十一 解放

 ◇



 暗闇で過ごす最後の日が近づいていると朧は口にした。

 椿を腕の中に抱く姿は、別れを惜しむかの様。再び花嫁姿に身を包んだ椿を最後の一時も逃すまいと、椿の頬を撫で、着物の隙間から見える肌に指が這う。哀愁すら漂い慈しみが籠もったその行為の心地に、椿は身を預けた。


『封印を解く方法は恐らく村長一族だけが知っている。元々、を集めたのは村長一族だろうからな。それにからは、殆ど何も見えちゃいない。お前は、何が見えた』

『村長は、一つの扉を開けたら何処かを閉めるを繰り返していました。そういえば、最後に扉を開ける時は、鍵を掛ける音がしていました。あれは――』


 距離を考えれば、あの音は最初の扉の鍵だったのだろうと椿は思い返す。

 鍵を閉めなければならない理由があった。そう思うと、蔵の手順が見えてくる。

 ただ、それを知れた所で封印を破ることが出来るかどうかは賭けに近い上に、三百年の因習を取り除くことは容易ではないだろう。椿は悶々と考え込むも、朧がふっと笑う声に意識が向く。

 

『椿、お前は既に半分は人から違えた。新たな存在として、俺の眷属としての新たな力が生まれている。まだ弱々しい力だが直に慣れるだろう』

『……でどこまで出来るか』


 不安は、封印の解呪だけでない。椿の目も十分な不安要素だった。だが、朧は軽く笑った。


『言っただろう。お前は俺の眷属となった。お前の目もまた、解放されたのだ』


 今はまだ、全てが暗闇でしかない。

 けれども、外に出れば見えるのだ。その事実だけで、椿にはそこ知れぬ不安が消え去る感覚があった。だが同時に、目が見えると言う事実を噛み締め他瞬間に、ふっとあらぬ考えが浮かんだ。 

   

『…………もし、私がそのまま逃げたなら、どうされますか?』


 椿は、意地の悪い言葉を投げかけた。

 椿の瞳に儚さが浮かぶ。自分が裏切るかもしれないと口にして、朧がどう反応するかを試しているかの様でもある。

 

『俺は、今回の贄は喰っていない。その上でお前に力を渡した。来年の豊作は望めないだろうな。そうしたら、村長一家が、また大量に贄を連れてくるか……それとも力を土地に全て吸われて消えるかだろうよ。それでも構わん。椿の好きにしたら良い』


 清々しいまでにあっさりとした答えだった。答えが真であると証明するためにか椿の頬が包まれる。両の手の温かみに酔いしれるまもなく唇が塞がれた。

 温もりが煙のように離れ消えていく感覚と同時に、椿の帯に差し込んであった懐剣がすうっと抜かれた。チリン――と鈴音が転がる音と共に、朧は闇に溶けて消えていった。



 最後の余韻に浸り、椿は指先で己の唇をなぞった。

 はっきりと人も同然の感覚が残り、愛しくも切ない。朧は己を化け物と言ったが、声も温もりも到底そうは思えなかった。

 

 化け物は、大量の人を殺して繁栄を当たり前に享受している――この村だ。村長だけではない。村人全員が、贄の存在を知っている。

 作物が人の命の上に成り立っていると知っているのだ。

 

 椿は、扉が開くその時を待った。そして――――



 ◇

 


 椿は、一人縁側に座って夜空を眺めていた。村全体を黒いもやに似た何かが覆い、全てを喰らっていると知っても、膝の上に置かれた手の指先にすら何の反応も示さない。

 

 村中で悲鳴がこだまする。老若男女関係なく、を受けていた全てに呪いが還る時が来たのだ。

 恐怖が、狂気が、村を巡り覆い尽くしても、椿にとっては他人事も同然だった。


 椿は、待つだけ。

 を待つだけだった。会いたいとすら願うを――――


 

 


