なんてね。
人影
なんてね。
僕の好きな人に、大きな翼が生えていた。
早朝、僕は誰もいないはずの教室に行くと、そこに好きな人はいた。
好きな人は窓枠に手を置いて、遠くの方を眺めていた。カーテンと一緒に靡く短めの髪がひらひら揺れていた。夏服を纏った彼女の制服姿が可愛かった。そんな、彼女の背中に眩しいくらい純白な、大きな翼が生えていた。
天使みたいだった。
「おはよう」
僕はいつもみたいに、好きな人に挨拶する。
「おはよ」
彼女は何でもないように言った。
いやいや。その翼はなんなんだよ。
びっくりしてくれるのを期待してたのに、ちょっと残念。
「その翼、どうしたの? コスプレ?」
そういえば、もうすぐ文化祭だ。
男装コンテストにでるとか言ってたっけ。
でも流石に男装するからといって、その翼はないんじゃないか?
彼女は「あぁ、これ?」と、自分の背中に生えたそれを見て可笑しそうに笑った。
「なんか生えてたんだよ」
「そんなに笑って言うことかなぁ」
「だって、生えっちゃったんだもん」
「重たい? それ」
「うーん、そんなに重くないかも。ちょっと違和感はあるかな。風が吹いたら飛んじゃいそう」
「たんぽぽじゃん」
「そこは天使と呼んでくれたまえよ少年」
しばらく沈黙が流れる。
返答に困ることを言わないで欲しい。
「なら、天使らしく飛んでみてよ。その大きな翼でさ」
「ぱたぱたできるけど飛べないの」
「へぇ、そんなことより触ってもいい?」
「えっちめ」
「うっ」
「真面目に受け取らないでよ~、ほら、触って触って」
彼女は新品のランドセルを見せるように、翼を僕にむけた。
えっちだなんてそんな。ちょっとふわふわしてて、気持ちよさそうだなぁって思っただけだし。断じて好きな人に触れたかったとか、そんなんじゃないし。
えっちじゃない!
「えいっ」
僕の右手が翼に沈む。
なにこれ。やわらかい。てか、好きな人のにおいめっちゃする。
「ふさふさでしょ」
「羽毛みたい」
「あ! だから飛べないのか!」
わぁ。せーきのだいはっけんだぁ。
「脳味噌溶けそー」
「気持ち悪いこと言うなエロガキ」
エロガキじゃない。
……エロガキじゃない!
「……それはそうと今日一日どうするのさ。そんなんじゃ授業もまともに受けられないでしょ。そもそもどうやって学校登校したの」
「そりゃあ、このまま登校したよ。めっちゃ視線感じたけど。でもなぁ、このまま授業受けるわけにもいかないのかも。後ろの子黒板見えなくなっちゃう」
「そう言う問題じゃないでしょ」
「こんなことならふさふさのしっぽが欲しかった」
「こら、贅沢言わない」
尻尾も似合うだろうけど。
「なんで翼なんだろうね」
「……なんでだろ」
「ほんとに天使なんじゃない?」
「えへへ、照れるなぁ」
「君と僕とじゃもう種族が違うんだね」
やっぱり、好きな人も変わっていっちゃうんだな。
困った困った。
「まぁ、帰るのもめんどくさいし、今日は後ろの席の人と場所変わってもらって授業受けるよ」
「まぁ、周りの視線には気を付けな」
「はあい」
彼女はあくびをするように返事した。
八時くらいになると、ぞろぞろとクラスメイトが教室に入って来て、僕の好きな人に話しかけていった。
「その翼どうしたの? かわいー」
「それ校則違反じゃない?」
「飛べるの?」
みたいな質問。ふふふ、僕は全部知ってるんだぜ。すごいだろ。
好きな人は、ほぼ全員のクラスメイト(隣のクラスの奴らも来たからそれ以上)に、辟易せずに天使の笑顔で対応していた。
高校に入ってから、好きな人の友達めっちゃ増えたな。中学校の頃は、友達も全然いなくて、よく笑う人だったのは変わらないけど、あんなにきれいに笑わなかったのに。
好きな人は相変わらずかわいい。中学校の頃からずっと。かわらないままかわいい。
でも、高校に入ってから距離ができてしまった。
彼女は勉強を頑張るようになって、友達も増えておしゃれもするようになって。
翼まで生えてしまってる。
僕と二人で会話する時間はもう、早朝のあの時間しかない。いやいや早起きするだけの価値はあるんだけど、ちょっと時間が少なすぎる。
休み時間とかは時々、彼女にばれない程度に視線を送って、かわいいなぁとか思ってる。
見ると、好きな人にあほそうな男子が絡んでいた。
「なぁ、それ触ってもいい?」
「いいよ~」
……まぁ、そうだよな。
男子の腕が翼へと伸びる。
ふさっと羽の中に手が沈んでいくのを見て、胸が締め付けられた。
昔の思い出が本当に過去になっていく。君の背中は遠近法で小さくなって、どこにでも行けるようになってしまった好きな人は、僕を過去に取り残してしまった。
なんてね。嘘だよ。
「ねね、今日一緒に帰ろ?」
昼休み、好きな人が僕にそう言った。
「いいよ」
「やったあ」
一体全体どんな風の吹き回しだろうか。なんで今日に限って僕なんだろう。
もしかして、一緒に帰る人がいなかったとか?
その翼だし。
いや、友達に迷惑はかけたくないから?
