四 依頼①
椿の目の前には、向かい合う形で狐目の男が縁台に座っていた。椿の隣には静かに茶を啜る朧だが、目線を落とし何処となく気落ちした様子を見せる。
松柏の存在に驚いたと同時に、
椿は朧をそっとしておくと同時に、ニヤニヤと笑みを絶やさない
何とも寂しい。しくしくと、絶えず女のか細い泣き声が、椿の耳に響き続けていたのもあって余計にそう思える。
不気味だが、薄弱と悲しみに暮れる女の姿が椿の脳裏に浮かぶ。
淡い、淡い薄紅――桜色の着物を着た女が、横たえる男――老人に縋る姿。山桜咲き乱れる中で袖を濡らして、泣き暮れる女の側で老人はいつしか白骨となっていく。老人の姿が変わると同時に、段々と野山は枯れた。
――大事な人を亡くしてしまったのね……
同調の波が椿に押し寄せた。悲しみに暮れた泣き声は、チクチクと椿の精神に突き刺さり次第に膜となって心を覆い尽くしてしまう。そうなれば、感情が飲み込まれ椿は山桜の女の感情に取り込まれたも同然となる。
ポツリ、ポツリと、紅に染まる頬を涙が濡らしていた。
「椿」
ふっと、息吐く様に椿の頭から薄紅の景色が消えた。代わりに常闇の黒が椿の景色を埋めていく。朧の声が、椿の脳髄を支配する瞬間でもあった。
暗闇は椿にとって恐ろしいものでは無い。寧ろ慣れ親しんだ一番身近な色だ。慣れ親しんだ世界が――何も見えないという状態が、椿にとって精神を一番落ち着かせる材料なのだ。
朧がそっと、闇の中で椿に触れたなら、椿の意識は完全に朧へと向かっていく。
「椿、同調し過ぎるな。思考まで取り込まれる」
「……ごめんなさい」
朧が袖で椿の頬をそっと拭う。今すぐに帰ろう、と言いかけた朧の声に「何が見えた?」と声を被せて狐目がさらに目を細めて醜悪な笑みを見せた。松柏が声を被せたのはわざとだろう。ニタリと笑う顔は、しとしとと小雨の如く泣き暮れる女よりも不気味だった。
「椿ちゃんやったな。何か見えたんやろ?」
「……桜色の着物を着た女の人が、山桜の中で男の人を看取っていた……それだけです」
「なる程、なる程」
態とらしく顎に手を当てて考える素振りを見せるが、その実、楽しんでいる様にも見える。
「松さん、俺たちはもう帰るよ。椿の精神によくない」
「それは困る。椿ちゃんには俺の代わりに山に行って欲しい」
椿の手に痛みが走った。椿の手を握る朧の力の加減に思わず顔を顰める。朧に訴えようとするも、強張る顔つきに椿は何も言えなかった。
「松さん、あんたは――」
「俺はな、とあるお方にお仕えしててな。これでも
「……天狐って……狐?」
反応したのは、椿だった。
脳裏に過ったのは、お
たった一度きりだったが、両親に連れられて小さな舞台の演目を
「そうそう。
「……それが何で椿が行く話になる」
「俺が行っても、何も話聞いてくれないんや。この距離で
この通りと言って松柏が袖の下から取り出して椿へと差し出したのは、白珊瑚に紅玉と真珠があしらわれた
手のひらでころりと転がされたそれ。簪の紅玉と真珠は鈍い光に当たっただけでもきらきらと輝きを放つ。また、鼈甲は黄色味が薄く、手相が見通せる程に透き通っていた。
「金とか銀の方が良いか?」
松柏は胸元を弄り何かを取り出そうとするも、椿は掌の上の簪と櫛に釘付けで聞こえてはいない。どれもこれも初めて目にする輝きと色味だった。
特に珊瑚の白に映える紅玉色が、少し簪を揺らしただけで、きらり、きらりと輝きを放つ。あまりに熱心に魅入るものだから、誰の目にも椿が心惹かれているのは一目瞭然だった。
「なんや、珍しかったか」
「……初めて見たので」
「やからって、簪ぐらい坊主から貰ったやろ」
あはは――と冗談混じりに笑い飛ばす松柏だったが――
「そう言えば、そういったものは買った事がなかったな。欲しかったら買ってやるから、それは――」
「ちょっと待て。お前、簪の一つも贈っとらんのか」
「依頼は受けさせねえよ」
「そうやなくてな。お前、男が女に簪贈る意味知っとるか!?」
「知らん」
「お嬢ちゃんは知っとるか!?」
「知ってますけど……朧が知らないのは無理もないかと」
生きている時代も環境も違うのだと言う椿に対して、松柏は大袈裟に顔を覆う。「あちゃあ」と声まで漏らして、流石に亭主に簪や櫛を貰った事もないのに渡せない。そう言って、椿の手の上から簪も櫛も取り上げてしまうと、代わりに豆粒程度の金と銀を一粒づつころりと転がした。
「報酬は、
「さらっと押し付けるなよ」
「ちょっと山行って話聞くだけやって」
牽制する朧に、茶化して答える松柏。決着が着きそうに無い中で、掌の中にある金と銀を眺めながら椿はぽつりと零した。
「私で役に立つのでしょうか」
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