十二 旅

 奇妙な噂話が広まった。

 

 とある村が、一夜にて村長一家を含む村人全員が跡形も無く消えたと言う。其処は桃源郷と名高い豊かな村だったらしく、近隣の村の者達は驚嘆するばかりだった。

 いわく付きとなった村ではあったが、桃源郷という噂に欲を覚えたか、誰も居なくなった土地には多くの者が消えた村人の親族だと名乗って勝手に住み着いた。

 

 だが、移住者の多くが頭を抱える事態が待ち受けていた。


 種を蒔けども芽は出ない。

 苗を植えても、すぐに枯れてしまう。

 森へ入っても蚕どころか、まともな虫一匹見つけられない。

 仕方なく獣を狩ろうとするも、気配すら見当たらなかった。


 更には住み始めた家は突然朽ち始め、酷いと陥没や屋根が落ちるなんて酷い有様。

 修繕しようと木を斬りに出れば、斧が折れる始末。

 最終的には、井戸まで枯れた。


 結局、新たな移住者たちは、何一つとしてとやらをあやかる事は無く。泣く泣く元居た住処に帰って行ったのだとか。



「なあ、その噂の村ってよ、一昨年の冬だろ? だあれもいなくなったの」


 春。桃の花も散りかけた、暖かい日差しの穏やかな日和。とある街道の小さな茶屋で、一服していた二人の旅の装いの男が、蓬団子を頬張りながら世間話の調子で、丁度追加の茶を手に出てきた茶屋の娘に話しかけていた。


「そうですよ。その噂、今だに色んな人が話すんですよね」


 娘も慣れているのか愛想良く茶を渡しながら返す。

 

「じゃあ、お嬢ちゃんも詳しいか?」

「私は聞いただけですから、詳しいとまでは」

「知ってる事で構わねえよ。なあ、桃源郷なんて噂があった程なんだろ? お嬢ちゃんは場所は知ってるかい?」

「お前、女房子供置いてきた身だろ、何言ってる」


 浮き足だつ男を前にして、隣で聞いているだけだった連れの男は、眉を顰めて苦言を呈す。

 

「そんなもん、こっちに呼びゃ良いだろうよ。良い土地があるなら、もうちと良い暮らしさせてやれるだろうしよ」

 

 男は楽観的だった。まあ、桃源郷などと言う場所が現実にあるならば、其処で暮らしたいと夢見る事もあるだろう。

 だが、突如。男の夢見心地な気分を破壊するかの様に、声が降り注いだ。


「やめた方が良い」


 茶屋の端にいた夫婦と思しき一組の男女。黒い着物と茜染め色が並んで背を向けて座っていたのは男も知っていた。特にそれまで気にする事もなかったのだが、黒い着物を纏った男の声は妙に気になる声色だった。

 変な意味じゃない。深い男の声の中に、妙な音が混じっているような奇妙な感覚とでも言えば良いだろうか。男が今にも首を傾げようかとしていた矢先、その声は、浮き足だつ男に背を向けたまま言い放った。


「あそこはもう、作物は育たない。下手に手を出すと痛い目を見るぞ」


 矢張り、奇妙な声。男は首を傾げるも、言葉を突っ返した。

 

「なんでえ、あんた詳しいのか」

「俺も人から聞いただけだ。もう一度言っておく。

 

 そう言って、黒い着物の男は茶の代金を置いて女と共に歩いて行ってしまった。

 何とも奇妙な雰囲気の男ではあったが、女と並んで歩く姿は仲睦まじい夫婦だ。その姿も段々遠ざかり、男の意識はすとんと地を踏む感覚と一緒に店へ戻った。


「……お客さん、さっきの人の言う通りですよ。良い話ならもっと良い話が広まって、土地なんて買い尽くされてますよ。それに、本当にある日突然人が消えたって話ですし、悪い事のあった土地って噂もあるんです。移住なんてやめた方がいいですよ」

「……そうか……そうかもな。はあ、地道に働くかあ」

「ああ、そろそろ休憩も終わりにして仕事を終わらせないとな」

「へいへい」


 男は夢見心地が一瞬で消え去ったかのようにさっぱりと諦めを見せ、金を払うと旅の男二人は茶屋の娘に別れを告げて再び目的地へと歩き始めたのだった。



 ◇



「さっきは、随分とをしてあげたのね」


 茜染め色の着物を着た椿は、ゆったりと歩きながらも意地悪く朧を見上げた。その視線の先は、澄ました顔で歩く男――夫である朧は、不敵に口に端を吊り上げて笑って見せる。

 

「偶には、な。あそこに行っても、残った呪いの毒素に犯されてまともに生きてはいけないだろうよ」

「そう」

「それで、次は何処に行きたい?」

「……前に、山桜の話をしていた人がいたでしょう? そこに行ってみたいわ」

「じゃあ、そこにしようか」


 長閑な街道を夫婦が身軽な旅の装いでゆったりと進んでいた。目的もなく、何者にも縛られない二人だけの旅路。

 気が向くままに、つらつらと歩く二人は歩調を合わせて道を行く。


 の道や、さて何処いずこに向かうのか。




 第一幕 了

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