第3章

第22話


「凌乃? もう眠いの?」


 二学期の終わりが近づいている週末。シャワーを浴びて寝る準備を終わらせ、ふたりでベッドの上にいる。私は向かい合わせで膝の上に凌乃を乗せ、たまに凌乃の髪をさわりながら本を読んでいた。


 あれから凌乃はを受け入れたのか、えっちしたいとは言わなくなっていた。それでも飲み込みきれない不安が溢れると、こうして私の膝の上に乗ってくる。

 傍から見たら大した変化ではないのかもしれないが、彼女にとって誰かに寄りかかることは勇気のいることで、とても神経を使っているのが見て取れる。


「うん⋯⋯、ちょっと眠い、かも⋯⋯」

 ふわふわした声で返事をしてくる様子から、少しだけでも不安が減ったのかと安堵する。

 

「そろそろ寝る?」

「ううん。もう少しだけ、こうしてる」

 凌乃が甘えるように私のパーカーを握り、首筋に額をあて擦り寄ってくる。お風呂上がりの、ほんのり湿り気をおびた髪からたち昇る、甘い香りが鼻腔をくすぐる。


「そう。眠れそうなら、このまま寝ちゃってもいいから」

 私は視線を本に移しながら、意識を無理やり凌乃から離す。

 

「春歌」

「なに?」

 凌乃の髪を撫でながら答える。

「今日学校で告白されたって聞いた」

 突然冷水を浴びさせられたような言葉に、凌乃を撫でていた手が反射的に止まった。

 

「⋯⋯誰に聞いたのよ」

「誰でもいいよ。本当なんだ?」

「まぁ⋯⋯、そう、ね」

「そっか⋯⋯」

「なに? 今日の不安ってそんなこと?」

「だって⋯⋯」

「なによ、はっきり言いなさいよ」

 私は凌乃が話しやすいよう、髪を撫でる手を再開させる。

 

「いつか春歌に好きな人が出来たら、わたしのそばからいなくなっちゃうのかと思って」

「はぁ⋯⋯。相変わらず、煽ってくるわね」

「煽るってなにが?」

「なんでもないわ。告白は断ったから」

「なんで?」

「なんでって⋯⋯」

 それは、今はまだ言えない。


「わたしは、断るってしたことなかったから」 

「あぁ、そういうこと。告白してくれた人には悪いけど、好きな人じゃないし。みんながどうしてるか知らないけど、少なくとも私はそんな簡単に付き合わないわよ」

「んー、好きとかよくわかんないけど、わたしはとりあえずえっちしてみた」

「なるほど、そうやってセフレができるのね」


 私は冷静を装いながら、なんてことないように話を続ける。ここで苛々を表に出して、また凌乃に泣かれたらたまったもんじゃない。


「春歌、なんで苛々してるの⋯⋯?」

 どうしていつも、そうやってすぐ気付くのよ!?

 

 そう、凌乃は決して鈍くない。むしろ他人の機嫌にはやたらと敏感だ。

 それは、多分⋯⋯、暴力に晒されて生きていた幼少時代を生き抜くために身に付けた、知恵というかスキルというか。父親の機嫌を伺って生きてきた、と呼べなくはないと思う。


 反面、愛情が自分に向けられるなんて想像すらしていない節がある。

 当たり前に親から愛され守られる時期にを与えられなかった凌乃は、他人を信じる感情が育っていない。

 愛された経験がない上に、仮にあったとしてもそれを受け入れる余裕が凌乃にはない。

 それがわかっているから、私は友達でいる。


「なんでもないわ。どこから凌乃まで話が回ったのか気になってただけ」

「んー。わたしは特別話す友達とかいないけど、噂になってれば耳には入るよ?」

「なんで、みんなそういう話好きなのよ」

「今回だけじゃないしね。毎回、春歌の話題は耳にするよ」

「毎回噂になってるのね⋯⋯」

「春歌モテるね」

「うるさいわよ」

 本当に、人の気も知らないで⋯⋯。 


「ねぇ、春歌」

「なによ」

「学校で話しかけちゃダメなの?」

「別にダメじゃないけど、目立つわね」

「えー? 目立つかなぁ?」

「目立つわよ。普段は眼鏡かけて顔が隠れるように前髪伸ばしてて、校則しっかり守って人と関わりませんって態度なの自覚してる? 加えて万年一位な宮崎さんがいきなり人と関わりだしたら、私相手じゃなくても目立つに決まってるでしょ」

 相変わらず自覚がないのか、それとも周りに無関心なのか。どっちもか。


「ふーん、なるほどね」

「目立ちたくないんでしょ?」

「んー、まぁ。それはそう。めんどくさい」

「じゃあそれでいいじゃない」

 いまさら、私と話す凌乃の素顔をみんなに見られるのも癪だしね。


「んー」

「なによ」

「んーん⋯⋯、寝るー」

 煮え切らない態度のまま凌乃が私の膝からおりて、ベッドに横になる。


「春歌、早くこっち来て」

 凌乃が自分の隣をポンポンしながら私を呼ぶ。

「はぁ、本当に自由ね」

「おやすみのキスして」

「はいはい」

 私はベッドに横になる前に、凌乃におやすみのキスをする。唇にふれる程度の軽いキスだ。


「眠れそう?」

「うん、大丈夫」

 凌乃は相変わらずキスをせがんでくるが、おねだりはしなくなった。あのキスも不安を埋める手段だったことがよくわかる。

 本当に不安で仕方なくて、いまだにそれは凌乃の心に深く根ざしているんだろう。だから今はまだ、ゆっくりと眠れる場所を作ってあげたい。


「春歌ぎゅってして」

「はいはい」

 凌乃の身体を包み込むように抱きしめる。

「ん、おやすみ春歌」

「おやすみ凌乃」

 頬に軽くキスをしてやると、くすぐったそうにしながらも嬉しそうに擦り寄ってくる。



 ――可愛いわね⋯⋯。



 想像してみてほしい。顔は文句なしで抜群に可愛い甘えん坊な女の子がいて、自分にだけ甘えて基本ベッタリ。毎日のようにキスをせがまれ、一緒のベッドで眠る。それが、好きな相手だとしたら⋯⋯。

 

 はぁ⋯⋯。正直、しんどい。

 最初からわかってることだけど、凌乃にそんな気は一切ない。その事実が私には許しがたくて、さらに理性を壊しにかかる。


 今はまだ、言うべきじゃない。


 私は今日も凌乃を抱きしめながら、理性をフル稼働させ隣で眠る。




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