夏休みの宿題

増田朋美

夏休みの宿題

その日は、武史くんの学校も、もう一学期が終了するということで、生徒は午前中だけ学校に行って、すぐに帰ってくる予定だった。だけど、そういうわけにもいかない人もいる。つまり、どういうことかというと、学校から呼び出されたのである。

「お父さん。確かに、日本とイギリスでは学校制度が違いますよね。それは認めますけど、いくらなんでもこの様な絵を描く子を、放置しておくとは有り得る話でしょうか?」

ジャックさんは、武史くんの描いたという画用紙を担任教師に見せられた。確かにとても派手な原色を使っていて、岡本太郎の明日の神話みたいな変な絵である。

「この絵をどういう人物を描いたかと聞きましたら、めんせんとか言う着物を着ているおじさんを描いたそうですが、それにしても、これは本当に人間を描いているのでしょうかね。どう見ても、これは、人間ではなくて、骸骨を書いてあるでしょうが。」

担任教師は、嫌そうな顔をしていった。

「そうですが。武史が、学校で何があったなんて何も知りませんでした。ただ、遅刻はしないし、宿題もちゃんとやっているので、順調にやっていると思っていました。」

ジャックさんは、思っていることをちゃんと言った。

「それはつまり、イギリスではそうなっているのですか?」

担任教師は、呆れた顔になった。

「そうなっているって、誰でも、個別に事情があるわけですから、それに踏み入ることはしませんよ。それは何処の国でも同じなんじゃないですか?」

ジャックさんがそう言うと、

「いえ、同じじゃありません。この様な絵を描くのであれば、立派な授業妨害です。こんな絵を描かないように、武史くんに言い聞かせてください。そうでなければ、うちの学校は、こんな絵を描く生徒を預かっているのかということで、困った学校ということになります!」

と、担任教師は言った。

「結局、武史の事を思っているわけではないということですね。それは学校のメンツのためにそう言っているんでしょ。それに先生、着物の名前ですが、めんせんではなく、銘仙です。武史は、銘仙の着物を着ている人を絵に描いたんだと思います。」

ジャックさんは、担任教師にいうが、

「ええ。そういう事を言うのであれば、お父様がもう少し、しっかりしてもらわないと。これでは、夏休みの宿題が心配でなりません。夏休みに読書感想画を描くという宿題が出ているのは知ってますよね?できれば、夏休みが終わってから提出するのではなくて、先にこっちへ持ってきて貰えないでしょうか。」

と、担任教師はすぐに言った。

「そんな事、他の生徒には課さないのに武史にだけ課すのですか?それでは、武史が不公平になりますよね?」

ジャックさんがそうきくと、

「全く、そういうところは平等って言って、それ以外では、個人主義ですか。イギリス人は困るなあ。」

と担任教師は言った。

「いえ、そういう事は、国籍など関係なく不公平だと思います。先に夏休みの宿題を提出させるなんて、ちょっと武史の事を差別していると思います。」

ジャックさんは、きっぱりと言った。

「武史だけ夏休みの宿題提出を早く提出しろなんて、明らかに差別です。それは学校として、いけないと思います。教育機関なら、宿題は公平にやらせるべきです。一人だけ不当な扱いをさせるというのは、教育に反するのではありませんか?」

「まあ困りますなあ。とにかくですね。武史くんの素行の悪さには目を瞠るものがあります!授業妨害も酷いし、この様な岡本太郎の様な絵を描かれては、困るんです。お父さん。個性を大事にしようなんて、そんな古臭い教育方針にふけっている暇があったら、もう少し、日本の教育制度について勉強してください。」

何を言っても糠に釘、暖簾に腕押しであった。どうして学校の先生というのは、こんなに人の言うことを聞かないだろうとジャックさんは思うのだった。とりあえずその日は、先生に武史くんに読書感想画の提出を早めてくれと散々言われて、ジャックさんは、家に帰ることになった。やれやれ全くどうして学校の先生はこうなんだろうと思いながら、ジャックさんは、学校を出ようとしたのであるが、

