幸せホルモンを噛み締める
@rtamaki_novel
サイドA
「ホルモン一皿お待たせしました」
「幸せ~!いっちばん好きな部位来たよ!」
私は自分の目の前の皿をかたづけて、ホルモンをすぐ目の前の真ん中、特等席に置いた。
「りょうくん、おごってくれてありがとう!華は本当に幸せ者だよ~」
適当にりょうくんをおだてて、今後も定期的におごってもらおうと媚びを売ってみた。
「華ちゃんが幸せなら僕も幸せだよ。ホルモンで思い出したんだけどさ…幸せな時って幸せホルモンていう脳内物質が出て幸せな気分になるんだって」
知ってる。私は今すごく幸せホルモンが出ているはず。
ついでに、りょうくんは私のことが相当好きなはずだし、自分がおごった肉で幸せになっている私を見て、興奮しているはず。こうやって二人でご飯に行くのは初めてだからなおさらだろう。
ホルモンはよく焼いてから食べないと。とりあえず焼いていたタンを口に運ぶ。
「うんうん。幸せ、タンもめちゃおいしい!幸せ!」
ほおばりながら腕を小さくでも大げさに震わせた。
ボキャブラリーが多くないため、うれしさを表す表情をコロコロ変えることで、とにかくすごく幸せなのを表現した。
まさにぶりっ子だよね。まあいいよ。りょうくんが幸せになってくれるならさ。
私はどうなんだろう。私は今、本当に幸せなんだっけ。
私たちはホルモンを歯で強く噛み締めた後、歓楽街へ向かった。
私たちは「休憩3000円」だとか書かれている看板をすり抜けてもう少し奥の方に向かった。
なんとなく、今のご時世で休憩3000円って安いよなあ。うちなんて一時間30,000円だよ、なんて考えながら。
りょうくんは表のドアから、私は裏のドアから目的の建物に入っていった。
建物内の部屋で待っていると、コール音がなり、受話器を取る。
「お客様がお帰りです」
「はい」とだけ言って受話器を下ろす。
笑顔を作りなおし、廊下に出て、りょうくんの帰りを待った。
「ただいま華ちゃん」
「おかえり、りょうくん。さっきは楽しかったね!早くお部屋入ってイチャイチャしよう」
そう言いながらキスしようと背伸びした。
もちろん笑顔は忘れずに。
「ごめん華ちゃん。焼肉食べたからお腹いっぱいになっちゃった。今日はそういうのは無しでいいよ。お部屋ではゆっくりしよう」
りょうくんはぎゅっと私を抱きしめて満足そうな顔をした。
部屋に入ると、6畳くらいの部屋に人2人、いや1.5人が寝られる程度の幅のベッドがある。その奥にはタイル張りの壁があり、広さ6畳の一般住宅では見ない大きさの風呂場がある。風呂場と部屋をつなぐ壁はない。
りょうくんはベッドに横になるとすぐに寝てしまった。
風俗嬢としてはりょうくんに添い寝するのがセオリーなので、私もベッドに一緒に寝ることにした。
タイマーが鳴った後りょうくんは起き上がり、またねと言って廊下で別れた。
りょうくんとの長時間のデートコースだけの出勤だったので今日はもうこれで仕事はおしまい。
部屋をかたづけた後、受話器をつなぎ「部屋出ます」とスタッフに告げ、他の女の子やお客様と鉢合わせしないか確認しながら、小走りで廊下を渡った。
着替えた後、スタッフに給料の清算をしてもらって業務終了。
札束を財布にしまい、意気揚々と駅の方に向かう。
いつもはなにも買わないで帰ることが多い。今日は大入りだったし、ちょっと買い物してもいいよね、と思いながら駅前の小さな百貨店に吸い込まれてしまった。
何を買うわけでもなく、化粧品コーナーの化粧品をなめるように一つ一つ見て回った。
退勤時は客に鉢合わせてもバレないように、メガネとマスクをかけ、帽子までかぶっている。女優じゃないんだからと思われるだろうが、こちとら女優以上に帰り道、住んでいる場所などいつどこでたりとも客に出会いたくない。
一見不審な動きを見せる女なのだが、私が持っているバッグが茶色の市松模様が特徴的なブランドものである限り、化粧品コーナーのお姉さんたちは私を購買層だとわかってくれるから話が早い。
あ、このグロス可愛いな。
ツイッターで見かけた新色だった。風俗とは縁がなさそうな、というか実際に縁がないであろう外国人の長身モデルが金髪の髪をなびかせながら、無表情でそのリップグロスを塗るシーンが広告で流れてきた。
大体、ツイッターに流れてくる広告は好きではないのだけれど、あの広告だけは幻想的でどこか儚げで見ていて苦にならなかった。
「良かったらお試しされませんか?」
店員さんのそんな一言に乗せられて、お試しカウンターの椅子に座った。
「いつも人気なのに今日は空いているんですね」
鞄をラックに置くと、さりげなく黒いクロスを上からかけてくれた。
「平日の午後は結構空いているんですよ。お鞄にお化粧がかかるといけませんので」
私の髪をキレイにピンで留め、クロスとおそろいの黒いケープを首にかけてくれた。
グロスを塗る時はゆっくりと丁寧に。
