十五 報酬
賑わう夜市。夜半に近づけば近づくほどに騒がしくなる。されども、椿は浮かない顔のままだった。朧に手を引かれ、心此処に有らずと言った様子で目線は下を向いてばかり。
そんな椿を朧は時折横目で見やった。何を思い悩んでいるかなど朧には知れた事だった。椿は人に同調し易い。相手も自身の心根に同調させてしまうが、逆もまた然りである。
恐らく、母を亡くした子供が気掛かりなのであろう。それを自身の過去に重ねて、子供に手を差し伸べるかどうかを悩んで、止めたのだ。それが正しかったかどうか、何が正しいのか、答えが出ない……と言った具合。
朧からしてみれば、子供などただの通りすがりだ。母を亡くそうが、一人になろうが、勝手に生きて死ねば良い。今も道で一瞬すれ違い顔も見ていないような奴らとそう大して変わりない。その程度の事だった。
けれども椿にはそう考えられない。椿は普段強気だが、時に繊細だ。特に近しい者を失った事に関しては。まるで自身の事のように寄り添ってしまう。心根を相手に寄せ過ぎて、普段は蓋をしている過去の悲しみが溢れ出してしまう程。
今回は、親を失った事が余計に気に掛かるのだろう。朧が固く手を握っても、椿は何の反応も示さなかった。
ただ、朧は椿の考えを否定しなかった。けれども、母を失った子を自身と重ねている椿に、「そんな事をお前が気にしなくても良い」とは言えず。だからと言って、今の椿にどんな言葉をかけるのが正解か。その持ち合わが朧の手札には存在しなかった。
そうやって二人言葉を交わす事なく夜市の大通りを外れて鼠の家へと辿り着いた。その頃になっても椿は顔を上げず、気落ちしたままだ。
「……椿、話は俺がするから、お前は休んでいろ」
「でも……」
「
「勿論でございます。奥様もお疲れでしょうし、特別なものは何も出せないのですが、お茶くらいでしたら幾らでも」
雲水は椿を案内するように、灰色鼠達に命じる。すると、椿の一番そばまで来ていた二匹の鼠の身体がゆらりと蜃気楼のようにゆれた。かと思えば、その姿は何倍にも大きくなる。何事かと目を見張れば、指折り一つ二つと数える間も無く、目の前には人間の幼児二人の姿があった。
一人は、薄桃の着物と赤い帯。
もう一人は、濃紺の着物と白い帯。
無邪気な少女の顔をした二人は椿の両手それぞれをとる。
「奥様、花札で遊びましょう」
「奥様、奥にお菓子を隠してあるのです。奥様にも分けて差し上げます」
そんな賑やかしさに囲まれても尚沈んでいる背中を見送り、朧は大様に構えて雲水を見やった。静かになった玄関で、朧はやっと草履を脱いで上り
その間も朧の手中にあるのは黒い桐箱が気になるのか雲水の視線が幾度とそれを捉えるもすぐに朧に戻し、背筋をピンと伸ばす。張り詰めた空気を醸し出す朧を前にして怯えた様子はない。寧ろ、歓迎するように「では祭壇の間で話をしましょう」、と促した。
祭壇が祀られた部屋ではすでに座布団が二つ用意されていた。大きいものと、小さいものとそれぞれ一つずつ。雲水は他の鼠達も追い出し人払いならぬ鼠払いをすると、用意された座布団の上にちょこんと座って畏まる。
朧が胡座をかいて座った姿を見届けて雲水は鼻を揺らして話しを始めた。
「此度はお力添えに感謝致します」
深々とお辞儀をする雲水を前にして、神妙な顔をした朧は自身の前に霧箱を置く。
「お陰で茶器は戻りました」
「……ああ、」
腑に落ちない。何かを納得できていない朧は怪訝なままに眉根を寄せる。
「それで、報酬ですが……」
雲水の目は、茶器を捉えていた。
「その茶器をお納め下さい」
朧は驚かなかった。ただ、調子を合わせたように「一応理由を聞いてやる」という。
「……実の所、もう私の手に負えない代物になりつつあるのです。私の血には、確かに遥か昔に主人と繋いだ縁が今も尚続いております。ですが、それも時と共に弱まりつつある。この家に残された力も、同様です。このままでは、鼠達も私の手を離れ、いずれは私も……今はやっとの事で管理できている状態なのです」
尻すぼみして弱々しく語る雲水。けれども、朧の口は容赦なく、追い込むように口火を切った。
「それで、子供にわざと茶器を盗ませたのか?」
朧から発せられた言葉に雲水は閉口した。戸惑いからか、下目遣いで朧の様子を伺う雲水。ただ、だがそれまでのように朧の威嚇に怯える様子はない。
「あの天邪鬼……悪鬼が言っていた。茶器のことは噂で聞いたとな。この家は、永く守られているのだろう? お前が鼠を使って噂を流さぬ限りは、誰も茶器の存在を預かり知らない事になる。子供に関してもそうだ。突然盗まれたと言う割には、手際よく後をつけまわして居所を突き止めていたな。その割には、子供を見つけた後は手間取る素振りまで見せる。お前は、現れたのが人間の子供という事と、俺が現れた事だけが想定外だっただけなのではないのか? 俺が此処へ来なければ、お前にはお前で茶器を取り戻す算段があり、お前が集めた魂を喰らう予定だったのだろう?」
一度に吐き出した言葉の数々に雲水は驚く様子もない。
「いつから怪しまれていたので?」
「最初から。俺を安易に招き入れた事からして不審だった」
止まる事のない朧の言葉に、雲水はそれだけは違いますと言った。だが、朧の疑心を拭うには足りず怪訝な面持ちに変化はない。
「弁明させてはいただけませんか」
「何の為にだ」
「……先も言った通り、私にはもう大した時間は残されていないのです。この茶器を使おうと思ったのは、他に手段がなかったからにございます。野鼠になど、なりたくはない」
「では、俺から茶器を取り返すか?」
「いいえ、どうぞお納め下さい。代わりに私を眷属にして頂きたいのです」
雲水は、すっきりとした顔を見せた。
「貴方様が、この家に入った瞬間にそう決めておりました」
「お前が招いたのだろう」
雲水は
「いいえ、貴方様はするりと……それこそ、ご自分の家のように入ってこられました。そして、奥様を家の中に招かれたのです」
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