アナザー・シンギュラリティ

もこみる

序章 ~認知~

宮野忍とマルク・リン・バーンズ









_フレデンス王国 バーンズ領 バーンズ邸_



 自然豊かな草原に建てられた大きなお屋敷。そこの、まるで芸術品のように美しい庭園の中に、一人の少年が立っていた。短めの茶髪に蒼色の瞳を持つ6歳の少年。バーンズ家の長男、”マルク・リン・バーンズ”である。バーンズ家はフレデンス王国建国当時から代々王家に仕えてきた、貴族の中でも中枢に位置する由緒正しき名家。マルクのミドルネームである”リン”は、王家から高い信頼を勝ち取った名誉ある一族の証である。


 そんな良家の長男であるマルクは、後々この家を継いで王家に仕えることになる身。その立場に相応しく、厳格で自分を律する精神のあるとても高貴な人間なのかと思えば……





「…”火炎ブレイズ”」


 _ボッ……_


「…はっ!」


 _ゴオッ!_


「はじけろっ!」


 _ボガァンッ!_




 ……そういうわけではない。

 マルクは小さく詠唱を唱えると自分の右手に小さな火の球を出現させ、それを思い切り空へと向かって投擲した。火球がある程度の高さまでいったことを確認するとマルクはぐっと右手を握る。すると轟音を立てて火球は爆発を起こし、空でミニチュアの太陽のようになって、やがて消えた。それを見てマルクは満足げに笑う。


「~~っ! かっこいい! やっぱり魔法はこうじゃないとな!」


 拳を力いっぱい握りしめて両手を天に向かって伸ばし、喜びを全身で表現する。年相応の子供としてはとても可愛らしいが、貴族とは物心ついた時から厳しい教育を受けるもの。同年代の貴族の子供と比べるとマルクはとても自由で活発で、貴族としてはあまり相応しくない。



「マルク様っ! またこのような場所で魔法を使って! もっと高貴な振る舞いをするように申し上げているでしょう!」


「おっとやべ! 先生だ!」


 爆発音を聞きつけて、屋敷の方から眼鏡をかけた壮年の女性がやってきた。見るからに厳しい教育者という印象を受けるこの女性はアイリーン。バーンズ家の家庭教師で、現在はマルクの教育全般を請け負っている教師だ。マルクはアイリーンの姿を見るとすたこらさっさと逃げる。


「こら、待ちなさい! 貴方達何をしているのっ! 早くマルク様を捕まえて!」


「は、はいっ!」

「マルクお坊ちゃま! お待ちくださいっ!」


「へへ~ん、やなこった! せっかく魔法なんて面白いものがある世界に来たんだ。思う存分楽しまないと損ってものだぜ!」


 ヒステリックに叫ぶアイリーンの指示を聞いて、近くにいた執事やメイド、庭師が必死になってマルクを追いかける。が、マルクは子供特有の身軽さを活かして庭の中を飛び回るため一向に捕まらない。もはやここ最近の恒例となったマルクと使用人達の鬼ごっこである。


 

 マルクの言動から察するように、彼は他の子とは違う特殊な生まれを持っている。俗に言う”異世界転生者”というやつなのだ。


 彼の境遇を説明するためにはまず、彼の意識の主体となっている日本人男性”宮野 忍みやの しのぶ”について語らなければならない。

 宮野忍は東北地方生まれのごく普通の日本人だ。何か特別な力を持っていたり、特殊な家系の血を引いているわけでもない。しかし彼は一つだけ、幼少期の頃から不思議な体験をしていた。夜眠りにつくと時々不可思議な夢を見るのだ。

 夢の中で自分は、まったく知らない土地のまったく知らない人物となってまったく違う人生を歩んでいた。住んでいる国は日本ではなくフレデンス王国で、そこでは現実ではあり得ない”魔法”という技術が当たり前のように存在していて、自分の家は宮野家ではなくバーンズ家で、名前は忍ではなくマルクとなっていた。

  

 そう、つまり今の彼と同じである。忍は幼少の頃から度々この世界のマルクとなり、一人で二人分の人生を歩んできたのである。何を馬鹿なと思うかもしれないが、マルクとなる夢は他の夢と比べて明らかに感覚が違う。夢特有のぼんやりとした五感の鈍さがなく、意識もはっきりしている。食べ物も現実と遜色なく味を感じたし、木々のせせらぐ音、日本とは植生の違う風景、漂ってくる匂い…、すべてが本物のように感じられた。


 最初の頃は忍もこの得体の知れない奇妙な夢に戸惑い、困惑した。幼少の頃だったので親に泣きついたりもした。しかし、病院で検査してもらっても何の異常もなく、夢というどうしても本人にしか認識できない問題であるから、結局ストレスからくる軽い精神障害の一種だとして片付けられた。そしてどんなに奇妙なものでも繰り返し体験すれば人間慣れていくもので、忍が20歳を超えて働き始めた頃には「自分はきっと来世の自分を前借りして楽しめるのだ」と気楽に捉えて気にしなくなっていった。


 そんな生活をしていたある日のこと、宮野忍が21歳、マルク・リン・バーンズが5歳になった時のこと(二人の年齢差が著しいが、忍はこれを二つの世界では時間の進み方が違うせいだと仮説を立てていた)。ちょっとした出来事が起こる。忍でいられる時間とマルクでいられる時間が徐々に逆転し始めたのだ。


 それまでの感覚的には宮野忍でいられる時間が7、マルクでいられる時間が3くらいだった。それが少しずつ6:4、5:5、4:6……と比率が変わり始め、1年経つ頃、つまり今となってはすっかりマルクがメインの人生になってしまった。宮野忍でいられるのは夜、マルクとして眠りについている間のことである。



