第12話 提灯小僧
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【提灯小僧(ちょうちん-こぞう)】
提灯を手に提げた妖怪。人間の子供の姿をしているが、その顔はホオズキのように赤いという。
道を行く人を追い越しては後ろを振り返って立ち止まり、その人が提灯小僧を追い越せば、また追い越し返す。いったい何の目的でこのような行為を繰り返すのかは不明だが、人に危害を加えることはないとされている。
そいつが現れたのは、夏なのに急に気温が下がった夕暮れのことだった。
ボクがベッドの上でごろ寝をしていると、アパートの中でインターホンが響いた。だけどボクは反応しなかった。別の部屋のインターホンの音だと分かったからだ。
このオンボロアパートでは、別の部屋のインターホンの音までよく響く。でも音の大きさからして、あれは一階のインターホンだろう。
ボクはまたゆっくり目を閉じてごろ寝の体勢に入ったけれど、すぐに奇妙なことに気付いた。インターホンが何度も何度も鳴らされるのだ。しかも、その音は次第に1階を左から右に移動している。
子供の悪戯だろうか。そう思った瞬間、間髪入れずに2階らしい位置からインターホンが聞こえた。
ボクは思わず上半身を起こした。
おかしい。1階から2階に移動するには当然階段を登る必要があるのに、その間を置かずにインターホンの音は連続して響いている。
そして、インターホンの音は次第にボクのいる4階まで登ってきた。
ピンポーンと、とうとうボクの部屋のインターホンが鳴らされた。ボクはベッドから降り、玄関に移動してドアスコープをそっと覗く。
「あーそーぼー」
子供の声がする。しかしドアスコープに映ったその顔は、いちめんが絵具で塗られたようにのっぺりと赤かった。
急に体中に鳥肌が立ち、ボクは思わず身をのけぞらした。体が壁にぶつかり、小さな音を立てる。その音でそいつはボクがドアの内側にいることに気付いたらしい。
「あーそーぼー」
そう言うと、そいつはドアノブをガチャガチャと乱暴に回し始めた。しかし鍵を閉めていたおかげでドアが開くことはない。そう思った瞬間だった。
かちゃん、と軽い音を立てて鍵が開いた。
一気に冷たい汗が噴き出し、ボクは慌ててドアノブを握った。物凄い力でドアノブを回そうとするそいつに負けないよう、両手に渾身の力を込める。
「あーそーぼー」
ドアノブごと揺すられるドアに体を押し付けるようにしながら、ボクはその永遠にも思える時間を耐えた。
そしてやっと、赤い子供の気配がどこかに行った気配がした。
ボクは鍵を掛けなおし、ドアにもたれかかるようにして息を整えた。足元でビニール傘が震えている。ボクはそいつの柄の部分を撫でながら呟いた。
「あいつは一体なんなんだ」
ボクは今までに沢山の幻覚を見て来た。だけど、あんなに意味が分からない奴は初めてだ。
ボクは直感的に思った。アイツはボクの理解を超えている。理解を超えた、ものすごくよくない奴だ。
ボクは祈った。できれば今後は関わることがありませんように。
だけど、ボクのその期待はすぐに打ち破られた。
その日の夜だった。夕暮れの一件のせいであまり外に出たい気分ではなかったけど、どうしても小腹が空いてしまったボクは、コンビニに夜食を買いに出ていた。
その道中だった。
人通りはまばらで、ボクの前には仕事帰りなのか灰色のジャケットを着た中年女性が歩いているきりだった。
その時、ボクは急に寒気がして足を止めた。
ボクの横を軽い足音を立てながら提灯を持った子供が追い越して行った。ボクからはその子供の後ろ姿しか見えない。だけどそのおぞましい雰囲気で、ボクはそいつが間違いなくあの赤い顔の子供だと分かった。
子供は僕を追い越し、さらにボクの前を歩いていた中年女性を追い越した。女性を十分に追い越したあと、子供がくるりと振り返る。
赤い顔が中年女性を見ながらにやあっと笑っていた。ボクは嫌な予感がぞくぞくと背筋を駆け上るのを感じた。