「田沼さんじゃありませんか。」

と、一人の女性が話しかけてきた。誰だろうとジャックさんが考えていると、

「私、星野と申します。星野節子です。星野舞の母です。」

と、彼女は言った。

「ああ、時々武史から、舞ちゃんという生徒がいたと話を聞きました。舞さんは、最近教室には姿を見せていないと武史から話を聞きましたが、お母様だけ、学校に来ていらっしゃるのでしょうか?」

ジャックさんがそう言うと、

「ええ。今日は、学校から呼び出されまして。結局、夏休みの前までに学校に来ることはできませんでしたから、もう舞には辞退するようにと言われたんです。」

と、お母さんは言った。

「そうなんですか。それは大変ですね。確かに、学校というのは、本当に生徒の教育をしているのかなと、疑問に思いたくなる節がありますよね。今日武史の事について、話がありましたけど、本当に武史のためなのか、それとも学校のメンツのためなのか、わかりませんでした。」

ジャックさんは、大きなため息をついていった。

「そうですよね。私も、そういうことでは、思い知らされました。学校は生徒を教育するようなところではありませんよね。私の娘もこのままでは永久に学校から追放されてしまう。今日は、新しい学校を決めるようにと言われました。」

と、舞さんのお母さんは言うのである。

「それは大変。行先はあるのでしょうか?」

ジャックさんがそう言うと、

「いえ、ありません。何処へ当たっても定員が一杯で、、、。見つかりませんでしたと校長先生にいったんですが、迷惑かけているんだから、もう学校から出て行ってもらいたいと言われました。」

舞さんのお母さんは言った。

「そうですか。僕は、学校に行けなかったら、学校を変えてしまっても大丈夫だと思いますけどね。それは、当然のことじゃないですか。だってどんな人間でも正当な教育を受ける権利があるってことはちゃんと、保証されていますからね。今の学校で、ちゃんと教育を受けられないんだったら、別の学校でちゃんと教育を受け直すということは、当たり前のことだと思いますけどね。」

ジャックさんは外国人らしくそう言うと、

「そうですか。外国の方は、そう言ってくれますよね。きっと外国の方だから、そういう事を言えるんでしょう。日本の方であれば、そんな優しいセリフは言いませんよ。」

舞さんのお母さんは、苦笑していった。

「いやあ、外国であろうが、日本であろうが、そういう事は、大事なこととしてもっと、大げさに口外してもいいんじゃないでしょうか?うちの武史も、ちょっと、この学校では難しいと思うこともあります。」

ジャックさんは、大きなため息をついた。

「そうですよね。私も、なんか田沼さんの言葉を聞いて、安心しました。田沼さんが、そう言ってくれて、舞のために新しい学校を探そうっていう気になりました。」

舞さんのお母さんはそう言っているのだった。

「じゃあ私、これで失礼しますね。暑いですから、田沼さんも体に気をつけて、頑張ってください。」

そう言って、舞さんのお母さんは、車のある方へ歩いていった。舞さんは、きっと、お母さんに背中を押してもらって、新しい学校へ行くのかなとジャックさんは思った。

とりあえずジャックさんは、武史くんを預けている製鉄所に向かった。製鉄所と言っても鉄を作る工場ではなく、ただ製鉄所と名を冠して要るだけの福祉施設である。居場所のない若い女性たちに、勉強や仕事をさせる部屋を貸している施設だ。武史くんも、そこで預かってもらっているのである。

「こんにちは、田沼です。武史を預かって頂いてありがとうございました。」

とジャックさんが玄関の引き戸を開けると、ピアノの音が聞こえてきた。多分、水穂さんがピアノを弾いているのだろう。ジャックさんは音楽には詳しいと言うわけではなかったが、水穂さんが、ラベルのクープランの墓にある前奏曲を弾いているのだなということがわかった。

「おじさんすごい。もう一回聞かせて。」

「はいはい。」

水穂さんは武史くんに言われて、もう一度弾き始めた。

「武史。」

と、ジャックさんは、四畳半のふすまを開けて言った。

「学校の用事が終わったから帰ろうか。」

小学校1年生の武史くんは、夢中で水穂さんのピアノを聞いている。それを見ると武史くんは本当に幸せそうで、それを止めてしまうのは、できないだろうなとジャックさんは思った。

