第20話
「私は、凌乃のこと大切よ?」
春歌がぎゅっていっぱい抱きしめてくれるから、胸の奥からなにかが溢れて涙に変わる。
「⋯⋯違う、そんなはず、ない」
「どうしてそう思うの?」
「だって、そんな人、いたことな、い⋯⋯」
「じゃあ凌乃を大切にするの、私が初めてね」
「親だって、わたしのこと、おもちゃみたいに、扱ってた。毎日のように殴られて⋯⋯、わたしに、そんな、価値ない」
「凌乃が凌乃でいてくれるだけで、私にとってはなによりも価値がある。凌乃がいる世界だから、もう少し頑張ってみようって思えたんだから」
「でも、こわ、い。やだよ」
流れる涙を乱暴に拭こうとすると、春歌がブラウスの袖で優しく拭ってくれる。そのまま涙の跡にキスしてくれて、半ばパニックだった状態から少しだけ落ち着きを取り戻す。
「春歌、服汚れる」
「いいよ。そんな風に擦ると、ほっぺた痛くなるからしないの。凌乃、なにが怖いの?」
「⋯⋯」
「凌乃? 話せない?」
「⋯⋯大切なんて不確かなものに委ねて、信じるなんてできない。信じて、手を伸ばして、その手を振り払われたらって思うと⋯⋯、怖くて動けない」
むき出しの言葉が苦しくて、春歌の顔をまともに見れない。
「そう⋯⋯。それは、たしかにそうかもね」
春歌は少しだけ考えて、わたしの身体から手を離した。
「っ⋯⋯」
肯定されているはずなのに、突き放された気がしてまた涙が溢れる。
「凌乃、また唇噛んでる。ほら、涙も」
「はる、か⋯⋯息、苦し⋯⋯。こわ、い⋯⋯」
「あー⋯⋯ね、疲れちゃったのかな。凌乃おいで? ほら、寄りかかって」
そう言いながらわたしを抱き寄せ、また膝の上にのせる。さっきよりも浅く座っているのか、寄りかかると春歌に身体をほぼ預けているような格好になった。
「重いから、いい⋯⋯」
「ちっとも重くないわよ。もう少しご飯食べて太りなさい」
「やだ⋯⋯」
「凌乃、無理にしゃべらなくていいから。苦しいんでしょ?」
「ん⋯⋯」
息がうまく吸えなくて、酸素がここだけ薄くなったみたいに苦しくて、春歌のブラウスを掴みながら首筋に頬を寄せる。
このまま溺れてしまいそうで、怖かった。
「よしよし、凌乃いいこ。ちゃんと傍にいるから。大丈夫だよ。ゆっくり息吐いてね」
泣きながら縋り付くわたしに、春歌はただひたすらに甘かった。
背中を軽くポンポンされて、春歌の手が髪を梳くように撫でる。時折、目尻にキスをされ、返事をしなくてもいいような話を続けてくれた。
しばらく春歌にもたれかかりながらそうしていると、少しずつ酸素が戻ってくる感覚がして、わたしは顔をあげる。
「春歌、お腹。撫でてほしい」
酸素は戻っても不安はなくならなくて、ザワザワする気持ちを春歌に消してほしくて、春歌に甘えながらおねだりをする。
「今はまだ、このままうつ伏せでいなさい。あとで好きなだけ撫でてあげるわ」
「えー、なんで今じゃだめなの?」
「いいから。あとで」
「本当に? ちゃんと、あとで撫でてくれる?」
「約束するわ。凌乃、息苦しいのはどう?」
「んー、たぶん大丈夫」
「そう、それならいいわ」
ひどく安心したような声で言うものだから、思わず春歌の顔をまじまじと見つめてしまう。
「今すぐに私のこと信じようとしなくていいから」
「えっ?」
「さっきの話。信じるのが怖いんでしょ?」
「⋯⋯うん」
友達が怖くて、春歌がいなくなるのが怖くて、信じるのことも、手を伸ばすことも怖くて⋯⋯。
もう、なにが怖くてなにが怖くないのか、自分でもよくわからなくなっていた。
「信じなくていいわよ。ただずっと傍にいて、凌乃が大切だって証明し続けてあげるから。10年後にでも信じてくれたらそれでいいし、それでもまだ信じられないって言うなら、変わらずその先も傍にいるだけだから。好きなだけ疑うといいわ」
なに、それ⋯⋯。そんなの、わたしに都合が良すぎる。
「春歌はそれでいいの?」
「無理やり信じろなんて言ったって、そんなのできないでしょ? だったらそのまま疑ったままでいればって言ってるの。私だって自分の好きにするし。凌乃は、私が離れるのが怖いって言うけど、むしろ逆よ。凌乃のこと、そんな簡単に離してあげないから覚悟しなさい」
春歌はそんな遠い未来をさも当たり前のように話しながら、私の髪を優しく撫でる。
「⋯⋯うん。春歌、わたしのこと、離さないで」
止まった涙がまたこぼれて、わたしは春歌の肩に顔を埋めた。
春歌は勝手に傍にいるから疑えばいいと、離さないから信じなくていいんだと、そう言ってくれる。
あんなにずっと不安だったのに。春歌に抱きしめられている今はもう、ザワザワした気持ちが嘘みたいに消えていた。
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