十 魂喰らい②

 裏路地へと入り込んだ小太郎は、薄暗さと嫌な空気の中を進んだ。地べたで寝そべる者が所々にいる中で、奥へ、奥へと向かって行った。

 知らない土地の、知らない治安を前に、小太郎の足は軽やかだった。小太郎からすれば、もっと恐ろしいものを知っているから、だろう。未だ、人間の真の恐ろしさも知らないからこそ、というのもあるかも知れない。

 だから、今まさに小太郎の行く手を阻もうと現れた、如何にも破落戸ごろつきの身なりを見せた三人を前に小太郎は眉ひとつ動かさなかった。


「坊主、随分と高そうなもの持ってるな」


 寧ろ、獲物が歩いてきたと考えた。こう言った手合いを待っていた、というのもあるだろう。これならば、きっと良心は痛まない。


「……これ……頼まれたものなんだ。持って帰らないと叱られる」

「そうかい。じゃあ、こんな道使うべきじゃあ、なかったな」


 じりりと、砂利を唸らせた一人が小太郎へと近づいた。その手には何も無いが、体格は小太郎と比べものにならない程に大きい。小太郎を殴り押さえつけるなど容易いだろう。


「……わかったよ。此処に置くから、」


 小太郎は桐箱を地に置いて一歩、二歩と下がる。

 

「物分かりが良いな」


 男はヘラヘラと桐箱を鷲掴むが、その瞬間にその場に座り込んでしまった。あまりに不審で、背後にいた二人は桐箱を手にした男へを近づくと背後から覗き込む。


「おい、何してる?」

「……見たい……」

「は?」


 問いただそうにも、男の手は既に桐箱の蓋を開けていた。


「この中に良いもんが入ってるんだ」

「……? 坊主はそんな事……」


 戯言を、一人がそう言っても男はうっとりと茶器に見惚れて聴こえていない様子だった。ただ茶器を熱心に見つめて、荒くれとは思えぬ程に、そっと触れる。


「おい、壊すなよ!」


 無駄に触って傷でも入ったら、買い叩かれるかもしれん。だが、そんな心配を他所に、男は茶器の蓋を持ち上げていた。

 かちゃり――と陶磁器特有の重なる音がしたかと思えば男は、ぐらりと身体が傾いて倒れてしまった。


「……え? おい⁉︎」


 背後にいた二人はあまりに突然の事で、男が巫山戯ていると思ったのだろう。苛ついた顔で、倒れた男の背を幾度か爪先で蹴る。揶揄った程度だったのだが、倒れた男が反応示す事もなく。漸く芝居ではない事に気づいた二人は慌てて倒れている状態を確認しようと覗き込んだ――のだが。


 男の様子を見るよりも先に、茶器へと目がいった。


「……中、何が入ってるんだろうな」


 一人が、ポツリと呟いた。

 目の前で連れが倒れた事などもう忘れたとでも言わんばかりに、前のめりになって茶器が入った桐箱を覗き込む。

 そして――――



 


 小太郎は、三人の破落戸から魂が抜かれる様をで見届けた。その一部始終、蓋を開けた瞬間に、黒い煙が胸の中心から魂を抜き去っていく、その瞬間を。

 残された空っぽの肉体は虚しく地べたに転がるだけ。小太郎の目に申し訳なさも、悔いも無い。


 ――あいつらが勝手に欲しがったんだ、俺は悪くない

 

 ちらりと破落戸達を見やるも、桐箱の蓋を閉じると、足早に去っていく。

 抱えた桐箱は、またも重みが増して小太郎の腕にずしんとのし掛かった。けれどもその重みは悪いものではなかった。小さく揺すると、茶器がちゃぷんと水でも入っているように音が鳴るのだ。

 それが器を満たしている音のようで、小太郎は満足して腕の中の桐箱を見下ろした。

 

 あと、一人で一杯になる。



 

 ◆◇◆◇◆




「……白鼠しろねず、遅かったみたいだな」


 薄暗い路地裏に、人集りが出来ていた。どうやら事件があったようだと、役人や岡っ引きが現場を取り仕切っている様子。

 人集りの最後尾で朧は遠目にも覗き込む。が、流石に亡骸までは見えはしない。


「嫌だね。質屋のけんさんも亡くなったって話じゃない」

「らしいな。こっちはどっかの組の下っ端だろう? どうなってるんだ」

「なんでも、けんさんの方。傷は一個も無いし、病気だったろうって……昨日まで元気だったんだよ、あの人」

「ああ、俺も朝金借りた。別になんともなさそうだったのになぁ」


 目の前で、近所の付き合い程度の男女が交わす会話を前に、朧は隣で佇む椿の手を引いた。椿ではどうやっても丈が足りずに、声だけを聞こうとしたようだが、声が多すぎてそれも諦めた様子だった。


「何か見えた?」


 椿の声を無視してその場を離れ、更に人気の無い道へと入り込むと朧は袖から白鼠を引き摺り出す。朧の手で今にも握り潰されそうな状態となってしまい、やや苦しそうである。


「おい、相手は子供だろう。そう易々と大の大人がやられるのか?」

「それは、なんとも。私も人間が茶器を使ったという話は記憶にございませんので」

「それで、子供は此処にいるのか」


 小鼠一つ、握り潰すなど容易だ。言葉で言わずとも、今にも雲水を殺さんとする程に鋭い瞳がそう告げているようで、雲水は白い綿毛をぶるりと振るわせた。

 

「……あ、」

「あ?」


 朧の口から発せられる意味の無さない濁った音すら、雲水は言葉を詰まらせてしまいそうだった。が、なんとか恐る恐る――

 

「……常夜とこよの道へと入ったようで」


 と、告げた。

 鼠のように逃げ足が速いですな、なんて茶化す言葉が出なかったのは、これ幸い。そんな事を口にしたならば、白鼠を掴むその手が、きゅっと締まっていた……かも知れない。


「お前、何か隠していないか?」


 地の底から這いずってきたように一等低い声。闇とすら同化してしまう男の目が、ぎらりと赤く光っていた。

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