第3話

 精霊は風に運ばれやってくる。


 古き魔術師はそう言った。


 風に、水の流れに、我らの血脈のように、巡り巡って知らせてくれる。


 精霊術師はその知覚を精霊の加護だと呼び、

 盗賊職シーフゴブリンガブリンの悪戯と呼ぶ。


 その出来事は大小あれど自身に直結する運命に吹く風である。


 だからこそ彼らは総称を風ノ矛先とした。


 どこで止むかわからぬ風切りは嵐に匹敵しかねない。

 だからこそ風ノ矛先に気をつけろ、と。


 ――古びた旅路の手帳から抜粋。


 ▼


 魔術師はコスパ重視のリアリスト。

 魔術師は守銭奴。

 魔術師はエトセトラエトセトラ。


 魔術師は供物を捧げて魔法を扱ってきた。時に家畜を捧げ、時に自身の肉体の一部や子供を神様に贈った。

 世界は移ろうもの。今や硬貨を代価に魔法を編み出せる。

 奇跡と呼ぶものに近ければ近いほど値段はつり上がる。

 如何に安く模倣できるか。魔力を上げて価格を下げるか。はたまたその逆か。

 

 目の前の若い男はまるで闇から這い出たように無だった。

 いるのかいないのか。意識を割いたら見えなくなってしまう気がするほどに希薄で、目に覇気がない表情でこの室内の主であるラグニを見据えている。


「ラグニという男はお前か?」


 抑揚のない声色は作ったものとは思えない。舐められないためにそういうキャラで来たわけじゃないのはこの仕事を生業にしてきたラグニには判断ができる。

 見てきた人間は数知れず。それでもどんな人間かなんてパターン化できるものだ。


 オドオドと接する者。陽気に何気ない風を装う者。泣いて懇願する者。それでも皆一様に見せかけの希望に縋ってここにたどり着く。

 その常夜灯に引き寄せられる虫の如く、そいつらは体が焼けるのを厭わず近づく愚か者たちだとラグニは思っている。


 だが目の前にいる男にはそんな光さえ目に入らないようだった。


 ――風だ。


 ラグニは昔話を思い出す。風ノ矛先という昔話がある。今でも慣用句として会話で使われるほどに誰もが知るお話だ。意味は運命の始まり。何か良くない事、良い事がありそうな勘が働いた時に「風が吹いているな」なんて使うらしいがラグニは今までそんな経験に会ったことがなかった。


 何故なら今まで自分の予想を超えたことが一度もないからだ。


 だから埒外の存在に会った今ならわかる。

 今、目の前で吹く風は、凪いでいる無風は、嵐の前触れだと。






「知っての通り俺はラグニ。君、魔術師みたいだけど。こんな夜更けにやってくるんだ。何か事情でもあるのかい?」

「ああ、ここの顧客の一人の事でやって来た」

「顧客? ……その人の名前は?」


 急に黙ったことにラグニは訝し気に男を見た。


「先生。名前は知らない」


(はあ? こいつ名前も知らない人の為にわざわざこんな場所まで来たのか。ご足労な事だね)


「はぁ、まあ良いや。それでどんな人なのか教えてくれないと困りますよ。それに君だって誰なのか教えてくれないと。俺は名前も知らない誰かさんと雑談を楽しむほど理解があるタイプじゃないんだ」


「俺はブラム・オード。先生の代わりに金を返しにきた」


 寡黙な男、ブラムは少しづつ先生とやらの特徴を話していく。

 身長はこのくらいで。性別、髪型、髪の色に目の色。ラグニの脳内で顧客リストを絞り込んだ結果。該当するのは一人。


「あー、あの子。憶えていますよ。つい最近徴収に向かったからね」

「そうか。それで先生の借用を俺に任せてく「それは無理な話だ」れ」


 ――何故?


 声は依然として変わりがないのにゾッとするくらいに冷たい。空気が一層重くなり、ラグニの喉が二度鳴った。


 乾いた喉を潤そうと右手が飲み物を探そうと動くのをとっさに制止して目が離せないブラムに向かって声が震えないよう細心の注意を払って言い返す。


「それは君が。証人でないから、だよ」


 ラグニは貸付を行う際、絶対に担保を用意させた。

 人は簡単に嘘をつく。それこそ優しい嘘があるくらいに。

 だから顧客に何かあった時、問題なく徴収できるよう。


「僕は契約をしているんだ。人的担保を貰っている、つまり保証人もいる。だから君の入る余地はないよ。それこそあの子が破産してもね」

「証人の名は?」

「顧客に関する話は詳しくは言えない。それこそ本人に聞くべき内容だろ?」


 厚顔無恥も甚だしい。イラつく。

 煮え切らない気持ちをグッと抑えてラグニは帰るよう促した。


「また来る」


 ブラムが去って扉が閉まる。

 緊張の糸が溶けるようにラグニは椅子からずり落ちた。


「こら、まだお仕事中ですよ!」

「わかっているよメリー。でも今しばらくはダラけても文句を言われる筋合いはないと思うけどね」


 ラグニをしかりつける声が後ろから聞こえる。

 先ほどからラグニの後ろで待機していたメリーにハイハイと流す。


「僕、ああいうタイプ苦手なんだよ。わかるでしょ、あいつにそっくりで」

「ベイズ? ラグニは嫌いそうだよね」

「そうそう。何考えてるかまったくわからないんだよ」


 笑みを絶やさない。けれどどんな感情を持って接してきているのか腹の中を見据えない。ブラムとは別の意味で似た男。








「あの子も変な男ばかりに好かれるね」


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