第21話


「ねー、早く。約束でしょ?」


 あれから、春歌は泣き止むまで根気強くわたしを待ってくれた。泣き止んだあとも、やたらと息苦しくないか心配していて、そのくせもう大丈夫だと言うとすぐに膝からおろされしまった。

 よくわかんない。


 今は、シャワーを浴びて、寝る準備万端でベッドの上にいる。眠れそうな予感がすることにほっとして、春歌が当たり前に傍にいることに浮かれて眠りたくなくて、春歌の腕を引っ張ってベッドに倒れ込んでいた。

 さっきまでとは逆に、わたしに覆いかぶさる春歌の首に腕を回し、煽るようなキスをして、ひたすらに甘えながら。


「はぁ、約束はお腹を撫でるでしょ」

「そうだね、だから続きしよ」

「キスするとは言ってないんだけど」

「そんなの誤差の範囲じゃん」

「誤差の範囲が広すぎよ」

「春歌は細かすぎると思う」

「凌乃はもう少し慎重になるべきね」

 そんな説教じみたことを言いながらも、春歌の指はわたしの首筋をゆっくりと撫で、顎をくすぐり唇をなぞる。

 わたしを映すその瞳は、確かに熱を帯びていた。


「ねぇ、続きは?」

「約束してないし」

 なかなか続きをしてくれない春歌に焦れ、唇をなぞる手を捕まえて指を舐める。

 

「なっ!? ちょっとなにするのよ!」

「んー? 春歌が意地悪するから仕返しぃ」

 ニヤリと笑い、指先を口に含む。舌先でくすぐるように指の腹を舐め上げ、人差し指と中指の間にゆっくりと舌を這わす。

 右手をわたしに捕まえられた春歌は、残った左手でわたしに覆いかぶさる自分を支えるしかなく、漏れでる吐息も、少しずつ赤くなる顔も、隠すことは叶わなかった。


「ん⋯⋯、凌乃やめ、て」

「よく聞こえなーい」

 春歌の気持ちいいところはちゃんと知っている。

 わたしは口に含んだ指を軽く噛んで、わざとらしく音を立てながら口から離した。依然、捕まえたままの手の平にキスをして、指の隙間から春歌を射抜くように見つめる。

 春歌は次にわたしが何をする気なのか理解しているのか、期待と恐怖をないまぜにしたような目で見返してきた。


「凌乃、もうその辺で、ね?」

「やぁだ」

 手の平から手首にキスを移す。そのまま軽く舐めると、春歌の口から甘い声が漏れでた。堪えるような声を聴きながら、パーカーに手を差し入れ背中を撫で上げる。熱くなった肌に手が吸い付いて、ふれているだけで気持ちいい。更に余裕をなくした春歌は、唇と舌で手首に刺激を与え続けるわたしを、熱の篭った瞳で見下ろす。


「春歌、気持ち良さそうだね」

「し、の⋯⋯それ、や、だ⋯⋯」

「んー? おねだり?」

「ちがっ」

 春歌の言いかけた言葉を遮るように、わたしは春歌の手首に歯を立てる。

「あっ、んんっ⋯⋯!」

 散々甘い刺激を与えられたそこを噛まれ、春歌の身体から力が抜ける。支えをなくした春歌の身体はわたしにもたれかかり、荒い呼吸が耳をくすぐる。


「春歌? 気持ち良かった、ね?」

 呼吸が整いはじめた春歌の耳元で、わざと囁くように聞いてみた。

「⋯⋯ムカつく」

「あはは、可愛い」

「さっきまでのしおらしさは、どこに置いてきたのよ」

「シャワーしたときシャンプーと一緒に流れ落ちたのかも」

「過呼吸起こしかけて私に縋り付いてきた凌乃は、今頃排水溝の中ってことね」

「えっ? 過呼吸?」

「やっぱり自覚無しか⋯⋯。さすがに学んだわ」

 わたしにもたれかかっていた春歌が、寝返りを打って隣に横になる。


「わたし、過呼吸だったの?」

「正確にはなりかけね。うまく呼吸できてなかったでしょ?」

「できなかった⋯⋯」

「あれが酷くなると過呼吸ね」

「そう、なんだ」

「強い不安だったりストレスでなるのよ」

「⋯⋯強い、不安」

「大丈夫よ。不安になったらその度に抱きしめてあげるわ」

「うん⋯⋯」

「大切って理由だけじゃまだ怖い?」

 あの溺れそうな感覚も怖いし、なによりまた不安に埋め尽くされるのが怖い。


「怖い、かな」

「そう⋯⋯。凌乃向こうむいて」

「えっ、なに急に」

「いいから」

 渋々背を向けると、後ろから抱きしめられる。


「寝るの?」

「まだ寝ないわ。凌乃に役割をあげる」

「⋯⋯? なにそれ」

「予備校で疲れた日は私の抱き枕になること。たまにでいいわ」

「わたしが春歌の抱き枕なの?」

「そうよ。この部屋に来る私のメリット。しっかり役割果たしなさいね?」


 そうやって、一緒にいるメリットがないと言ったわたしの不安を、春歌が壊してくれる。


 春歌はいつだって、素っ気ないくせにとことん甘くて、ぶっきらぼうな態度で優しくて、わたしのことをいい加減に大切にする。


「今日は凌乃が私の抱き枕よ」

「ふーん、なるほどね。春歌、約束。お腹撫でて」

「⋯⋯この抱き枕、生意気ね」

「そうだよ? 抱き枕って生意気なんだよ」

 そう言ってニヤリと笑うと、言葉の意味を察した春歌は深いため息を吐いた。



「いっぱい甘やかして、ちゃんと大切に使ってね」

「甘やかさなくてもどうせベッタリでしょ。大切にはするわ」



 わたしが春歌の抱き枕か。春歌にならたまに使われてあげてもいいかな。今日はわたしが抱き枕になってあげる。

 いつも通りくだらないことを言い合いながら、次第に眠気に襲われる。わたしは春歌に抱きしめられたまま、久しぶりぐっすりと眠ることができた。




[第2章 完]

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