ありそう。大いにありそう。
「みんな翼のこと聞いてきてちょっと疲れちゃったから……」
あぁ、なるほどね。
「なるほど」
特に面白い返しも思いつかなかった。というか、頭が正直追いつかなかった。
え? 僕好きな人と一緒に帰れるんですか?
なにそれ。最高なんですけど。めっちゃ楽しみ。
「それじゃ、そういうことで~」
好きな人はそう言って、そそくさと廊下へと逃げていった。
こういうささやかな約束は嫌いじゃなかった。むしろ好きだ。いや愛してる。
だって一緒に帰れるんだぜ?
かわいい顔も、仕草も体も声も匂いも全部感じ取れる距離を、一緒に歩ける。これ以上の幸せはない。
まぁ、聞きたいこともあったし。
僕は緊張感を体に滲ませながら、放課後を待った。
彼女に翼が生えているのをみて、ちょっと残念に思った。
いや、嘘。かわいいと思いました。
一緒に帰るなんて、いつぶりだろう。高校生になってから、互いに帰る人がいないときだけ、まるで何かを示し合わせているみたいに一緒に帰った。最後に帰ったのは、二か月前くらいか。あんまり覚えてないや。
「ごめん! 待った?」
校舎を出たところで、空を眺めながら待っていると慌ただしい声が聞こえた。
羽が生えているのを見て、好きな人だということがわかる。
「ちょっとだけ待った」
「ごめんごめん、いこっか」
そう言って、翼の生えた好きな人は歩き出した。僕は距離感を忠実に守る飼い犬のように隣を歩く。
ちらりと目を動かせば視界に好きな人が映る。そのたびに胸がきゅっとなる。甘酸っぱい思いが胸に溢れて、好きな人以外見れなくなる。全部がぼやけて見えて、逆に綺麗に見えた。
僕の天使。
「葉桜綺麗~~!」
そんなどうでもいいことを言い合いながら、足を進めていく。
大学どうする? とかも聞いてみた。好きな人は有名な医科大学をあげた。どうやら医者を目指しているらしい。
「そこの大学入試早いから、帰ったらすぐ勉強しないと」
「そんなに頑張ったら疲れない?」
「どうしたのいきなり」
「そんなにいきなりじゃないと思うけど」
「そりゃあ、疲れるけど~、やらないといけないし」
「僕は頑張れないなぁ」
「一緒に頑張ろうぜ」
「うん、そうだね」
ちょっと勉強の話はしたくないな。ちょっと心が痛くなる。
痛いから見ないフリします。
好きな人と話せて僕は幸せです。
「それで、その翼邪魔じゃない?」
「邪魔じゃないよ、かわいいじゃん」
好きな人は笑った。かわいい。
「……ほんと、君は変わっちゃったな」
痛いから、見ないフリします。
「翼生えっちゃったしねぇ」
違う、そうじゃない。いやそうだけど。
「別に、変わるのって悪い事だけってわけじゃないじゃん」
例えば、君はおかしいことを偽るようになったね。ホントは天然とかそういう部分だけじゃなくて、変なところで怒ったり泣いたりしてたのに、それを隠すようになったね。
「でも、君はなんだかつまんなそうだね」
高校生になって、友達ができていっぱい笑うようになったね。笑うだけで、他の表情は消えちゃったね。
「そうかな?笑 私はいっぱい楽しいけどなぁ」
将来のこととか考えて、頑張るようになっちゃったね。
「僕にはそう思えないかなぁ。だって、君はどんどん綺麗になっていくから」
髪の毛とかが綺麗になったね。おしゃれもするようになったね。
「ちょっと、怖いよ笑」
人目を気にするようになったね。
それに怯えるようになっちゃったね。
自分を本気で偽っちゃったね。
それで本当が何かわかんなくなったんでしょ。
「あはは。ごめんごめん。それにしても、その翼すごいなぁ」
不安が怖い?
嫌われるのが怖い?
自分がそんなに嫌い?
自分を隠さないといけないくらい消してしまいたい?
本物がそんなにダメ?
ずっと思ってるんだけど。
その翼ってさ、ささくれでしょ?
君の背中から剥がれたでっかいささくれ。
触ると痛いんでしょ?
自分を偽りすぎて勝手に傷ついて、剥がれちゃったんでしょ?
「すごいでしょ、いつか空だって飛べるんだぜ」
飛べるわけないでしょささくれなんだから。
「ほんと、変わったなぁ」
翼も生えたし。
やっぱり、君と僕とじゃもう種族が違うんだろうね。
昔はもっと、てきとーに生きてて、今よりももっとずっと綺麗だったのに。めっちゃかわいくなっちゃった。
変わらないで欲しいな。
僕を置いていくように、傷つきながら進まないで欲しいな。
将来の不安とか、周りがどうとか、葉桜とかどうでもいいんだけど。
君が変わるのは違うでしょ。
「ありがと笑」
その翼を引きちぎっちゃえば、元に戻るのかな?
なんてね。
「ほめてない」
「えぇ」
「ねぇ、その翼触ってもいい?」
「え? どうしよっかなぁ。褒めてもらえなかったしなぁ」
「かわいいよ」
「てきとーかよ! まぁ、いいよ?」
差し出された翼に、僕は両手で触れた。
「やらけぇ……、あったけぇ……」
やばい、感動して涙でそう。
「ふふふ、いいだろ」
あー、ほんとかわいいな。
ささくれとかどうでもいいか。
かわいいし。
まぁ、なにもしなくてもとれるでしょ。
君はかわいく笑っていた。
なんてね。 人影 @hitokage2023
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