六 とある男の話

 遠くで、合戦場の声が地鳴りのように轟いた。大地を揺らすほどの激しいぶつかり合いは、命が次々と消えていく。

 また戦だ。長く続く不作が故に土地と食い物の奪い合いで、人が殺し合う。

 だが、誰と誰が戦っていようがには関係の無い事だった。

 

 血生臭い光景を茂みの奥から覗いては、戦が終わるのを待つ。狙いは敗残兵。は、金目の物ばかりだからだ。


 の身なりは、ボロ切れの布を纏っているのと変わらなかった。手に入れた物は、着物を含めて全て売り払ってしまうのだ。

 自分が着る物なんかよりも、腹の足しにしたかった。


 

 今日も、は手に入れた物をいつも買い取ってくれる物売りの所へと売りに行く。は安く買い叩かれていると知りながらも、その物売り以外に売らなかった。

 明らかに戦場で手に入れた物を買い取ってくれる奴も、中々いない。何より、乞食のように薄汚れたの身なりを気にしないというのもあった。

 

 その日も、は殺した誰かの鎧と刃こぼれのある刀を手に、物売りの元へと向かった。

 山中にある不衛生な村。村と言っても、山賊の集まりと言っても相違ない程に不成者ならずものばかりの集落だった。

 男も女も生気がない、落魄おちぶれた者達の集まりがいつしか集落となったその村。そこに物売りとして現れたのは、まつと名乗った壮年の男だった。狐みたいにいつも目を細めてニヤニヤしては、飄々と現れる。身なりが良い訳ではないが、村人程荒んではいない。ただ、その飄々とした性格のお陰か、何故だか村にはよく馴染んでいた。

 その物売りの定位置は、村の端に置いてある座りの良い石の上だ。


「よう、坊主」

まつさん、これ」

「刀と鎧か……まあ、まだ使えるか」


 そう言って、松と呼ばれた物売りは品を受け取るとに五文渡す。これだけでは、今日の分は賄えても明日の腹は膨れない。


 不服が顔に浮き出たのか、の顔色に狐目がいつも以上に上機嫌にニヤニヤとし、人の不幸を喜んでいる……そんな人相を松は隠しやしなかった。


「なあ、坊主。良い儲け話があるんや。乗るか?」

「この前みたいに女攫う話なら懲り懲りだ。山に入るまでずっと刀引っ提げた奴らに追っかけられたんだぞ?」

「なんでえ、お前なら勝てたろうよ」

「あんな腕立つ奴ら何人も相手になんかしてたら、命が幾つあっても足らねぇよ」


 松は、「まあまあ」とを嗜めながらも、笑みは崩さなかった。


「もっと気楽な話や。何でも、二つ向こうの山間にある村で人を集めてるって話でな。どんな人間でもかまわねえって」

「それ、松さんに何の得があるんだよ」

「俺は紹介料が貰える。お前は手間賃。話じゃ、今日なんかよりもずっと稼げるぞ」


 松の言葉に心惹かれたか、立ち尽くしていたの眉が僅かに動く。は敗残兵なんかを山中で追っかけるばかりに飽き飽きしていた所だった。


「それ、俺だけに声掛けたのか?」

「いや、いつもの奴らの何人かには。五人ぐらいは行くって言ったな。紹介料が入る予定だからな、目的地までの飯代ぐらいは俺が出してやる」


 そんな美味い話があるわけがない。それでもは、いつだって空腹だった。


「わかった、行く」


 飯が食えりゃ、何でも良い。答えはいつだって単純だった。



 

 山二つ越える頃。滲み出てきた冬によって、雪が降り始めた。

 今年は特に寒い。一面の雪景色はにとっても、堪える寒さだった。

 悴む手を擦り合わせながら、やっとの事で辿り着いた村は、の村と同様に寂れた様相だった。                                                                                                                                                                                             

 皆腹を空かせ、荒んだ目を見せる村人達。今年の冷害の影響は、何処もかしこも同じらしい。

 まだ村人達が大人しい分、彼方あちらよりはマシぐらいの感想しか浮かばず、は何をさせられるのか疑問が湧いた。


 その村の端。山の麓の手前に、妙に大きな蔵があった。真新しい、その蔵は穀物庫か何か……だろうか。

 何処かの邸宅並みに大きなそれに、目を奪われるも松と共に村の代表に案内されて、それ以上は気にもかけなかった。

 

