落椿
白河夜船
落椿
近頃、妙な夢を見る。
ある立派な造りの日本家屋に招かれている夢である。その家がどこの誰の家であるのか、私は知らない。しかし、夢の中の私は知っていて、何かをじっと待っている。
私は決まって、縁側に面した殺風景な座敷へ通されていた。冬の、午なのだろう。窓外の庭は明るいもののどこかくすんだ色合いで、常緑葉の暗い緑の上に散らばる椿の紅色ばかりが、やたら目に鮮やかだった。
「すぐ、参ります」
そう言う声がどこからか聞こえるのだが、声の主が男なのか女なのか、子供なのか大人なのか判然としない。そもそも誰が発した声なのかすら分からなかった。
そうか。来るのか。
夢の中の私は素直に承知して、ひたすらぼんやり待っている。座した私の目前には火鉢が一個ぽつんとあって、白い灰の上で炭が赤々燃えていた。手を翳すと、温かい。どこかの軒に仕舞い忘れた風鈴でも下がっているのか、時折、
―――りぃん。
と澄んだ音色が、冷え固まった辺りの空気を震わせた。
隣室に面した襖が少し、開いている。
隙間からは布団と、そこに横たわっている人間の躰が見えた。寒いのに、掛け布団は掛かっていない。真白い敷き布団の上に、これも真白い着物を纏った人間が身動ぎもせず、ただ居るのである。着物は死装束だったので、「ああ、死んでるな」と私は思った。
庭の椿がひとつ、ポト、と落ちたところでいつも目覚める。そしてまた次の夜も、同じ夢を見るのであった。
情景も状況も変化しない、単調な夢。ただ一点だけ、夢を見る度に変わっているところがあった。襖がほんの僅かずつ、じわりじわりと開いているようなのだ。初めは隣室に安置された躰の中央辺りが細く垣間見えていたものが、太腿が見えるようになり、腹が見えるようになり、胸の下に組まれた手が見えるようになり―――
しかしそれでも、その死体が男なのか女なのか、子供なのか大人なのか、私には分からなかった。平坦なのだ。ほっそりしていて、凹凸が少ない。痩せ気味の大きくも小さくもない手には薄ら骨が浮いていて、その生白く陰影の濃い滑らかな
「すぐ、参ります」
夜毎に襖はじわりじわりと開く。もう、頭が見えていた。顔と首は白布に隠されており、やはり性別や歳ははっきりしない。床に流れる黒髪は薄暗い中、後生大事に伸ばしたものとも、伸びっ放しの蓬髪を整えたものとも見て取れた。
すぐ。すぐだ。きっともうすぐ、来る。何が来るかは定かでないが、麻酔でも打たれたように、恐怖は薄く、遠かった。最早痛みも感じないだろう。
―――りぃん。
庭に咲く最後の椿が、ポト、と落ちた。目は覚めない。死体の頭部を覆う白布に、鮮やかな赤が滲んだ。首の辺り。促されるまま立ち上がり、布を捲る。隠されたものが露わになって、甘やかな酩酊感が私の心を蕩かした。
ああ。首が。
笑っている。
笑ってらっしゃる。
頭を垂れた。どこから湧くとも知れない無量の感謝に、脳髄が沈む。溺れる。私は細い吐息を洩らした。柔く冷ややかな口に骨肉を噛み砕かれるのは、何ともマァ心地好いこと。
落椿 白河夜船 @sirakawayohune
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