水穂さんが前奏曲を弾き終えると、

「ああ、お疲れ様です。学校から呼び出されるなんて、ジャックさんも大変ですね。何のことで呼び出されたかは知りませんが、武史くんは先程の曲を聞いて、こんな絵を書かれておられました。」

と、机の上においてあったスケッチブックをとってジャックさんに見せた。確かに、武史くんの描いた絵なのだろうが、その絵は何を描いたか正直わからない様な絵だった。確かに、岡本太郎の絵に似ている。言って見れば、派手な赤と青のぐるぐる巻きを何度も繰り返しているような絵だった。

「武史。」

ジャックさんは言った。

「明日から夏休みだね。夏休みの宿題の読書感想画は何を描くか決めているんだろうね?」

武史くんはどうしてそんなことを聞くのという顔をした。

「うん。決めたよ。とっくに。」

と、武史くんは言った。

「この本を描くって決めたんだ。」

そう言って武史くんは、カバンの中から文庫本を出した。

「これはなんという本かな?」

ジャックさんは本をとってみると、「雪のひとひら」という外国人が描いた小説であった。こんなもので読書感想画などかけるのだろうかと思うけど、武史くんはその本の読書感想画を描くつもりらしい。

「ポール・キャリコの美しいお話ですね。人間の一生を描いたと言われる本ですが、子供から大人までよく読める本です。」

水穂さんがそういうと、

「それで、この本の感想画を描くつもりなんだね。そうではなくて、他の友だちが描いている様な読書感想画をかけないものだろうか?」

ジャックさんは思わずそう言ってしまった。

「なんで?他の本は、本当につまんないんだもん。」

武史くんはそう言うが、

「本がつまらないというか、でも他の友だちがするようなことを一緒にしないと学校ではいけないと言われたことはないの?」

ジャックさんはそういった。

「そうだけど、僕はあんまり興味ない。そういうのって変かな?」

武史くんはそういった。そう言われると、ジャックさんも返答に困ってしまう。

「変というか、なんというか、学校の先生が、」

「学校の先生がいっても、僕が書きたい本の読書感想画をかけばそれでいいと思う。だって、パパに出された宿題じゃないでしょ。宿題をするのは僕の方だよ。だから、心配しないで。」

ジャックさんはそう言ったのだが、武史くんはすぐにそれを否定した。

「そうだねえ。武史くん。」

と水穂さんは、優しく武史くんに言った。

「学校では、みんなと一緒ということは大事なんだよ。確かに君にはつまらないかもしれないけど、でも、みんなと同じ本で読書感想画を描くっていう宿題はしないとね。」

「なんで?」

と、武史くんは言った。

「だって、同じにしようもないじゃないか。どうせ、みんな同じ様なものを書いて、みんな同じ事を描くなんてつまんないよ。なんでみんなとおんなじ時刻で、おんなじ内容を勉強しなくちゃならないの?それでは、何も面白くないでしょ。」

「そうだねえ武史くん。それは、たしかにそうかも知れないけれど、小学校というところはそういう場所じゃないんだよね。そういう個人がどうだとか、個性がどうだとかそういう事は、大学にいってから考えるといいよ。日本の教育制度は、個性を大事にしようというより、全体がどれだけきれいに動いているか見る教育制度だから。それは、自分の中で、納得していこうね。」

水穂さんが優しく武史くんに言い聞かせるのだった。こんな発言を、小学校の一年生のこどもがするなんて、やっぱり武史は何処かおかしなところがあるのかなとジャックさんは思った。

「だから、明日の神話みたいな絵を描くのはやめて、ちゃんと周りの生徒さんが描くのと同じ様な絵を描こう。」

水穂さんに言われても武史くんは黙ったままだった。多分きっと、自分の絵は岡本太郎みたいな絵だと、武史くんは勝手に思い込んで要るのだと思われた。

「しかし、どうして武史が、岡本太郎の様な絵を描くのでしょうか。僕はよくわかりません。武史に、写生などにもよく行かせましたが、みんな岡本太郎が描く絵の様なものばかりなんですよ。例えばたんぽぽの花を、そのまま書いてみろと言ったら、たんぽぽの花ではなくて、変な渦巻きのような絵を描いていました。」