 自分が生きていた世界から死をきっかけにして別の世界に生まれ変わることを”異世界転生”というなら、忍とマルクのそれは当てはまらないのかもしれない。宮野忍もマルク・リン・バーンズも、どちらも自分の人生だと自信を持って言えるからだ。だけど他に言い表せる言葉が見つからなかったため、便宜上今は異世界転生と呼んでいる。そして彼は今の状況に特段焦りも不安も抱いていない。


 何がきっかけが分からないが二人の時間関係が逆転した。彼からしてみればなのだ。確かにマルクがメインになってしまった理由は知っておきたいが、特に優先事項ではない。これまで宮野忍の世界で20年、二人分の人生を生きるのは当たり前だった。そのメインが変わってしまったから何だというのか。やることは今までと変わらない。


 むしろ彼はこの状況を楽しんですらいた。今まで6年分しか生活していなかったマルクの世界は、忍の世界にはない魔法がある。手のひらから火を出現させたり、空を飛んだり…、創作の中でしかありえなかった魔法を現実のものとして扱えるのだ。これを楽しまずして何とする。




「ヘイヘイ! 鬼さんこちら~♪」


「お坊ちゃま! お戻りを!」

「お願いですから止まってください!」


「や~だよ。むむむっ……、”闇の恩恵ダーク・レセプション”」


 _ズズッ…_



 中でもマルクが気に入ったのは闇魔法だ。

 彼が使用人達から逃げながら呪文を唱えると手足に黒い紋様が浮かび上がり、身体能力がさらに上がる。

 闇の深く底抜けな力の恩恵を受けることができる闇魔法。現代日本の漫画やアニメに入り浸り、厨二心を存分に育て上げたマルクの琴線を揺さぶりまくるのはある意味当然だった。マルクは屋敷の書庫に置いてあった本を読み漁り、独学で身につけた闇魔法を使いこなして庭園を跳ねまわる。


「はっはーっ! 身体が羽のように軽いぜ! この解放感、たまらねぇよな!」


「___光の加護を我に与えたまえ…”光鎖バインド”!」


 _ガキィンッ!_


「ああっ!?」


 マルクが使用人達から逃げ回っている間、アイリーンは懐から手帳を取り出してぶつぶつと詠唱を唱えていた。やがて詠唱が終わり、呪文を叫ぶと光り輝く鎖が現れてマルクを拘束した。身動きがとれなくなったマルクはぼとりと地面に落ちる。


「…あ~あ、捕まっちまった。もうちょっと遊びたかったのにな」


「なりませんっ! 貴方はバーンズ家の次期当主なのですよ! もっと毅然としていただかなくては困ります! また闇魔法など使って!」


「だって先生の授業だるいんだもんよ。歴史とかお行儀のことばっかで全然闇魔法のこと教えてくれねぇし」


「当たり前です! 誰がそんな穢らわしいものを! このことは当主様にも報告させていただきますからねっ!」


「へーへー、分かりましたよ。相変わらずキンキンとやかましい声なんだから…」


「何ですって!?」



 言い争いをしながらマルクはアイリーンに引きずられて屋敷の中へ入っていく。


 魔法の力を存分に楽しんでいるマルクだが、一つだけ不満があった。物語における魔法は、使用者が一言二言呪文や技名を唱えればお手軽に顕現できてその力を味わえるものだった。しかしこの世界の魔法は違う。長ったらしい詠唱を念仏のようにぶつぶつ唱え、魔力を徐々に徐々に高めていき、発動する魔法を詳細にイメージして、最後に呪文を唱えてようやく形になる非常にめんどくさいものだ。例えば先程アイリーンが使っていた”光鎖バインド”という魔法は、「我願う、光の輝きがあることを。我願う、地上に光の恵みが訪れることを。天上に輝く天の光よ、どうか光の加護を我に与えたまえ」という冗長にも程がある詠唱を唱えなくてはならない。これがなかなかの集中力を使うし、毎回使用の度に唱えなきゃならないのはめんどくさくてやってられない。何よりこんな様じゃ戦闘の時に使い物にならないだろう。現にアイリーンは使用人達にマルクの相手をしてもらっている間に詠唱していた。


 だからマルクは6年間魔法の訓練と研究を続け、無詠唱で魔法を使う技術を身につけた。あの長ったらしい詠唱を暗記し、頭の中で唱え、最後に技名だけを唱えるのだ。こうすることでかなりの時間短縮に成功した。


 とはいえめんどくさいものはめんどくさい。詠唱を省略できるといってもそれは見かけだけで脳内ではやっぱり長~い文言を口にしなければならないのだ。おまけにちょっとイメージが崩れたり詠唱を間違ったりすると途端に失敗してしまう。正直言って使い勝手が悪い。

 ボタン一つ、あるいはクリック一つで何でもできたIT社会の現代を生きてきたマルクとしてはもう少し手軽に、シンプルな方法で魔法を楽しみたい。それが最近マルクが考えている課題だった。


 


「さぁっ! 着きましたよマルク様! ご当主様からお叱りの言葉をたっぷりいただきましょう!」


「…なぁ先生、そんなに怒鳴り散らして喉枯れないのか?」


「誰のせいだと思っているのですかっ!」


 アイリーンに引きずられ、いつの間にかマルクはバーンズ家当主の、つまりマルクの父親の執務室の前に到着していた。アイリーンは怒りの感情からか鼻息を荒くしており、マルクはめんどくさいことになりそうだと辟易している。


 一先ず、何とかこの場をやり過ごさなければならないようだ。マルクはため息をついて執務室のドアをノックした。




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