八 八日目

 七日の儀式が終わりを告げた。


 その日は朝靄が濃く村ごと山々を覆い、手を伸ばした先の向こうは視認出来ない程だった。村長の背後にいる二人に持たせた提灯が、霞んだ視界を照らすには物足りない。

 足場は悪い。視界は悪い。風も無い為空気が滞留して重い。はっきり言って仕舞えば、最悪の日和と言える。それでも、村長は、後継である息子と口の固い下男を伴って、蔵へと赴いた。

 七日間の儀式の結果を知る為に。

 もし、供物がそのままあったら――そんな、恐ろしい考えが浮かんで村長は身震いをした。そのような事があった場合、儀式は失敗となり来年の実りは期待出来ないものとなる。更には、村人の何人かの命が代わりに喰われる事もあると云われているのだ。


 


 三百年程前だろうか。国全体が大飢饉に見舞われた歴史がある。刀根田とねだ村も、もう立ち行かない所まできていたという。

 

 だが、そんな折。

 呪術師を名乗る女が村へと現れた。

 狐面を被り、着物も随分と身綺麗に整っている。そこらの村や里の生まれでない事だけは誰の目にも明らかだ。

 その女が、最後の財を賭けてみないかと村長の祖先に持ちかけた――という手記が村長一族に遺されている。


 

 “蠱毒こどく”という呪術を用いて、村に繁栄を取り戻す。実しやかな話に、誰が耳を傾けるというのか。だがその時は、藁にも縋る思いだったのだろう。

 村から出る犠牲は無い。ただ、一度財は全て捨てる覚悟が必要である。と、呪術師は告げたという。

 当時の村長であった男は、相当に頭を悩ませた事はずだ。だが、既に金などあっても喰うものが無いという状況下であった。

 そして――――




 

 

 斯くも、恐ろしい呪術によっては永く保たれてきた。その恩恵の正体を知った所で、祖先の誰一人儀式を止める者など存在はしなかった。勿論、村長も同様である。供物と十年に一度の犠牲で、当然の如く村は繁栄を続けるのだ。

 凶作も飢饉も存在しない土地を村人の誰もが手放しはしないだろう。

 今の一度も、仕損じた事はない。大丈夫だと。村長は己を鼓舞でもするように、何度となく同じ言葉を口の中で反芻した。


 そうして視界の悪い畦道を進み、境目を越える。蔵の前に立てば、あの日と同じく扉を開けては閉めるを繰り返す。行動は全てが慎重で、背後にいる二人もその様子に顔が引き攣りそうなまでに顔を強張らせていた。


 最後、三の扉を開けると、背後にいた二人は恐る恐るも中を照らした。

 何も無い、とほっと息を吐いたのも束の間。


 照らされた薄闇の中、ゆらりと何かが動いた。


 ゆっくりと、は傾き白い綿帽子が、揺れる身体に合わせて外れて落ちる。

 三人がその白を目で追った。見覚えのある白。それが花嫁の綿帽子であると頭が判断しても尚、花嫁が畳の上に倒れるその時まで誰もが目を見張ったまま指先一つ動く事すらかなわなかった。

 

 嫁入りの日のままの姿。

 供物は全て無くなっていたが、鮮やかな打掛の姿のまま、花嫁はそこに居たのだ。


 固まる息子と下男を他所に慌てたのは村長だった。生贄が生きていた前例はない。

 そこで無惨な殺され方をしたのだろうと思える残骸や血の跡が残されていた事はあっても、生きたまま帰ってきた事は一度としてなかったのだ。


 血色は提灯の薄明かりでは判断がつかない。村長は思わず花嫁へと近づいてその細い首筋に指で触れた。

 ドクン――と、触れた指先にしっかりと脈を感じて村長は後退さる。

 あり得ない。そんな言葉が脳裏に浮かんだ。

 

 ――これは、生かされたのか? それとも、目の見えない女が気に食わなかったのか? 八千矛神やちほこのかみに意志があるとでも言うのか?


