五 依頼②

 椿は不安を浮かべならがも、掌の上にある金銀を眺めた。


「椿、そんなもん俺が。そんな事の為に何するかわからない精霊しょうりょうの所なんかに行く必要はない」


 朧は椿がキラキラと輝くそれに気取られていると思ったのか、手放させようと必死になってか口調が強くなった。その口調に紛れて、甘く痺れるような感覚が薄らと椿に絡みつく。朧が力を使った時の感覚が椿を膜に閉じ込めんとするよう。

 だが、服従させる程には力は込めていない。無意識でない明瞭な意志の前では、軽い支配など簡単にすり抜けていった。

  

「……なんで……朧は、何するかわからないって知ってるの?」

「……匂いがする。あの山は、人を喰ってる」

「喰っとるのは全部男や。女には手を出しとらん」


 椿を心配するが故に強まる朧の口調とは違い、松柏の回る舌の軽い事。軽薄だが、事態の深刻さは感じさせない。

 松柏の態度が気に食わない朧の目つきは、さながら狐を睨む狼である。牙の代わりに、その身からどろりと黒い靄が滲み出て威嚇でもしているよう。朧の精神に呼応するように、どろり、どろりと、感情のままに溶け出して広がる。

 

 だが、その様子に危惧した椿がそっと朧の手に触れる。ほっそりとした指先の感覚、更には椿が朧の名前を呟けば、黒い靄はたちどころに霧散して強張っていた顔すら眉間が消えて穏やか……とまでは言い難いが、仏頂面へと変貌する。

 ムスッとした目線が椿へと向けられ、物言いたげではあったものの、椿の落ち着いた眼差しを返され朧は言葉を飲み込んだ。

 

「このままだと人里へも被害が広がる――それを松柏しょうはくさんのご主人は気にされているのですか?」

「俺らにとって人間なんてのはどうでも良い。問題は山の方や。既に一年で五人は喰っとるはず。別に人間喰うなとは言わんけどな、喰うと気が違える場合があるんや。それが土地に影響を与える精霊ともなるとな、土地が荒れたり他所を荒らしたりと面倒ごとが起こる。それを避けたいんやけど、既に俺の声は届かん。椿ちゃんが行けんなら、俺も帰って報告するつもりや」


 報告が何かは言わない。が、厳しい目つきからも采配は忌避されるものなのだろう。松柏もその道が避けたいと考えているのやもしれない――椿は勝手ながらもそう判断すると、決意したように小さく頷いた。

 

「じゃあ、やります」

「椿!!」


 朧の声色の僅かな変化。ほんの僅かだが、再び甘く痺れる様な声が混ざる。いつのなら、椿は耳聡いが故に朧が僅かな力を込めただけでも、簡単に意識を逸らす事ができる――のだが、椿が確固たる意思を持っていっとなると話が変わる。

 光を帯びた椿の双眸が、朧を刺した。


「朧が私を心配しているの分かってる。でも、助けてあげたい」

「椿には関係ないだろ」

「無いよ。でも、大事な人がいなくなってしまう辛さは知ってる」


 椿の目は強さを見せながらも、何年も前に亡くした両親を想って静かな悲しみを映す。


「別に、誰も彼も助けようとしてるんじゃないの。前にあったでしょ? 朧が通りすがりの人を助けた事。それと一緒」

「それとは、違うだろ」


 ほんの気まぐれで朧は旅人に力を使ったことがある。それと同じなのだと、椿は言うと朧へと向かって淑やかに笑って見せた。

 

「じゃあ、食べられそうになったら。朧が助けて。私、朧以外には食べられたくはないの」  


 一寸の恐怖心も見せずに吐き出した言葉。椿は今回ばかりは何を言われても譲る気は無いと意思表示したかったのだろう。これ以上の口説き文句もない。穏やかな笑みで惚気る姿は凛として、朧を閉口させるには十分だった。


「椿ちゃん、坊主の嫁さんにしとくのは勿体無いな。良い稲荷神いなりのかみ紹介するで、そっちにしとかんか」

「結構です」


 穏やかな笑みのまま、椿は松柏へと向き直った。


「依頼はお受けします。山頂に行って、を説得すれば良いのですよね?」

「そうや。元々、人を喰う性質のない奴や。俺や、坊主が近づくと警戒するやろうし一人で行ってもらう事になる」


 松柏は淡々と言い放つが、椿は迷いなく頷く。元より恐怖は薄い。

 

「もし、私が説得できなかったら?」

「残念やけど、現存の精霊はお払い箱で消されるな。山の主たる存在を消す行為やで、暫くはここらの土地は全て枯れる」


 戯けてはいない。けれども、どこか他人事で語る松柏の姿に椿は目を細めるも、わかりましたと頷いた。すると、間髪入れずに立ち上がる。


「手早く済ませてくるから」


 朧の顔はいまだに曇り空のままだ。反対こそしないのは、助けに行く自信はあるのだろう。せめて、椿は余裕を見せなければと朧にゆったりと笑いかけた。 

  

「行ってくるね」

「ああ」

「頼んだで」


 不服そうな声と軽薄な声の二人に見送られ、椿はトコトコと枯れた山へと目指して歩き始めたのだった。

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