マルク、追放される








 執務室に入ると、目の前に職人が作り上げた高級感あふれるお高いデスクがあり、そこに男が一人座っていた。頭頂部を見事なまでにハゲ散らかし、腹にはぼてっとたっぷり中性脂肪を蓄えた、典型的な中年オヤジといった風貌の男だ。マルクの父親でこの家の現当主、マルトー・リン・バーンズである。


 すでにアイリーンから事の次第を報告されていたのだろうマルトーは、部屋に入ってきたマルクの顔を見るとあからさまに表情を歪めた。不機嫌であることを隠そうともしない。

 そんなマルトーに、マルクは気さくに話しかける。


「よー、オヤジ。相変わらず不健康な見てくれしてんな。ちっとは運動しないと生活習慣病まっしぐらだぜ?」


「…マルク貴様……、よくもこの儂にそんな口がきけるな」


 明らかに不機嫌な相手に空気も読まず特攻することは普通の人間ならやらないのだが、マルクは普通の人間とは違う。幼少の頃から二人分の人生を交互に歩んできた影響で感覚が常人とは若干ズレているのだ。彼にとって人間関係とはそこまで重要なものではなく、文字通り寝て起きたらガラッと変わっている程度のものでしかない。


 それがいい方向に作用することもあるのだが、今回は違ったようだ。元々不機嫌だったマルトーの機嫌がさらに悪くなる。ピリつく執務室内の空気に使用人やアイリーンは思わず背筋を伸ばしている。普段通りなのはマルクだけだ。


「…アイリーンから聞いたぞ。今日も随分と楽しんでいたようだな。儂らの苦労など知らずに…」


「そうなんだよ、聞いてくれよ! まだ魔力の扱い方が上手くなったんだぜ! やっぱ日頃の努力が実を結んだんだな!」


「儂が普段から言い聞かせているだろう。お前はいずれこの家を継ぐ者。それ相応の振る舞いを身につけねばならん」


「それは俺もいつも言ってんだろ? 俺に貴族なんて務まらねぇってば」


「それなのに貴様ときたら何だ? 儂やアイリーンの言うことも聞かず毎日遊び惚けて。この家の長男だという自覚はあるのか? 少しは優秀な弟を見習ったらどうだ?」


「じゃあアルマに継がせたらいいじゃんかよ。俺より優秀なんだろ? 俺は俺で自由に生きていくからさ」


「えぇいっ! 一々口答えをするな! 黙って儂の言うことを聞けっ!」


「えぇ~…、そっちこそ俺の話を聞けよ。アルマの方が優秀な貴族なんだろ? だったら俺にこだわらないでさっさとアルマに切り替えりゃいいじゃんよ。そしたら何も問題ないぜ?」


「ならんっ! 家は代々長男が継ぐのが風習なのだ!」



 マルトーはマルクの申し出を断固として拒否した。

 フレデンス王国では、貴族の家は一番先に生まれた子供が家長として継ぐのが習わしになっている。何か問題があれば次男次女以降が継ぐこともあるが、それは長男長女が意図せず亡くなってしまったり病気になってしまった時など本当に致し方ない事情がある場合のみだ。そんな事情も無しに長男長女が家を継がないなんてことになれば、その子を育てた親の教育能力がないという烙印を押され、社交界での家の立場が弱くなってしまう。そんな事情もあってマルトーは何としてもマルクを次期当主にしたいのだ。


 マルトーから見てマルクは素晴らしい能力を秘めている。物心ついた時から屋敷の本を読み理解する知能、難解な魔術の本を読み独学で魔法を習得してしまう発想力と才能、そして言葉遣いや振る舞いに気品こそないが使用人達と良好な関係を築く人心掌握術…、どれもバーンズ家を背負った時、優位に立てる力だ。これらの力を6歳という若さで身につけている子供はそうはいない。


 実際のところ、マルクが日本で宮野忍として20年以上生きてきたからこそ身に付いている力なわけだが、そんなことはマルトーが知る由もない。



「んなこと言ったって俺は家を継ぐつもりなんてないぜ? まだまだ闇魔法も研究し足りないしな」


「闇魔法だとっ…!? 貴様またそんなものを……!」


「おうよ! 闇魔法ってすごいんだぜ? 見た目がかっこいいってのももちろんだが、何といっても魔術の種類の豊富さ、底が見えない程深い力の大きさ…、たまらねぇよな! 他にどんな魔法があるのか想像するだけでワクワクするぜ!」


「いい加減にしろっ! 闇魔法は穢れた魔人共が使う不浄の術だ! 二度と使ってはならんっ!」


「怒るなって。そんな悪いものじゃないんだって闇魔法は。よく見てろよ……むむむっ」


「いかんっ! アイリーンっ!」


「___”光鎖バインド”」


 _ガキィンッ!_


 マルクが闇魔法を披露しようと魔力を練ると、それよりも先にアイリーンがまた光の鎖でマルクを拘束した。こうなることを見越してアイリーンは懐から取り出した手帳に書かれた詠唱を呟き、いつでも魔法を発動できるように準備していたのだ。