次の瞬間だった。物凄い爆音がして、思わずボクは両腕で顔をかばった。煙がボクの体の横を勢いよく吹き抜け、熱い風が頬を撫でる。
煙が晴れてやっと目を開けると、道路の真ん中にプロパンガスのボンベが転がり、その周りが黒く焼け焦げていた。強烈な焦げ臭さとともに、ガスの臭いが鼻につく。
ガスが漏れて引火したのか。混乱する頭の中、どこか冷静な部分がそう考えた。
幸いボクは無傷だったけど、爆発の中央付近にいた中年女性はもろに熱波を浴びたらしい。
顔の皮膚は原型をとどめないほど爛れて溶け落ち、灰色のジャケットが熱で溶けて体と一体化していた。
「いたいい、いたいい」
むき出しになった歯で、女性が地獄のようなうめき声をあげる。
そしてその顔を、あの赤い顔の子供が提灯を手に見下ろしていた。
「お前は」
ボクが言い切る前に、そいつはケタケタと笑いながら飛び跳ね、どこかへ消えてしまった。
その後ボクは警察に事情を聴かれたり、念のため病院に運ばれたりして、解放されたのは翌日の明け方だった。ボクは部屋に帰ると倒れ込むように寝て、次に起きたのは昼過ぎだった。
ボクの体は疲れ切っていた。だけどその日は病院の予約があったので、重たい体を何とか引きずって家を出た。それから病院に行って単調な女医先生の話を聞き、やっと帰途につく。
そしてアイツは、そこにも現れた。
病院とボクの家の間には川があり、橋が渡されている。その橋の中央にアイツが立っていた。その姿に気付いた瞬間、ボクの髪の毛は怖気立った。
勘弁してくれよ。
だけどアイツはまだボクには気付いていないようだ。逃げ出そうかと思ったけど、その前に奴が奇妙な動きを見せた。
アイツが橋の真ん中から、横の車道を走るタクシーに向かって提灯を振った。
なんだ?とボクが疑問に思ったと同時に、キーッと耳をつんざくようなブレーキ音が響く。あのタクシーだった。
タクシーはコントロールを失ったように道を逸れ、そしてそのまま橋の下の川に飛び出して行った。ざぶんと車体が水の中に入り、ゆっくりと川の中に沈んでいく。
タクシーに乗っていたのは男の運転手一人きりのようだった。運転手は最初こそ水圧で開かないドアに慌てたようだったけれど、さすがはプロで、すぐに脱出用ハンマーを取り出した。そして冷静にハンマーを運転席側の窓に叩きつける。
しかし、粉々に砕け散ったのはガラスではなくハンマーだった。
運転手は唖然とした顔で手に残ったハンマーの柄を見つめる。その顔を見ながら、赤い顔の子供が腹を抱えてさもおかしそうにケタケタと笑った。
周囲の人々が、川の上から叫んだり、警察に電話をかけたりしている。だけどそれが手遅れなのは明白だった。
車はどんどん川の中へと沈み、車体の中に水が容赦なく侵入していく。運転手が必死の形相で拳を握り、窓を叩く。しかし窓はビクともしない。
川の水越しに、運転手が最後の空気を追い求めるように顔を窓の上の方に押し付けるのが見えた。運転手は水の中でしばらくの間ばたばたと暴れ、そしてふっと力を失って車の中にゆらりと浮いた。
ケタケタと笑い声が響く。さっきよりも一層楽し気に、赤い顔の子供が笑っていた。
「お前はいったい」
ボクの掠れた声がそいつに届く前に、そいつはぴょんと飛び跳ねて橋を向こう側に向かって走って行った。
一瞬遅れて、ボクはそいつを追って走り始めた。
アイツはきっとまだ何かやる。そんな気がしてならなかった。
そいつはぴょんぴょんと跳ねるように走りながら角を曲がっていく。ボクは普段動かさない足を必死に走らせ、そいつを見失わないように追いかけ続けた。
そしてアイツは角の先の下り坂で足を止めた。
坂の上の方に無人の軽トラックが停められている。軽トラックの荷台には、伐採したばかりらしい細い木や枝が山のように積まれていた。そいつはボクを振り返り、それからおどけたような仕草で軽トラックを突ついた。
途端に、それまで停まっていたはずの軽トラックが、まるでサイドブレーキをかけ忘れたかのように坂道をゆっくりと後退し始める。
その瞬間、ボクはそいつの狙いに気付いた。
坂の下の民家の前では、若い女性がこちらに背を向けて道の掃き掃除をしていた。
