四十九日
あきかん
「新婚なのに、ありがとね。」
と、おばさんは言って迎えてくれた。外では蝉が言葉を発しない部屋の住人の代わりに騒いでいる。
汗が乾く暇もなく溢れてくる。ベトベトしたワイシャツが肌にくっついていて気持ち悪かった。
「関係ないよ。それと暑いから身体は気をつけてね。」
と、俺は言った。
「麦茶あったんだっけ。今出すから座ってて。」
そう言って、おばさんは奥へと歩いていった。太陽の照り返しが強くて眩しい外は現実感が薄れているかのようだ。まるで死者の世界のように陽炎が立ち上り足下が曖昧になって。それに反してこの薄暗い部屋の中は現実味が強くなっているように感じた。
もう、あいつはこの世にいないのだな。わかりきっていた事だが、それが引き返せない所まで来ている。あいつの両親もあいつの死を何とか受け入れているのが見て取れた。
「お待たせ。これを飲んでもう少し待っていて。」
俺は出された麦茶を手に取ると、カラリ、と氷の音がした。
「あら、その結婚指輪。あの子が最後にしていたのと同じやつなのね。」
「あいつが選んでくれたんですよ。だから、自分でも持っていたんじゃないかな。」
上手く言葉を発せただろうか。今日来た本当の目的はその指輪だった。葬式の晩、おばさんにそれを見せられた時には生きた心地がしなかった。
「遠慮せず、あの子にまた会いに来てね。」
と、おばさんは言った。
「また暇が出来たら伺います。」
と、俺は言ったがもう来ることは無いだろう。
帰り道。肌を焦がす陽射しが降り注ぐ中、一人で帰る。ドブ川に架かる小さな橋で立ち止まり、ポケットに手を入れた。外した俺の指輪とあいつの指輪がそこにある。
俺はそれを握りしめて、ドブ川に放り投げるフリをした。手が指輪を離そうとしなかったからだ。
仕方無いので、両手の薬指に指輪をはめて胸ポケットからタバコを取り出す。
タバコは汗で湿気ていた。カチカチとライターを鳴らすも上手く点かない。
ふと、後ろで陽炎が立ち昇った気がした。カチッと強くライターが鳴ってタバコに火が点いた。
湿気たタバコは吸えたもんじゃない酷い味ではあったが、俺は煙を肺に入れるために大きく息を吸った。
「またタバコは値上がりするんだってよ。値上げ程度で止められたら苦労しねえよな」
誰に聞かせるわけでもなく、独り言を呟く。近くにいた陽炎が消えた気がした。
俺は振り返ることはせず、真っ直ぐ家に帰った。
四十九日 あきかん @Gomibako
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