華ちゃんはそうはさせまいと、せっせと慎重にホルモンを裏返している。

 その作業はまるでホルモンへの愛を示すかのように丁寧だった。

 時々ひとりごとのように「こんなおいしいお肉久し振りで幸せだよ~」なんて言っているが…。


 華ちゃん、その言葉は本当なのか?俺の前で無理してるんじゃないかな…?

 考えても仕方がない事が頭をよぎる。でも華ちゃんは全力で僕を楽しませようとしてくれている。それが分かる。だから、余計なことは考えなくていいんだ。

 僕を楽しませてくれようとしている彼女にできる最大限の感謝を表せられる言葉はなにか、瞬時に頭の中で探した。


「華ちゃんが幸せなら僕も幸せだよ。ホルモンで思い出したんだけどさ…幸せな時って幸せホルモンていう脳内物質が出て幸せな気分になるんだって」

 ついでに言うと、幸せでなくても笑顔を作ったり笑顔を他人に見せたりすると、脳みそがバグを起こして、自分自身や笑顔を見せた相手は本当に幸せだと錯覚するらしい。


 だから華ちゃん、笑顔を向けてくれてありがとう。僕は今、確かに幸せだ。

 華ちゃんにつられて僕も笑顔になった。


 仕事じゃなければ、華ちゃんは自分とは出会うことも、話すこともなかっただろう。こんな歳も趣味も何もかも自分と違う子なんだ。それでも、華ちゃんといて楽しいのは、華ちゃんが僕に『お仕事』をきちんとしてくれているからだ。


 食事を終えた後、僕たちは華ちゃんの店へと向かった。初めて華ちゃんと二人で歩く歓楽街。街の手前の方はラブホテルが乱立しているだけだから、堂々と歩いておけば、傍から見る分にはカップルが歩いているだけに見えているはずだ。


 問題は、この先のソープ街。僕は、この先を風俗嬢と二人で歩くことに腰が引けていた。

 ソープ街を歩く男女は誰がどう見ても、「風俗嬢」と「その客」にしか見られず、衆目に晒されることとなる。まあ、ソープ街を歩く人間なんて誰しもその店に関わる人間なので衆目もなにもないのだが。