至福の瞬間だった。誰かが私のためにもてなしてくれる。
結局、5000円弱するそのリップグロスを買ってしまった。
フラッと買い物に出た先で、わずか10ml前後の液体に5000円をかけられる幸せが手に入る、これだから風俗嬢はやめられない。
「お待たせいたしました。こちら商品でございます。またお立ち寄りお待ちしております」
店員さんに差し出された小さな紙袋には持ち手の部分にリボンがかわいらしくかけられていた。パッケージングはブラックとホワイトでシックな感じ。それもまたいい。
さすがデパートコスメとでも言おうか、たかがリップグロスなのに、紙袋の中の商品はきれいに箱詰めされており、その箱にも細いリボンがかけられていた。
家に帰って、ドアを開ける。散らかっている部屋を歩き進め、いつも座る場所だけ丸くスペースが空いているのでそこに座った。ローテーブルに鞄を置き、リップグロスが入った小さな紙袋を2分くらい眺めてごきげんになった後、お腹が空いていたことを思い出した。カップ麺を食べて、テレビをつけてなんとなくバライエティを見て、夕飯時に昼寝した。と思ったら、今日は疲れていたのかそのまま寝てしまってその日は終わった。
次の日も早番の出勤だったので、10時の受付開始に間に合うように起きて支度した。汚いテーブルの片隅に昨日買ったリップグロスが置いてあった。今日の出勤はこれを使おうかな。箱を開けて中身を取り出し、唇にその色を置いてみた。
なんかしっくりこない。
いつもの色がいい気がする。
そんなことを思いながら、支度を終え、家を出た。
電車に揺られながら、スマホを触ると、店のスタッフから「本日出勤大丈夫ですか?予約は14時からの佐藤様一件です」との連絡が来ていた。「承知しました。10時からよろしくお願いいたします」と返信を打った。新人風俗嬢なら、「今日は10時から出勤する必要はあるのか!?」とけだるくなるのだと思う。
私くらいの2~3年の中堅選手となれば一見さんがひょっこり来ることも、指名客が予約なしに飛び込んでくることもあることをよく分かっている。
私たちの仕事がしんどいのは接客中だけではない。接客はなれたらどうとでもなる。
それよりも今日は稼げるのか稼げないのかと不安になる時が一番苦しい。だからこのお金に関するストレスコントロールをするために貯金をしたり、他店と掛け持ちして働いていたり、とりあえず一店舗に長く勤めて指名客を増やして収入を安定させたりする。
私は指名客の予約で予定を沢山固めたいタイプだけど、季節柄、曜日柄、今日はなんとなく暇そうな予感がしていた。
病院の待合室みたくただ沢山ソファが並んでいる部屋に入った。
他の子も予約がない子が多いみたいで、待機室の空気はどんよりしていた。
私は新人のれれちゃんに声をかけた。この店一番の美人というわけではないが愛嬌がある子で、真面目に働いていればそのうち予約で埋まるだろうと思わしき子。
「れれちゃん、シャネルのリップグロスって興味ある?これ、一回使っちゃったんだけど、もしそういうの気にしなければもらってくれない?」
ソファに座るれれちゃんの隣に立ちながら、小声で話しかけた。
「え、ほしいです!ありがとうございます!」
顔を上げて、にこっとするれれちゃん。かわいいなあ。屈託ない笑顔。こういう裏表なさそうな顔に男はやられるんだよなあと思いながら、昨日店員さんがしてくれた包装通りに戻したそれをれれちゃんにあげた。
この日は結局予約の他にもう1件新規さんの予約が入っただけでそんなにいい取り分ではなかったけれど、れれちゃんの笑顔が見れたのと、使い道がなくなったリップグロスの新しい持主が決まったこととで、なんとなく機嫌が良かった。
誰かに親切にするってこんな気持ちがいい事なんだな。そんなことを思った。
*
昨日、同じ店の華さんからシャネルのリップグロスをもらった。使いかけということだけどそんなに私は気にしない。使った回数も1回だけだというし対して問題にならないだろう。
昨日はお客さん2本だけで稼ぎは悪かったけれど、シャネルのリップ(5000円相当のモノ)がもらえて、ちょっとワクワクしている。
今日は休みで、部屋の中でゴロゴロしている。連絡が来ないかなとそわそわしていると、ピロン!と通知音が鳴った。
「デパコス大好きさんが、あなたの出品した『シャネル新作リップ美品』を購入しました」
「やった!もう売れたの!?1時間も経ってないのに!?」
強気の価格設定で4500円で出品したにもかかわらず、華さんのリップは40分で売れた。
わー、ありがとうございます、華さん。そんなことを思って利益の計算を頭の中でした。
「送料抜いて3800円くらいの儲け、よっしゃ!」
今日のお昼は焼肉にでもしようかななんて思いながら、幸せを噛みしめた。
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