 光の鎖で右手を拘束されたマルクは頭の中での詠唱が途切れ、闇魔法の発動に失敗する。


「…あらら失敗しちゃった。やっぱりこの詠唱が厄介なんだよな。何とかならないものか…」


「…おのれっ…! その歳で無詠唱の魔法を使用できるのは歴史的快挙。闇魔法でなければすぐに王へ報告して褒章を賜えるというのにどうしてっ…!」


 拘束された右手を眺めて考え事をするマルクを、マルトーは憎々し気に睨む。

 アイリーンやマルトーがここまで闇魔法を嫌悪するのには理由があった。それは、人類史を数百年程遡った時代のある戦争が起因している。


 その時代、人間と”魔人族”と呼ばれる種族による大地を二分する争いがあった。大小様々な種族や組織が巻き込まれ、戦火に包まれ、種の存亡をかける程の凄まじい戦争だ。長きにわたるその争いの末に魔人族は敗れ、彼らの国は崩壊して散り散りになった。その魔人族達が使っていたのが闇魔法なのである。マルクが語っているように、闇魔法には多種多様な術がありその上威力も強力。人類はそれに散々苦しめられた歴史がある。

 それ故、現代では闇属性の魔法は迫害を受けており、使用する者が極端に少ないため衰退してしまっている。「不幸を呼ぶ魔術」、「穢れた魔法」などと言われ、疎まれている状態なのだ。


 そして何を隠そう、その魔人族との戦争で活躍した英雄達の末裔の血族、その一つがバーンズ家なのだ。それがさらに都合が悪い。英雄の子孫であるバーンズ家の長男がよりによって闇魔法の虜になっているのなど外聞が悪すぎてとても王家に顔向けできないのだ。



 そんなわけでマルトーもアイリーンも何とかマルクを闇魔法から引き離そうとしているのだが、本人はどこ吹く風。そもそも二人分の人生を歩めてしまうマルクにとって人生の当事者意識は薄い。それぞれの世界で如何に楽しく、自分の欲求を満たして暮らすか。それが指針となっているため、周りの人間からどう思われようがあまり気にしていない。物事を円滑に進めるため、ある程度周囲の人間から信頼されるよう努力する処世術は身に付いているがそれだけ。どうでもいい人間のために自分の欲求を抑えてまで何をしてやろうなどとは思わない。



「…はぁ、まったく何だってそこまで嫌うかね。いくら苦手だってな、いつまでもそのままにしておくと後でえらい苦労するんだぞ? 実際俺は地理をほったらかしにしてセンター試験で酷い目にあったんだから」


「わけの分からないことを言うなっ! どうしてお前はそうなのだっ!」


「だから言ってるだろ? 面白んだよ闇魔法は。堅っ苦しいお行儀のレッスンなんかよりよっぽどな」


「面白い…だと…っ!? ……くくくっ、そうか、よーく分かった!」


 考えを改めようとしないマルクに苛立ちを募らせていたマルトー。何かを思いついたようで突然不敵に笑い始める。


「何だ? 急に笑って。気持ち悪いぞオヤジ」


「そんなに闇魔法が好きなら好きにするがいいッ! 今日付けでお前を”禁じられた森”へ追放するッ!!」


 ビシッとマルクに人差し指を突き出してそう宣言するマルトー。それを聞いていた周りの使用人達が慌てる。


「なっ!? 旦那様! それはいくら何でもやり過ぎではっ!」


「黙れっ! 儂の決定は絶対だっ! この愚か者は一向に考えを改めん! ならば当主として家を守るにはこれしかない!」


 興奮しているマルトーは唾を飛ばしながら叫ぶ。いつもならマルトーの怒鳴り声にひるんで何も言えなくなる使用人達だが、禁じられた森への追放はそれほど重い処分なのか必死に食い下がって何とか決定を覆そうとする。その間マルクは口を閉じ、何も言葉を発さない。若干首の角度が下がり、俯いているように見える。その様子をちらりと見てマルトーはほくそ笑んだ。


 マルクが物心ついたばかりの頃、マルトーはしつけの一環として一度だけマルクに禁じられた森について話したことがある。

 バーンズ家が治める領地の片隅にある薄暗い森だ。背が高く、葉も大きな木々が鬱蒼と生い茂ったその森は昼でも日が差さず一日中真っ暗。見るからに不気味なうえに森の中からは時々奇妙な生き物の鳴き声が聞こえてきたりして薄気味悪い。近隣住民でも滅多なことでは近づかないいわくつきの場所だ。