 到着早々、何故だか男達はもてなしを受けた。

 村長の邸宅の大広間には豪勢な料理に酒が並べられ、仕事の準備が整うまでは此処を使ってくれと言う。更には、村の女を用意されたりと、至れり尽くせりだったのだ。仕事は何かと訪ねても、まだ後続の者が全員着いたら説明すると濁され酒を勧められると言った具合だった。

 

 そうして、連日馳走が振る舞われ、腹も膨れ、ただ楽しい時間だけが過ぎていった。

 最後の一行が到着したのは、が村に到着してから六日後の事だった。


 その日、いつものように何もしていないのにも関わらず、歓迎の宴が開かれた。集められた男達は、飲めや歌えやで気分の良いだった事だろう。

 しかし宴が始まり皆に酔いが回り始めた頃から、一人、また一人と眠りの中へと落ちていくではないか。

 もまた、酒の酔いとは違う浮遊感が身体を襲った。眠気を覚まそうと頭を振っても、瞼は勝手に落ちていく。

 そして――――気付けば意識を手放していた。



 ◇



 が目を覚ました時には、辺りは暗闇だった。

 周りでは、人影らしきものがモゾモゾと動いては、どよめき、混乱の騒めき声が上がっていた。


「一体どうなってる!!」


 誰かが叫んだ所で、誰も答えられなかった。そこにいる全員が、同じく集められた者達だったのだ。

 手探りで扉を見つけては開けようと試みる者も居たが、は部屋の隅に蹲って既に諦めていた。


 ――やっぱ、あやしいはなしだったなぁ


 は松を心底信用していたわけでは無かった。元々胡散臭いと頭の片隅で考えていたにもあったのだろう。人生の最後に腹一杯、飯が食えたと松を恨んではいなかった。


 喧騒はの目の前で続いた。二日、三日と空腹が逆戻りして来ると、次第に人の精神を病んでいく。

 長く、暗闇に閉じ込められていたのもあったのだろう。ほんの些細な事で、誰かが誰かをうっかり殺してしまったのだ。


 そこからはもう地獄絵図が広がるばかりだった。殺意が波紋のように広がって、止める者も無し。いたとしても意味はなかったかもしれない。皆が皆、殺し合ったのだ。

 もまた、何人と殺した。いくら死ぬ運命とはいえ、他人に殺されるのだけはごめん被りたかったのだ。

 そうして、最後に生き残ったのがだった。


 だが、生き残ったからと言って、に暗闇から抜け出す方法は無かった。

 は、端に座り込んで呆然と闇を眺めた。

 それはもう、延々と。

 

 腹が減れば、肉を喰った。

 

 いつしか、眼前に転がる死体の山が腐って、ドロドロになってもは暗闇を眺めた。

 

 そして腹が空くと、肉でなくなったそれを喰った。骨すらも残さず、腹を満たす事だけを考えた。


 喰えるものが何も無くなった頃になっても、は闇を眺めた。


 こんこんと、こんこんと。








 

 


 それからまた時が経った。既に食えるものは全て喰いつくしても、はまだ暗闇を眺めていた。


 だがある時、突如人の気配が湧いた。扉が開いたのだ。

 は慌てて記憶の中の扉がある方へと縋ろうとするも、何故か壁だった。

 なのに近くに人がいる感覚だけがある。


 誰かがそばにいて、何やら動いている。だが、が気配の辺りを探った所で、何かにぶつかる事も無い。


 ――何だ……


 は呆然とするも、しばらくすると人の気配が消え、代わりに目の前に豪勢な食事や米俵、金の粒が置かれていた。

 その中心には女が一人、怯えた様子で蹲る。


「なあ、あんたも閉じ込められたのか」


 の声に、女はキョロキョロと辺りを見渡していた。落ち着かせようと近づき、女に触れると――


「きゃああああぁぁぁ!!!」


 女は怯えるだけだった。男の姿は見えていないのか、声も届かない。男は、どうしたものかと考えたが、ふと、もう一度女を見た瞬間に、自分とは思えない思考が浮かんでいた。


 ――美味そうだ……


 その考えは、一瞬でから人間らしい思考を奪った。肉を喰らい、供物を喰らい、段々と化物じみていく己を肌で感じながらも、気づいた時には目の前には何も残ってはいなかった。


 その後、何度も同じ事が繰り返された。供物だけの時もあれば、人が大勢入れられる事もあった。

 何にせよ、何が来ようがは腹が減ると全てを喰らった。


 そんな事を繰り返しているうちに、は己の人としての形も忘れてしまった。

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