 僕とは対照的に華ちゃんはそんなことお構いなしだと堂々と道を進む。

 当たり前だよな、毎日通勤している道だし、僕は初めてだったけれど外出コースを注文する客だって僕の他にいるはずだ。


 そう、客なんて僕の他にもいる。

 僕は大勢いる客の中の一人として、この街を今歩いている。


 カップルと思しき男女がそそくさと隠れるようにラブホテルに入っていった。

 いや、君たちは何も恥ずかしくない。

 辱めを受けているのは僕なんだ。


 そんなことをぼんやりと考えていたら店の前についた。華ちゃんと「部屋でね」と一言交わした後、僕は正面のドアから、華ちゃんは後ろの方のドアから店に入っていった。


 店に入り、受付に「華さんと外出から戻りました」とつげると、廊下に通された。廊下の両壁には店のお姉さんが入っている部屋がずらりと並んでいる。

 その一つの部屋から華ちゃんが出てきた。


「おかえり」とキスで出迎えてくれた華ちゃんになんとなく嫌気がさし、いつもならありがたく受け取るそのキスを断った。

 今はやさしい行為その一つでさえ、店に払った1時間30000円に対する対価としか感じることができない。


 僕の偏屈が態度に出ていたのだろうか。華ちゃんは一瞬、切なそうな顔をした。

 そしたらどうだ。さっきまで感じていた虚しさが消え、華ちゃんへの愛おしさが湧きあふれ出た。


 つい抱きしめてしまった。

 僕は君に弱いね。


 今日は性的サービスを何も要らないと伝えたのち、僕らは部屋に入った。

 風呂とベッドとソファとローテーブルがあるだけの白を基調とした西洋風インテリアの部屋。

 内装に金を掛けられるのはさすが高級店といったところか。

 最初の方はここで行為をすることを目的として来店していた。それが、いつからか華ちゃんと純粋に一緒にいたいと思い来店するようになっていった。


 テーブルの上にある小さなタイマーに目を落とした。タイマーには45分と表示されている。

 この数字はあと僕たちが一緒にいられる時間を指している。正確に言うと、一緒にいられる時間はあと60分だ。

 しかし、プレイをする場合シャワーや着替えやら帰りの支度に結構時間がかかる。

 つまり「プレイは45分後まで、残りの15分は支度に使え」ということをこのタイマーは示していた。

 今日は寝て帰るだけだから、華ちゃんはタイマーを55分に設定し直してくれた。


 華ちゃんは何を考えているのか表情を崩さなかった。

 彼女はいつもこうだ。彼女が真に何を考えているかなんて分からない。それなら、彼女がしてくれている精一杯のサービスを享受するのが客に科せられた役割だ。

 僕はそれを素直に引き受ける。


 焼肉を焼いているときにも、華ちゃんの笑顔を素直に受け取ると決意したのに、簡単に「客と風俗嬢」という見つめたくない現実に押しつぶされそうになった。でもこれは変えられない現実だから、ぼくはこのファンタジーを受け入れるしかないんだ。


 20代女性に合わせて食べた焼肉は中年に差し掛かった身体では受け止めきれなかったらしい。

 ベッドに横になると、さっきまで様々なことを目まぐるしく考えていたのが嘘のように、睡魔に襲われた。

 まどろみの中で華ちゃんが横にくっついてきてくれたのが分かった。

 幸せだった。


 至福のひと時を味わい、店を後にした。

 駅前の本屋で漫画を何冊か購入し帰路につく…はずだった。


 目深くかぶっている帽子にマスク、伊達メガネ、その姿はぱっと見では分からないが華ちゃんだ。駅前ビルに組み込まれている百貨店に入っていく姿が目に入った。いけないと思いつつも、後をつけた。


 華ちゃんは僕には見せない、いやに真剣な表情で目を皿にして陳列された化粧品を見つめていた。

 化粧品一つ買うのにも君はそんなに真剣になれるのか。可愛いな。

 華ちゃんが店員に呼び止められると、こちら側を見そうになる。

 おっと、これ以上はやぼだ。

 ばつが悪くなった僕は帰ることにした。


 すぐそばにいるのに声を掛けられない。


 僕らはそういう関係じゃない。


 さっき別れたばかりなのに、僕はもう華ちゃんに会いたくなっていた。


 *


 焼肉で胃もたれした胃が苦しい。

 ベッドで寝がえりを打ち、そろそろ起きるかと枕元に置いているはずのスマホを探す。

 ゴトンと派手な音がした。ああ、やってしまった…。

 スマホが床に落ちた。困るよ、床はモノで溢れかえっているから、眠気眼ねむけまなこでスマホを手探りで探すのには苦労した。


 やっとの思いでスマホを見つけだした。時刻は午後1時だった。

 カーテンをあけると日差しがまぶしい。今日は何をして過ごそうか。

 昨日は指名客のりょうくんとデートコースで焼肉に行くことが決まっていたから、今日はあえて休みを入れておいた。焼肉で大きくなったお腹をお客に見せるわけにはいかないからだ。いわゆるプロ意識ってやつ。


 それにしても昨日は沢山稼げたし、いい仕事をした。りょうくんもニコニコしていたし私との時間を楽しんでいてくれたのを感じ取ることができた。

 多分途中、外出を「デートコース」という枠の中でしか表現できない私たちに辛さを感じていたっぽいけれど。

 そこのメンタルケアまでするのが一流の風俗嬢ってもんでしょ。

「昨日はありがとう」とりょうくんにラインを送った。


 気分が良かったので珍しく部屋の掃除をすることにした。とりあえず部屋のあちこちに落ちている洗濯物を洗濯機に突っ込んで、スタートボタンを押す。

 次に食器やカップ麺やらが散乱しているキッチンでは、何日間も放置されている惣菜トレーやカップ麺のカップなどはさすがに洗う気もしなくなっていたので、ひたすらごみ袋の中に捨てていった。


 それだけしかしなかったけれど、もう疲れたので少し休憩。

 本当はもっと、掃除や洗濯など家事をする時間をとらなくちゃと思うんだけど、お客への気疲れからなのか、事終わりや休みの日には疲れて結局なにもできないままになってしまう。