 ――これは、本当に蔵に入れたままの女なのか?

 

 村長の脳裏は恐怖による猜疑心で埋め尽くされた。人の力では想像できない何か。恐ろしい何かを感じ取っていない思考はまともに働いてはくれない。が、花嫁を見つめて考え込んでいると、ふわりと肌に風を感じて顔を上げた。

 薄明かりに照らされた暗闇には何も居ない。は封印の手順さえ間違わねば、出られぬと聞いていた。実際にそれ迄、漠然とした恐怖以外をその身に感じた事はない。そうと理解していても、村長は何かが自分を見張っている気がしてならなかった。


 何かを、語りかけているような――――


 

『――――――――』

 


 突然だった。村長は落ち着きから一変して途端に顔を青ざめたかと思えば、花嫁を連れてすぐ出るぞと言い始めたのだ。

 慌ただしく息子と下男は花嫁の肩を支えるように抱えると、急足で蔵を後にしたのだった。




 ◇



 

「親父殿、あれは何ですか!?」


 村長の息子――平太は、声を荒げて父親である村長に詰め寄った。

 以前の儀式の時は平太はまだ十七だったが、はっきりと覚えている。その時初めて、将来後継という事を加味して儀式の役の持ち回りを受け持った。勿論、今年もだ。

 毎年手順を目で見て覚える。開けて閉めるだけの簡単な仕来りだが、絶対に間違えてはならない。後継として恐怖ごとを身に覚えこませねばならなかった。

 

 幼い頃から父に仕損じてはならないと言われていたのにも関わらず、平太は今日の光景に愕然とした。

 父親は儀式をしくじったのではないのか、と。

 不安が込み上げるなか、父親である村長は花嫁を気にするばかりか上等な座敷を用意し、身体を清めさせ、上客のように扱ったのだ。

 気違えたか。そう見間違う程に、村長は何かに怯えながらも花嫁を丁重に扱った。


 今も、無駄に広い客間の中心で眠る花嫁を前にして、ご丁寧にそばで顔まで覗き込んで。村長は花嫁の目覚めを待っている。

 だが隣で喚く息子に対して、何も言わない訳にもいかなかったのだろう。仕方なく重暗く影を落とした顔をそっと上げて平太を見やった。


「お前、何か聞こえたか?」


 ボソリと力ない声に、平太は不審に思うも首を傾げた。それは蔵でか、と聞き返すと村長はそうだ、とはっきりと断言した。


「さあ、何も聞こえやしなかったが」


 と、胡座をかいてさして考えが必要にもないのにも関わらず、思い出すように天井を見る。あの時、急に親父殿は焦り出したな、と思うと「何か聞いた」とは、でも聞いたという事だろうか。そんな考えが浮かんで、平太は軽口に「親父殿は何を聞いたんだ」と問いただす。


 すると、村長の顔は青ざめて嫌なものでも思い出したような顔色に一瞬で様変わりしていた。


「……奇妙な声だった。何と言ってるか、はっきりときこえたわけじゃねえが……花嫁を丁重に扱えとだけ。そう聞こえた気がする」


 金切り声と地鳴りが混ざり合ったみたいだったと、村長は溢す。


「できれば、二度と聞きたくねえ声だった」


 平太は、「へえ」とまたも軽口に返した。若さ故か、村長程蔵の存在を恐れていなかった。恐ろしさは感じている。けれど、間違えなければ問題は無いと刷り込まれた心根が、恐怖とは別の油断を生んだのやもしれない。だからか、理由を聞いても尚、ちらりと花嫁に目をやる。

 盲目とは聞き及んでいたが百合の花の如き美しさとあって、化生のモノとは思えず、喉を唸らせた。


「なあ、親父殿。この娘――」


 そう言いかけた時だった。

 花嫁の手が、ピクリと動いた。それから一呼吸もおかずにパチリと瞼が持ち上がり、呆然と

 身動ぎすら見せず瞬きもないその姿は殊更、幽玄の美に近づいているようだった。

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