「危ない」
ボクは走りだしながら叫んだ。けれど女性は気付いてくれない。
「後ろ、後ろだ。軽トラが」
女性がやっと気づいて振り返った時には、軽トラックは女性の目前まで迫っていた。
「きゃああ」
女性は塀を背にして、必死に軽トラックの荷台に手を突っ張った。軽トラックの速度がほんの少しだけ落ちる。だけど、女性一人の力で坂を下ってくる軽トラックを止められるわけもなかった。
女性の肘が押し負けて次第に曲がっていく。そして、軽トラックの荷台から飛び出した枝の先がゆっくりと彼女の顔に。
「あああああ」
そして、後には何本もの枝に串刺しにされた女性の遺体が残った。
赤い顔の子供は提灯を振りかざし、ケタケタと笑いながら女性の遺体の周りを跳ねまわる。そいつが女性の遺体に夢中になっている隙に、ボクはやっとそいつに追いついて腕をつかんだ。
「お前はいったい何なんだ」
そいつがボクの方を振り向く。その顔には、相変わらずにたにたした笑いが刻まれていた。その顔に向かってボクはもう一度叫んだ。
「お前は何なんだ」
「俺は僕は私は」
しわがれた老人の声のような、合成音のような、不快な声がそいつから漏れだす。そしてそいつは首をかしげながら、場違いなほど嬉しそうに言った。
「何、だっけ?」
不快な声が壊れた機械のように喋り続ける。
「化けてバケテ化けてバケテいる間に、よく分からなくなった。でも私は僕は俺は、前よりずっと強くなった。ずっとずっとずっとずっといい子になった」
そう言うと、そいつは急ににっこりと無邪気な笑みを浮かべた。
「昔はね、この提灯で人間の足元を照らしてあげることしかできなかったんだ。だけど今は、今は今は今は力があるから、いっぱいいっぱいいっぱいいっぱい人間と遊べるようになったなったなったんだ」
ボクはそいつの腕を握りしめながら、絞り出すようにして聞いた。
「それで遊んでるつもりなのか?」
そいつはまた無邪気に笑う。
「うん、皆皆皆とっても楽しそう」
それからそいつはボクの顔を見て続けた。
「ねえ」
ボクは唾をごくりと飲んだ。
「君君君の家にも遊びに言っていい? 前に君の家の前まで行ったとき、すっごく楽しそうな楽しそうな楽しそうな気配がいくつもしたよ? ねえ?いいいいいいいいでしょ?」
額から汗が噴き出す。それでもボクは何とか答えた。
「断る。お前はポテチを食べた手で人の本をめくるタイプだから、家に呼びたくない」
「ふうん、そっかあ」
そいつが赤い顔の中の赤い唇をとがらせる。
「僕に私に俺に、逆らうんだあ」
そいつがにやにやとボクのことを見る。卒倒してしまいそうなほど嫌な感覚が背筋を這った。ボクは気を失わないように唇をかみしめながら、そいつから目を逸らさずに睨み合った。
汗が頬を伝う。そしてしばらくして、急にそいつの圧が消えた。
「まあいっか」
そいつはボクの腕を軽く振り払い、それから気軽な声で言った。
「このあたりで遊ぶのも飽きたし。それに、君はなんだか面倒くさそうな匂いがする」
そいつはふんふんとボクの匂いを嗅ぎ、それから言った。
「別の場所に行って遊ぶことにするよ。じゃあ、もしかしたら、またね」
そう言って赤い子供はぴょんと跳ね、そのまま風に巻かれてどこかへ飛んで行った。
急にあたりの空気が静かになり、ボクは尻餅をついてその場で荒い息をつく。
まだじっとりと背中が汗で濡れていた。
息を整えながら、ボクは自分に言い聞かせた。
すべては幻覚だ。あいつの存在も、あの凶悪で最悪な空気も感覚も。全部ボクの頭が作り出した妄想だ。
だけどどうしてだろう。きっと近くの町でまた、嫌な事件が立て続けに起こるんだろう。そんな確信めいた考えがボクの頭から離れない。
ボクは立ち上がった。なんだか早く家に帰りたかった。
家ではいつもの「幻覚」達が、ボクの帰りを心配しながら待っているはずだから。
―第12話 提灯小僧 【完】
統合失調症のボクと愉快な百鬼夜行集 脱兎小屋 @lex-4696
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