 手を洗い、スマホを手に取る 。何を見るわけでもなくSNSが表示された画面をスクロールしているとある投稿に目が留まる。

「店の先輩からもらったデパコスがメルカリで高値で売れた。嬉しい!」

 そう言えば昨日れれちゃんにシャネルのリップグロスあげたよね。

 れれちゃん、私からのプレゼントをメルカリで売ったのか。


 れれちゃんは私たちの店に入店して半年経ったばかりの、おそらく20歳になりたてくらいの女の子。

 この業界に入りたくて入った子は多くはないし、何かしら訳ありで入った子も多い。


 先ほどの投稿の左上に表示されているアイコンをタップし、プロフィールを表示された。

「ソープ1年生。毒親から逃げて暮らしてます。同業者の方フォロー失礼します」

 れれちゃん、頼れる人がいないのかな。私があげたシャネルのリップグロスを売っちゃうくらいに。

 不思議とれれちゃんの役に立っているなら、別になんでもいいやと思ってしまった。


 なんでだろう、れれちゃんがれれちゃん自身でそれを使う必要は何処にもなくて。

 ただ、れれちゃんが嬉しいなら私も嬉しい。


 りょうくんから返信が来た。

「こちらこそ昨日はありがとう。来週の水曜日19時から、また予約しておいたよ」

 ああ、りょうくん。

 昨日会ったばかりなのにもう私に会いたくなっているんだなあ。

 りょうくんに必要とされている。

 りょうくんにまた会いたいと思ってもらえている。

 私は幸せな時間をりょうくんに与えられていたんだ。


 そんなことを考えていると、自分の中で点と点がつながった気がした。

 ああ、私、れれちゃんとりょうくんの役に立ったから嬉しいんだ。


 手が滑り、スマホは私のSNSのプロフィールを表示していた。

「高級風呂屋。お金が私の幸せ卍」


 気がついたらプロフィール欄の編集ボタンを押して、肩書を新たにした。

「金と客の幸せが自分の幸せ。プロフェッショナル高級風呂屋」


 私がこの仕事が好きなのは、大金が稼げられるから以上に、こんな自分でも客を喜ばせることができるからだった。

 私はどのバイトも上手く業務がこなせなかった。レジ打ち、品出し、台帳の記入、エクセル、ワード…などなど、いつもミスをするし完璧にできなかった。

 高卒で正社員として入った居酒屋チェーン店では、釣銭をよく間違えて渡してたし、そのあと事務仕事ならできるかと思って入った建設会社の一般事務の仕事も、数字の打ち込みミスが多くて、仕事にならなかったくらいだ。


 転職を繰り返し、最終的に、比較的上手に業務をこなせそうだったのが風俗だった。でもまさか、こんなに自分がお客さんから喜ばれる存在になるとは思っていなかった。

 りょうくん以外にも自分をひいきにしてくれるお客さんは沢山いてランキングもそこそこ上の方にいる。

 仕事にやりがいを持てるってこんなに幸せなことなんだと、風俗が教えてくれた。

 りょうくんが私に向けてくれた感謝が身に染みた。やっと気づいた。


 久し振りに自分もSNSになにか投稿してみたくなったぞ。


「昨日めっちゃいい仕事できた!客が私といられて幸せになって、私も幸せ…」


 投稿文を書きかけたところで手が止まった。

 だって、こんな投稿したらフォロワーの同業者はびっくりして、きっと私のことをフォローから外す。

 結局、私が風俗にやりがいを感じているのは、社会や他の風俗嬢からは理解されないことなんだろうなと思うと少し切なくなった。


 れれちゃんみたく働いている子の多くが色んな事情があって、不本意でこの仕事をしている。この仕事を嫌いながら仕事している子が多いんだもん。当然だよな…。


 でも…。でも、私はやっぱりちゃんと言いたかった。


「昨日めっちゃいい仕事できた!客が私といられて幸せになってくれて、私も幸せ。他の仕事がうまくできなかった私に居場所をくれたこの仕事が好き」


 勢いで投稿ボタンを押してしまった。フォロワーの反応がちょっと怖かったけれど、別にそれでもいい。私は誰がどう言おうが、人の役に立てて、人に必要とされるこの仕事が好きで幸せなんだ。

 ちょうどピーピーと洗濯機が鳴った。まるで、私が居場所を見つけたことをよかったね、と喜んでくれたみたいだった。

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