 やれ恐ろしい魔物が住んでいる、やれ恨みを持った怨霊が出るなどと悪い噂が絶えないその森は、一つ、”禁じられた森”と呼ばれる所以を持っている。


 マルクと同じように闇魔法に魅了され、精神をおかしくした魔女が封印されているのだ。


 森を決して抜け出せないように高等な光魔法による封印を施された、呪われた魔女。数百年前の話なので今もまだ生きているのかは定かではないが、言い伝えでは闇を手足のように自在に操って悪逆の限りを尽くしたという。


 この話をした時、マルクは今の飄々とした態度ではなく、珍しく年相応の子供のように怖がって見せたのだ。いくら天性の才を持っているといってもまだ6歳の子供。マルトーは幼い頃に植え付けられたトラウマをチラつかせれば恐怖心から言うことを聞くと考えたのだ。事実、”禁じられた森”の名を出した途端、マルクは口を閉ざして俯いている。これは確実に効いている証拠だ。




 …というのは残念ながらマルトーの思い込み。その頃のマルクはまだ宮野忍との二足の草鞋を履き始めたばかりで色々と戸惑っていただけだ。その時にマルトーが話していたことなどほとんど覚えていない。”禁じられた森”については後日自分で調べ、「へぇ、さすが異世界。こんな面白い場所があるんだなぁ」という感想を持つ始末だ。

 



 となると当然、このマルトーの決定に対するマルクの反応は…



「…ホントか!? ありがとなオヤジッ! 俺いつかあの森に行ってみたいと思ってたんだよっ!」



 当然こうなる。

 にぱっと喜色満面の笑みを浮かべ、全身で喜びを露にした。


 一方、大人しく自分に従順になると思っていたマルトーは「…え?」と呆けてしまう。マルクが泣きついてきたところを叱責し、これまでの態度を改めるように言うつもりだったのに、完全に虚をつかれた。


 禁じられた森はいわくつきの危険な場所であるため、管理しているマルトーの許可がなければ立ち入れない場所だ。前々から入ってみたいと思っていたマルクだが、入り口を守るマルトーの騎士達に阻まれてやきもきしていた。もしかしたら今回、マルトーが感情のままに森への追放を命じるのではないかと期待して一芝居打ったというわけだ。


「くぅ~! こうしちゃいられないぜっ! じゃあなオヤジ! さっそく行ってくる!」


「…あっ! 待てマルク! 戻ってこんか!!」


 追放命令を撤回されては困る。マルクはマルトーが再起動する前に執務室を飛び出した。マルトーが呼び止めようと叫んでいるが無視だ。


 念願の場所へ行けることに嬉しくなったマルクはスキップしながら廊下を走る。すれ違う使用人達が微笑ましくマルクを見ていた。闇魔法を使ったり、マルトーの機嫌を度々悪くする問題児だが、なんだかんだ言って使用人達は子供らしく天真爛漫にはしゃいで無邪気に接してくれるマルクが可愛くてしょうがないのだ。マルトーの機嫌が悪いと自分達の胃が痛くなるのでそれは勘弁してもらいたいが。



「……兄さん、またですか」


「お~っと、アルマ!」


 マルクが廊下を走っていると、ちょうど部屋のドアが開いて少年が出てきた。それを見てマルクはキキーッとブレーキをかけ止まる。

 その少年はマルクと似た顔立ちをしていた。若干マルクより幼く、髪が少し長めの少年。マルクの1歳下の弟”アルマ・リン・バーンズ”である。マルクはアルマに嬉しそうに駆け寄り、対してアルマは目を細めて呆れた表情でマルクを見ている。


「また兄さんは先生や父上に迷惑をかけて…。少しは母上の心労も考えたらどうなんです」


「突然のことなんだけどよアルマ! 俺今から”禁じられた森”に追放なんだ!」


「……は?」


 5歳とは思えない大人びた態度でマルクに説教をしようとしたアルマ。マルクから発せられた言葉に目を丸くする。その顔を見て、マルクはいたずらが成功したと言わんばかりに、しししっと笑った。


「そういうことだからよ! オヤジの気が変わらねえ内に行かねぇと! 多分この家の当主はお前になると思うからがんばれよー!」


「…はっ!? ちょっとどういうことですか!? 兄さん!?」


 捨て台詞のように要件を話し、マルクは走り去っていった。その後、自分の部屋に駆け込んで必要最低限の荷物をカバンに詰め込む。いつこういう日が来てもいいように、あらかじめ荷物は整理していたので準備に無駄がない。屋敷の書庫の本に載っていた情報を手持ちサイズの手帳にまとめた自作の植物図鑑、動物図鑑。それにこれまで研究してきた内容をまとめた魔法研究ノートと小さめのナイフ、数日分の食料を入れて準備完了だ。

 今のマルクはまだ見ぬ場所へ冒険に行けることに胸を躍らせている。もう遠足前の小学生のようにウッキウキだ。


「よっしゃー! 待ってろよ”禁じられた森”! 封印された魔女! 今行くからなー!」


 マルクはとても楽しげな声で叫び、屋敷を飛び出していった。




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