考えすぎる俺に青春という言葉は似合わない。

江渡瀬 太良

第1話  

「ありゃー、なんか大変なことになってるねー、ね? お兄ちゃん!」


 平日だというのに、妹の神我愛はリビングのソファーで寛ぎつつ、神社放火のニュースを観ている。

 しかしもちろん、彼女は義務教育のフィルターに該当する年齢だし、不登校でも通信制の学校に通っているわけでもない。

 あるいは、今日は学校の創立記念日なのかとも思ったが、同じ学校に通っていた俺に、そんな一大イベントの思い出は存在しない。


 四月五日、入学式。


「ああまったくだ、なんでこうなっちまったのかなぁー、ほんっと......」


 俺は洗面所の鏡に映る己の姿を見て、共感の声を上げる。

 鏡には、曇り防止のシールが剥がされず残されているが、曇り顔を払拭してくれる効果は、当然ながらないらしい。


「神様、いないのかな?」

「いいやいるね、疫病神かなんかが絶対にいるね」


 正直、ネクタイなんて靴紐くつひもを結ぶ程度だと、そう思っていた神我かんがにとって、それに十分も浪費した結果が、一度目に首を絞めすぎて、二度目に大剣ブレイドが長くなり、再三さいさん三度目に小剣スモールチップが長くなるなんて、思ってもみなかったことなのだ。

 神様のせいにもしたくなる。


「え!? これって疫病神のせいなの?」

「そうだよ、疫病神に取り憑かれているんだよ、何回やっても俺の股から飛び出してくるんだよ————あれ、なんか猥褻物わいせつぶつに見えてきたな」


 ネクタイの長さがかたよってしまったおかげで、ブレザーの下からひょいと顔を出す布端が、アレに見えてしまう。

 思春期男子高校生は、こんな日常のありふれた出来事でさえ、変換してしまうのだ。


「......ちょっと待って、なんの話?」

「なにって、疫病神とネクタイの話だろ?」

「違うよ!? 神社の取り壊しの話でしょ!」

「そうなの?」


 初めから、いつまで経ってもお縄につかないこのネクタイのことを話していたのだが、どうやら妹は違ったらしい。


「そうなのって......じゃあなに、疫病神に取り憑かれたってお兄ちゃんのこと?」

「そうだよ、だって今日朝から右肩が重たいしさあ、幻聴まで聞こえてくるしさあ、永遠とサボッチャイナのチャイナミュージカルが脳内で流れてくるしでさあ」

「それは疫病神じゃなくて天使と悪魔の囁きだよ! 天使はどこ行ったの?」

「天使はソプラノを担当しているな」

「引き抜かれてるじゃん、天使から堕天使へと堕ちてるじゃん!」

「そうだよ、堕天使はもう立てんし俺の心は堕天仕様」


 流石に呆れられたのか、深いため息が聞こえてきた。


「あのさ、そもそもなんで高校生にもなってネクタイの一つも結べないの?」

「いやいや、そもそもを言うならそもそも首を縄で結ぶことがおかしいからね! 俺はまだ高校生だよ! ネクタイなんて社会人からでいいじゃない、会社という小屋に繋がれた首輪みたいなもんじゃない? 俺は社畜になりたいわけじゃない!」


 社会経験ゼロの発言である。


「ものすっごい偏見だね」

「そうかなー、ほら! たまにあるじゃん、ナオキとかペットの名前を付けたやつ」

「いやそれロゴだから」

「マジかよ、俺はてっきり名刺を渡すのが面倒な大人の名詞かと思ったぞ、マジかよ」

「お兄ちゃんの頭がマジかよだよ、ほんと私はお兄ちゃんの将来が心配だよ」

「兄の入学式の為に学校をサボる奴には言われたくないな」

「入学式に遅刻するお兄ちゃんには言われたくないね」


 遅刻しそうなのは認めるが、既に遅刻が確定しているような言い方には納得できない。


「遅刻って、入学式が始まるのは十一時からだぞ、まだギリギリ間に合う時間だろ?」


 すると妹は頭を抱え哀れみの視線を向けてくる。

 まるで答案用紙に名前を書き忘れた生徒を見る先生のようだ。


「なにその、やっちゃったかーみたいな反応......」

「————なんで入学式の開始時刻に生徒が集まるんだよ、お兄ちゃん絶対保護者用の時間割見たでしょ」


 言われてみれば確かに、十一時に集合してそのまま入学式が始まるとは思えない。

 修学旅行だって、数十分のインターバルがあるというのに、入学式にそれがないのは異常だ。いや、異常なのは俺の頭のほうなのかもしれない。


「とっ」

「と?」

「——とりあえず欠席連絡を」

「おい‼︎」


 集合時刻が十時だと知ったとき、既に時計の針は十時三十分を指していた。




「ねえ諦めなって、無理だって、入学式の欠席連絡は保護者じゃないとダメだって」


 電話の受話器を握る俺に妹が告げる。


「ヘリウム、どこかにヘリウムガスは無いか......」

「あるわけねえだろ」


 とうとうこの会話に苛立ちを覚えたのか、妹の口調が荒くなる。


「頼む妹よ、お前が電話してくれ‼︎ 今日はお前が母親だ!」

「いや無理だよ、若すぎるよ」

「いいんです、お母さんなんて若すぎるくらいがいいんです! 学校の面談で恋の面談が始まるくらいがちょうどいいんです! 『神我くん、君の成績は私が保証しよう。そしてお母様のこれからも、私が保証しよう』ってなるのが理想なんです!」

「ほんと最低だね」


 母には聞かせられない会話だ。


「お母さんにお願いしなよ、欠席は無理だと思うけど、遅刻の連絡くらいはしてくれると思うよ」


(バカな、俺に死ねというのか!? ってダメダメ、これ以上は入学式にすら遅れてしまうぜ)


「じゃあ、俺もう行くから」

「おい!」


 とまあ、俺は股にぶら下げたネクタイの裾をズボンへと捩じ込み家を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

考えすぎる俺に青春という言葉は似合わない。 江渡瀬 太良 @etosetara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