九 魂喰らい①

「なあ、この茶器で金を貸してくれないか」


 質屋の入り口に、見慣れない子供が一人黒い桐箱を手に立っていた。

 質草で溢れた店の中は、障子窓すら埋めてしまって昼間だと言うのに薄暗い。店主は声と背丈で子供と判断したが、顔は翳りでよく見えなかった。


「母さんに薬がいるんだ」


 背丈からも、声からもまだあどけなさが残る年頃だろう。妙に落ち着いた口調が気になったが、店主は店奥の勘定場から身を乗り出すと「どれどれ」と言って、桐箱を渡すようにと手を伸ばした。

 漆で艶のある 桐箱。それを手にした瞬間に店主は、妙な感覚に囚われた。何と言えば良いのか……絵も言われぬ感覚を前に小首を傾げる。焦燥感にも似た……早く、桐箱を開けたくてたまらなくなったのだ。


 ――早く、茶器を見てみたい。この手で触ってみたい……


 そんな欲望が突如として湧き上がる。まだ見ぬそれが、どんな形なのかも知らないのに、だ。

 店主はそれが客から渡されたものだと言うことも忘れたように、呑まれていた。

 蓋を開ける事すらも慎重になり両の手の指先でゆっくりと桐箱の蓋を持ち上げれば、薄暗い中でも黒釉が鈍く光る。その光沢だけでも、店主は「ほう」と熱い息を吐いた。

 何と、素晴らしいのだろう。めいを確認した訳でも、茶器の造りをみたわけでもない。しかし、思考は勝手にこの茶気は崇高なものであると確信してしまった。

 目でその上部を見たのなら、今度は全貌を――そう思った手は、躊躇いもなく茶器の蓋へと伸びた。蓋のつまみに触れて、ほんの少し持ち上げた瞬間だった――――


 店主の目から生気が消えた。蓋の摘みが零れ落ちて、そのまま後ろへと倒れ込んでしまう。そのまま、店主は指先一つとして、ピクリとも動かなかった。

 子供は、その店主を前にして静かに桐箱の蓋をすると、店主の容体を確認する事もなく。店主の顔を一瞥だけくれて、何事もなかったかのように店を出て行ってしまったのだった。



 ◆◇◆◇◆

 


 小太郎は、冷静だった。多分、人を殺したのだろう。そんな感覚がぽつり、ぽつりと腹の底から滲み上がっては、殺したのは自分ではなく茶器なのだと言い聞かせる。


 ――俺は、触らせただけ。大丈夫、俺は殺してない。それに、


 罪に苛まれるよりも、小太郎もまたに呑まれていた。そう、例えるなら使命感のようなものだろうか。この茶器にまだまだ魂を入れて、完成させなければならない。老爺の思惑とも違うであろう思いが、罪の意識を打ち消して――更には母への強い想いが小太郎を突き動かしていた。

 そうなると、小太郎は次の目標を定めようと、慣れない往来を歩きながらその目は右へ左へと動かす。


 ――できれば、強欲な奴が良い。そう言った奴は、きっと簡単に茶器に手を出す  


 ふと、小太郎の視線が家々の隙間の暗がりへと向かった。人目が届きそうにない、その先も見通せないそこならば――そう考えるが早いか、小太郎の足は真っ直ぐに目標へと動かした。

 茶器をしっかりと抱え、小太郎が歩くたびに、茶器からは水が入っているような音が、ちゃぷん――と響いた。



 ◆◇◆◇◆ 

 


 登離とうり宿じゅくの西方から進んだ、少し手前。

 ざあ――と葉擦はずれが微風にささめく音に耳澄ませば、初夏の青々とした並木道が見えてくる。二間(三・六メートル程度)の幅の道には所狭しと石畳が敷かれて、並木が優しく光を遮るそこは、薄暗くもあったが暑さ忘れる涼しげな面も兼ね備えていた。


 木漏れ日の光を遮る手を頭上に翳しながら、椿はその緑青ろくしょうの道にて太陽を見上げた。ざあざあ――と、雨音にも近い耳心地を感じつつも、雨滴とは違う暖かな日差しに当てられて、思わず頬も緩む。

 足の裏に感じる石畳の感触が幼い記憶を呼び起こし、弾みそうになる胸を抑えては、ゆっくりと歩いて前方へと顔を戻す。目線の先に、小さな宿場町が見え始めた。


「それで、白鼠しろねず。例の子供は何処にいる」


 椿と朧。そして、朧の袖に隠れた白鼠は登離宿へと足を踏み入れた。町人や旅人が行き交い、穏やかそのものの風景が過ぎ去っていく。一見、問題は起こっていないように見える。


「その、どうにも鼠達が言うには、下手に子供に近寄れなくなったようでして……」

「わからんのか」

「そのようです」


 朧の袖口から顔を覗かせては、また項垂れる。

 であれば。朧は隣を歩いている椿へと視線を落とした。が、問いかけるよりも早く、椿は口を開く。その目は何処とも知れない遠くを見ては、薄暗い色を宿していた。


「……雲水さん、お探しの茶器ですが……あれは人を殺せますか?」


 緑青の道を楽しんでいた時とは違う、冷めた椿の瞳が遠方から外れて小さな白鼠を刺す。

 観念したように――いや、いずれは説明するつもりだったのだろう。ただ、それを知ったところで白鼠にとっては喰われる人数が変わるだけで然程重要な事でもなかったのか、淡々と語り始めた。


「あれは、たまらいの器でして。主人は人間の血肉は嫌っていましたが、人の魂は良く喰らっていたそうで。特に酒に漬けて飲むのを好んでいたとか。故に、より美酒を楽しむが為に主人の力が込められた物であったと記憶しています。で、あの茶器は人の魂をするりと吸い込んでしまう造りなのだと……そこに酒を入れるとよく馴染むのだそうで」


 要は、雲水の主人は人喰いを当たり前としていた存在という事になる。それも話だけでも相当に人数を喰らいながらも意識を保っていた。それは最早――神か、それに準ずる存在となる。


「……お前の主人は一体何だ」

「正確には、私の直接の主人という訳では御座いません。何代も前の私の血筋がお仕えしていた方というだけです。私は名前と共に、わずかな記憶と家と茶器を引き継いだだけで詳しくは知り得ません」


 引き継いだからには、茶器を護らなければならない。そう語った雲水には、茶器を取り戻す事しか頭に無いようだった。

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