これは、ひとりの老人の物語です。
彼は人造人間の研究に第一線で身を投じ、やがて人造人間に否定的な立場を取るようになった博士です。
彼がなぜ、過去の自分の研究成果を否定するようになったのか。それが本人の口から語られていきます。
博士は、AIを通して人間の存在意義を暴き出そうとします。博士の視点は鋭く、その言葉はときに愚かな民衆を罵倒しているようにも感じられます。しかし、そこには一貫して深い人間愛があります。科学技術への盲信に警鐘を鳴らし、本来の人間らしさに焦点を当てます。
AI研究を極めた人、AIにも人間にも真摯に向きあってきた人の、矛盾に満ちた生き方が、読者自身に自己の存在意義を問いかけてきます。
本作は、強く問題提起されたSFであり、考察し甲斐のある骨太な純文学です。深い知見と洞察を得られる貴重な機会ですので、ぜひご一読ください。
讀める最中、次の如き念――斯かる念は從前より抱き續けたるものにてはあれど――を反芻した。
すなはち――最近、少しく事情が變じてはゐるが、從來、人閒は動物を「物」として區分してきた。
例へば、本邦における民法の父と云はるゝ梅兼次郞は、動物を動產の一として例示したとされる。
況や、植物に於いてをや。
彼我の境、那邊にか劃すべき?
僕は、造物主の存在を否定できぬ――其存在を一般的な「神」の概念で認識することには懷疑的であるものゝ――と考ふるが、造物主にとつて、人閒を含め、其生成物たる生物とは、一體何如なる存在であらうか。
僕は、人閒とは、生物とは、有機的な機械の一として〝ある〟ものならんと考へてゐる。さう考へざるを得ぬのである。
該作を讀める前も、讀んだる今も、吾人は有機的精密機械として茲に〝ある〟。