十一 魂喰らい③

 小太郎に道はよく見えた事だろう。常夜の道は真っ暗闇であるのにも関わらず、提灯無しでも何処に行けば良いのかよくわかった。

 小太郎には見鬼の目がある。これさえあれば、迷いもしない。家に帰るのにも真っ直ぐだ。

 

 ――あと一人分

 ――酒を買って帰ろう。そんで母さんに飲んで貰えば良い


 小太郎の歩調は次第に速くなった。

 母に薬を。

 ほんの一日の事だが、そばを離れてしまった事も起因しているのだろう。だが、それ以上に薬を飲ませてやれば治るのだと信じた心がそうさせるのもあった。

 はやく、はやくと。

 小太郎は真っ暗な道を迷いなく進む。そして――



 小太郎は、月が浮かぶ夜の下へと辿り着いた。

 ホオ、ホオと、静かに鳴く梟の声すら懐かしく感じる。潜った鳥居から西方へ目を向ければ、うっすらとだが、暗闇の中に町の姿が浮かんでいた。


 帰ってきた。その言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、小太郎の足は一目散に町へと走り出していた。






 

 町へ帰った小太郎がはじめに向かったのは、酒房だった。

 茶碗一杯分の酒だけをくれ、という小太郎を前にして軽々と栓のしまった酒徳利を一本差し出した。単純に親に買ってこいとでも言われたとでも思われたのだろう。酒房の店主は銭を受け取ると、店の外へとかけていった小太郎に目もくれなかった。


 そのまま真っ直ぐ家へ。長屋が続く通りを進んで、井戸の一番近い家。母には隣村まで出掛けてくると言ったきり、小太郎は何一つ伝えてはいないのだ。

 小太郎の母は、もうまともに働けない状態が続いている。母が今までに稼いだ金と、親族が貸してくれた金。あとは、仕事を見つけた日だけ小太郎が日銭を稼ぐ程度だ。それだけで食い繋いでいる日々。一日中小太郎が側にいる事もあるのだが、一日ほったらかしにしたのは、これが初めてだった。何かと不便だったかもしれない。心配もしていたかも知れない。もしかしたら、怒られるかも知れない。いつもであれば悪戯をした日は恐々と身体を強張らせてしまい重いと感じる戸も、今日ばかりは軽々と開いた。


「母ちゃん、ただいま」


 家の中は、真っ暗だった。

 とっぷり日も沈んだ時間は、眠っているのかも知れない。けれども、小太郎はすぐに母の状態を確認する必要があった。


「母ちゃん、寝てるのか?」


 一度抱えていたものを上がり框へと置いて、土間から草鞋を脱いで自分もよっこいせと上る。すると、古い床がぎしりと唸った。

 

 家に帰ってきた事が嘘のような、嫌に静かな夜。初夏の夜に虫の音も響かぬとなると、静けさが耳鳴でも引き連れてくる。キイ、キイと何か悪いものでも耳に入ってきたかのような……甲高い、小鬼の鳴き声のようで、真っ暗闇の中、小太郎は母が寝ているであろう長屋の奥へと駆けた。

 

 駆けたと言っても長屋は狭い。親子二人で住むには事足りる程度の家は、そう何歩も歩けないものだから、ほとんど母に向かって飛びついたようなものだ。布団の端を飛びついた指先が見つけて、山になっているそれが静かに上下したのがようやっと視認出来た。

 すう、すうと繰り返す寝息を耳にして、「はあ」、と安堵の息が漏れたのは言うまでもない。そうしてやっと、早鐘打って慌て散らした心臓が落ち着くと静かに眠っている母の身体を揺すった。

 何度か小刻みに揺すって、ようやく「うう」と寝言のように唸っては身体を捩る。それも、薄らと開いた瞼の中に小太郎が入り込むと、眠りから覚めたようで口が動いた。


「……小太郎……帰ってきたのかい?」

「うん、今帰った。母ちゃんの為に薬を貰ってきたんだ」

「薬?」

「そう、どんな病も治る薬だって」


 そう言った小太郎は、置いたままになっていた桐箱と酒を母の枕元まで寄せた。桐箱の蓋を開けようとするも何かを躊躇って、もう一度、小太郎の瞳は夜闇の中をもぞもぞと動く母の姿を捉えた。


「母ちゃん、薬……まだ完成してないんだ」

「その箱の中にあるんじゃないのかい?」

「あと一個入れる物がある。そんで、それに酒を注いだら終わりだ」


 すっきりとした顔で言い放つ小太郎。母のためならば、その想いで他人の命までも器へと溜め込んだ。ならば、最後は――

  

「じゃあ、魂は集まったんだね?」  

「……母ちゃん?」


 母は、小太郎の覚悟を前に嗤った。

 嫌な……老爺を思い出させる笑い方だった。


「小太郎、早くお前の魂を……」

「母ちゃんをどこへやった‼︎」


 声を張り上げた小太郎は勢いのままに立ち上がった。


「いるだろう、目の前に」


 ケタケタと。母は老爺と同じ気味の悪い野太い声で嗤った。もう、それが真実を物語っているようなものだった。

  

 母は、喰われたのだ。


 愕然と膝をつく小太郎を目の前にして、姿は三日月型に口を歪めては、小太郎へとにじり寄って顔を覗き込んだ。


「小太郎、ようやってくれたな。礼を言う」


 無情な声が、夜のそこで這いずり回る。小太郎の目には涙が浮かび、もう一歩動くことができないでいた。

 その姿に、母であった何かは舌なめずりして腹の具合でも見るように、己の腹を摩る。


「そういやあ、見鬼は喰ろうた事がない。茶器に沈めてしまうには勿体無いな」


 母の形の手が、小太郎に伸びようとしていた。その時だった。


「御免下さい」


 鈴音にも似た声が、凛と鳴った。

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