 激しく荒だった足音が椿の背後――廊下を響かせた。


「花嫁殿! これはどう言う事だ!?」


 椿は首をそちらへと向けも興味がないと言った様子。村長の息は荒々しくも顔は恐怖に凍りつき蒼白に染まっている。手には鋭い包丁が握りしめられていたが、虚勢を張りながらも小刻みに震える姿は椿の瞳にすら滑稽に映った。


「彼は、外に出る事を望みました」

「それをあんたが叶えたとでも言うのか!? なんて事をしてくれたんだ!!」


 村長は近づいては来ない。椿すらも中身の知れない何かに思えているのか、恐ろしくて近づいてこれないのだろう。絶望のどん底と死が其処まで迫り、恐怖に怯える男を尻目に椿は妖艶に微笑んだ。


「儀式は失敗だった。それだけです」


 他人事のように言い放った椿は、再び夜空を目映まばゆ白月はくげつや瞬く星々が夜空を照らす様を前にして、死に怯える者など矮小な存在でしかない。


 無邪気に星を眺める椿の姿に、村長の怒りは頂点へと達した。怒りが恐怖に勝り鬼の形相で躙り寄る。殺気が足音に変わって、ドシドシと畳が鈍く鳴る。椿の真後ろへと立った村長は、殺意を込めた刃物を振り上げた。



 

 が、高々と振り上げたその手は、ピタリと動きを止めた。黒い靄が村長の腕に絡み付く。まるで虚無の闇。深淵の向こうからこちらを覗かれているような恐怖と共に辺りは黒い靄で埋め尽くされていた。

 村長の身体は悲鳴も上げる間もなかった。ずるずると暗闇の中に引き摺り込まれ、僅かな黒い靄の蠢きと共に跡形もなく消え去った。

 何ともあっさり人が死ぬ。

 そんな瞬間でさえ、椿は夜空から目を離さなかった。


 

 だが不意に、チリン――と、小さな鈴が静寂の中に鳴る。


 覚えのある鈴音に椿は再び振り返った。

 其処には、男の顔。黒い着物を纏い、今にも闇に溶けて消えてしまいそうな程に黒い髪色。目は鋭くも妖しげな赤。

  

 ――朧、


 手に触れた感触でしか知らない男のはずなのに、椿には一片の迷いもなかった。

 すぐ様に駆け寄り、頭一つ分違えた身の丈の顔へと両手を伸ばし、ふわりと髪を梳き、そっと頬を撫ぜた。


「これが……朧の本当の姿?」

「どうだろうな、色んな奴の姿が混じってるかもしれないな」


 朧の存在が現実であると確認するかの様に、優しく繊細に触れる指先。その指先ごと、朧は椿の手を捕まえた。


「全部終わったの?」

「ああ、終わった」

「じゃあ、私との約束を守ってくれる?」


 朧は捕まえた手に口付けを落としながらも意地悪く笑って見せる。煌々と輝く赤い瞳が、鋭くも妖しく椿を見つめた。


「……椿。見える様になった今、本当に死にたいのか?」

「見えたところで、もう行き場も無い。一人で生きるのも、もう嫌なの」


 椿は双眸で朧を見つめ返した。決意を見せた時とは、また違う瞳。命を宿されたそれは、研ぎ澄まされた様で深淵の様な深みと仄暗さを秘めている。朧が椿を手放せば、また儚い色に戻るであろうその眼差しに朧は満足気に喉を鳴らして笑った。


「一人でなければ良いのだな――なあ、花嫁殿」


 朧は握りしめていた椿の手を強く引き寄せて、椿と唇を重ねた。頭を抑え腰へと手を回し、決して椿を離さなかった。漏れる吐息は熱く混じり合い、気が付けばどちらともなく繰り返す。

 

 

 虫の音も響かぬ静かな深い夜。月影の囁きの中、二人は闇夜に溶けていった。

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