第9話


「こんな時間までどこをうろついていたの」


 家に着き、リビングの扉を開けると、めずらしくお母さんがいた。不意打ち過ぎて身体が強ばる。


「⋯⋯帰って、たんだ」

「私のことはいいの。予備校は?」

「ちゃんと行った」

「そう。くれぐれも、成績だけは落とさないでちょうだいね。またお義母さんに嫌味言われちゃう」

「わかってる」


 そんなこと、もう言われなくたってわかってる。何度も何度も聞いてきた。その度に、心に少しずつヒビが入っていく。


「まったく、颯人はやとはこんなこといちいち言わなくてもちゃんとやってたのに、どうして貴女は同じようにできないのかしら」


 

『――呪いみたい』


  

 大丈夫。こんなのいつものことだ。耐えられる。まだ、大丈夫⋯⋯。

 胃の中に鉛を放り込まれたような気持ち悪さを感じながら、大丈夫だと自分に言い聞かせる。


「颯人もこんな子を庇ったりしなければ良かったのに。あの子に生きてて欲しかったわ」


 あぁ、無理だっ⋯⋯。凌乃、助けて⋯⋯。

 私は強く目をつぶり、震える手を握りしめた。



『――春歌は春歌のために頑張ればいいのに』



 握りしめた手から、フッと力が抜ける。



『――春歌の人生でしょ?』


 

 そっか、そうだよね。



「とにかく恥をかかせないでちょうだいね」

「浮気相手作って、ろくに家に帰ってこないお母さんに、恥だなんて言われたくない」


 突然口答えをする私を見て、お母さんが眉間に皺を寄せる。


「貴女いきなりなに言ってるの?」

「気づいてないとでも思ってた? バカじゃない」

「なっ!? 私は貴女のために言ってるのよ! なんなの、その口の利き方は!」


 あぁ、もう、本当にダメなんだ⋯⋯。


「私のためなんかじゃない!!」


 私は、初めて大きい声を出して反抗した。

 

「なにを⋯⋯」

「おばあちゃんに嫌味を言われる!? 成績を落とすのが恥!? そんなの全部、お母さんのためじゃない! 体裁が大事なだけでしょう!? 自分を守るのに私を言い訳にしないでよ!」

「ちっ、ちが、うわ⋯⋯」


 無数に入ったヒビが、亀裂になって私の心を壊していく。


「何が違うの!? お兄ちゃんが私を庇って死んだから、お兄ちゃんの分も私がお母さんに尽くさなきゃいけないの!? 私はお兄ちゃんのかわりじゃない!」

「そんなつもりじゃ⋯⋯」

「じゃあなに!? お兄ちゃんじゃなくて私が死ねば良かったって思うなら、いっそ私を殺せば良かったじゃない!」


 悔しくて悲しくて、涙が出てくる。


「春歌⋯⋯」

「もう無理、これ以上一緒にいたら、貴女を嫌いになる」


 とにかくここからいなくなりたくて、リビングから玄関に向かう。


「どこ行くの、明日も学校あるのよ」

「こんなときにまで学校? ここまで言われて、まだ貴女を嫌いになりたくないと思ってる自分に腹が立つ」


 私は流れる涙も気にせず、家を出た。




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