皇子、来訪する
月や太陽が目の前に降りて来た時にどんな反応を見せれば良いものか、
「お会いできて嬉しく思います、
「ここここ、こちらこそ、
という訳で、
(いったい何ごとですか、お父様)
子供ふたりを引き合わせて満足そうに頷いている父を、
娘の恨めしげな視線に気付いていないのか、父はにこりと微笑んだ。
「
「え──」
それは、恥の上塗りというものだ。
絶望に呻いた娘に、父は表情を真剣なものに改めた。声も潜めて、自邸にいながら何者かの耳を憚るかのように、改めて
「……という体で、陽春と共に学べ。父上に任せておくと、この子は歌と舞しか教えられぬ。今少し、系統だって学ぶ機会を与えてやらねば」
* * *
話を詳しく聞いてみると、父は
つまり、祖父の
そこで鍵になるのが、祖父が目に入れても痛くないほど溺愛している──たぶん、世間的には孫に対する形容だ──末の皇子の陽春だ、ということになったのだとか。伝聞系なのは、
『陽春の進言ならば、父上も聞いてくださるやもしれぬ。それを可能にするためには、この子にまともな見識を身につけさせねば』
ふんわりと理解したのは、眩しい存在は眩しい存在なりの苦労があるらしい、ということだろうか。有象無象の皇族としてのほほんと生きている彼女に比べると、皇帝に愛される陽春は、何かもっと重くて大変な義務というか期待というかが課せられている気配が窺えた。
ともあれ、
「ねえ……」
「はい、何でしょう」
それでも休憩の時間はもらえるから、
「……おじい様のお気に入りというのも大変、なのね……? あんな、人前で歌ったり踊ったりなんて」
思えば皇帝の命令というのは逆らえないものであって。祖父の気分ひとつで、いつ何時、それもたったひとりで歌や舞を披露させられるか分からない日々というのは、とても恐ろしいのではないかと思ったのだけど──
「いえ、歌舞も芝居も好きなのでまったく苦ではないのですが」
美しい存在は、困ったように微笑んでまたも格の違いを見せつけた。
(……あんなに上手にできるんだから当然か……)
有象無象の彼女とは、見え方も感じ方も違って当然と、頭を抱えつつ納得したところで──
「えっと……では、お父様は余計なことをしたのかしら」
陽春が、今の待遇に満足しているのだとしたら。
「とんでもない」
相手の回答次第では、ひれ伏して許しを乞う心構えでいたのだけれど。陽春は、ゆるゆると首を振った。目を軽く伏せると、白い頬に落ちる睫毛の影が濃く、長い。間近にいて言葉を交わしてなお、この少年の常人離れした美しさには見蕩れさせられてしまう。
「ですが、それだけでは国が立ち行かないのもさすがに分かります。父上は、確かに芝居にのめり込み過ぎではないのか、と──ならば、お
「そう、なの……」
恐怖ではなく、感動によってひれ伏したい思いを堪えて、
「
「そんな。どうして……?」
と、陽春が身を乗り出して彼女の顔を覗き込んできたので、
「《
目が眩んでしまったから、何を言われたかを理解するのにたっぷり数十秒はかかっただろう。
《
(……覚えてたんだ)
取り立てて美しくもない、歌舞の才がない、有象無象の小娘のひとりのことを。陽春の、この吸い込まれそうな目に、
「そんなことない! すごいものを見られて、感動したくらい! あんなのと自分を比べようなんて思ったりしないわ!」
「そ、そうですか……」
感動に、思わぬ大声が出て、陽春は一瞬たじろいだようだった。でも、すぐに嬉しそうに破顔する。
「
「え!?」
「未熟ですが、母から聞いた
「えええ!?」
陽春の母君といえば、祖父がこよなく愛する稀代の歌姫で舞姫だ。
* * *
そうして数日を共に過ごした後、陽春はまた、と笑って後宮に帰って行った。
結局──また、の機会が来ることなんて、なかったのだけれど。
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