十七 名付け

「この札、とても綺麗な絵」


 椿は、差し出された金平糖を口に入れながら花札を眺めていた。

 話には聞いた事があったが、花札を見る機会はこれまでにはなかった。翳した札は、色鮮やかな『菊に盃』。朱塗りの裏面に、彩ある表面。黄色の花模様と朱色の盃は、下地の白のおかげでなお際立って見える。


「これは、現世の店が出しているものです。西都で売られている中でも一番人気なのだとか」


 と、赤い着物の鼠が言う。

 

「雲水様がどこぞのむじなと賭け事をして勝ち取ったと大層自慢げに話していたのでよく覚えております」


 更に、青い着物の鼠が付け足した。

 何やら不届な言葉が出たが、人の趣味にケチをつける気はない。椿は青い着物の鼠の言葉は軽く流した。


「奥様、もう一度遊びましょう」

「そうです、今度は私と」


 息巻く二人は絵柄を並べた花札を裏面にして混ぜる。勢い任せで、そのまま札が飛んでいってしまいそうでならない。椿が二人を落ち着かせようと頭を撫でる。


「札を無くしてしまうわ。雲水さんに叱られるわよ」


 椿の言葉に、二人は元気よく「はい!」と返事する。二人は、椿をおもんばかる様子は一度としてなかった。純粋に自分が楽しいから、椿と一緒に遊んでいると言った姿。演技でもなく、ただただ無邪気な姿が今の椿にはとても好ましいものだった。

 小太郎の事が消えたわけではないにしても、わずかばかりに心は安らぐ。

 そんな、少しずつ凝り固まった精神が解れ始めた頃――


「椿、そろそろ帰るぞ」


 朧が障子戸を開けて、姿を現した。その瞬間に札を並べていた幼児おさなご二人が振り返る。朧の出立ちに怯えた訳でもないのだろうが、椿が帰ると悟った二人は慌てたように必死の形相で椿の膝に縋りついた。


「えー、奥様帰っちゃいやー」

「まだ遊ぶー」


 更には周りで見ているだけだった鼠達までもが、幼児二人を真似して椿の膝へと集まった。

 駄目だの、嫌だの。ちゅうちゅう、と。

 可愛らしい光景ではあるのだが、こうなると椿としては帰り辛いものがある。


「これお前達、奥様はお疲れだ。また直ぐに会えるから今日はしっかりとお見送りをしなさい」


 殊更に余裕の態度を見せる雲水。命じられたから、なのか。鼠達も、幼児も渋々と膝から離れていった。だが、離れはしたものの、物足らないと訴える目線で幼児二人は立ち上がろうとする椿を見つめる。


「では、奥様。また会えるのであれば約束が欲しいです」

「約束?」

「名前を下さい。そうすれば、何があっても会えるのです」


 幼子二人はきらきらと期待の眼差しを向けるも、対して椿は困惑の表情を見せた。

 名付けと言われても、勝手に決めていいものなのか。そもそもそんな安易に受け入れてよいものなのか。どうして良いかも分からずに、椿は雲水に助けを求めてそろりと目線をやった。

 けれども雲水に忌避なるものは見られない。寧ろ、受け入れたように目を細めて笑っている。椿と目線がかち合うと、戸惑う椿を落ち着かせるようにこくんと頷いて、


「奥様。二人が名前を欲しがったのならば、どうか与えてやって下さい。私の手の内の中で、人の姿に変じる程度に力はありますがそれだけです。名は力になります。そして、縁として繋がりにもなります。奥様がお嫌でなければ、どうか二人の申し出を受けてやって下さいませ」


 和やかに告げた声音に、椿の困惑が立ち消える事もなかったが、どこかでそんなものなのかと受け入れてもいた。

 ただ、名前などそうそう浮かぶものでもない。うーん、と首を捻って。二人を見比べてるたびに目に入るのは着物の色だ。「着物は好きな色?」と、単調な質問を投げてみる。すると二人は、「そうなの!」と飛びかからん勢いで元気よく答えた。


 納得した椿は、まず濃紺の着物の幼子を指さして、


「では、あなたが桔梗」


 と言って、さらに薄桃の着物を指さす。


「あなたは蓮華」


 安直だったかしら。まだ困惑から覚めていない椿は頬にひとさし指をあてて、頭を傾げる。だがどうにも椿の不安は思い過ごしだったようで、二人は名前を幾度となく口の中で反芻しては、口角は上がっていく。零れ落ちそうな赤く染まった頬を小さな手で包むと、嬉しげにきゃあきゃあとはしゃいだ。

 そんな賑やかしに終止符を打つためか、雲水がわざとらしい咳払いをした。


「さあ。桔梗、蓮華。ご主人様と奥様のお見送りをしなくては」


 元気よく「はい」と返事した二人は、しゃきりと背を伸ばすも嬉しさから体がソワソワと鎮まらない様子だった。

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