ジャックさんは困った顔で言った。

「武史くん、学校は楽しくないの?」

水穂さんがそうきくと、

「楽しいよ。だって国語の授業では、いつも意見を出して、それが違っていても、ちゃんと訂正できるように、みんなで一緒に考えてくれるもん。」

と武史くんは答えた。確かに小学校の授業ではそれで良い成績が取れるのだ。だけど、中学校や高校などでは、すぐに落第してしまうことだろう。みんなと同じ答えを出せる、つまり試験でいい点が取れないと、勉強ができないと、思われてしまうからである。

「そうなんだね。武史くん、中学校では、そういう事をしてくれる人は一人もいないんだよ。みんなと同じ答えが出るようにしないと、中学校では馬鹿にされたりいじめられたりしてしまうの。だから、そうではなくて、みんなに合わせることをしなくちゃ。」

水穂さんは、そう言ってくれた。それを聞いてジャックさんは、自分にはそういう注意はできないなと思った。なぜならジャックさんも、日本の教育というものを体験していないからである。

「でも、岡本太郎の絵のような絵をかける武史くんはすごいよ。他の人にはないモノを感じられる力を持ってる。それは素晴らしいことだと思う。だけど、大事なのは、生活していくことなんだよね。綺麗事だけでは生きて行かれない。それを学んで、みんなと同じ読書感想画をかけるようにならなくちゃ。もし、つらいのであれば、おじさんがいくらでも聞いてあげるから、みんなと一緒に行動することを学びなさい。それが、武史くんには必要なことだと思うよ。」

水穂さんは、武史くんにそういった。その言い方も命令口調ではなくて、いかにも苦労して身につけたように語ってくれるから、武史くんには通じたようだ。

「だから、雪のひとひらの読書感想画を描くのはやめようか。その代わりに周りのお友達が描くような本を探しに行こう。大丈夫、おじさんがついてる。武史くんが寂しい思いをしないようにそばにいてあげる。だから、その代わりに、ちゃんと夏休みの宿題をしようね。」

「どうもすみません水穂さん。お体が悪いのに、そんなことをしてくれるなんて、申し訳が立たないですよ。本なら後で買いにいかせますから、今日はここまでと言うことで。」

ジャックさんは、水穂さんに言うのであるが、水穂さんは、いいんですよと言って、外出用の絽の羽織を羽織った。こんな暑いときなのに、几帳面に羽織を羽織っていくのが水穂さんという人だった。

「書店はすぐそこです。すぐに戻りますから大丈夫です。」

「しかし、」

水穂さんがそう言って四畳半を出ようとするが、ジャックさんは心配になってそれを止めた。水穂さんに、こんな暑い中を歩かせるのは酷だと思った。

「すみません。ちょっと行ってきますね。」

水穂さんは、そう言って武史くんと一緒に玄関を出てしまった。せめて車を出すべきだなとジャックさんは思ったが、水穂さんは、製鉄所を出ていった。ジャックさんは仕方なくそこで待たされることになった。待っている間に、自分は武史に何をしてきたのだろうと思う。こういう学校制度のことは武史は、水穂さんや他の人に教えてもらっている。もちろん、外国人が日本のことを日本人以上に知っていることはないと思うけど、自分は親として、水穂さんがしてくれるような事を、何もしていないなとジャックさんは自分が情けなくなった。

30分ほど待って、引き戸をガラッと開ける音がした。

「帰ってきたよ!」

武史くんの明るい声がする。ジャックさんは、水穂さんが無事に帰ってくるかどうか心配だったが、水穂さんはすぐに帰ってきたようであった。武史くんは、水穂さんにお礼も言わずに、本を読み始めてしまった。本のタイトルは百万回生きた猫である。また今までの本より難しい本を買ったなとジャックさんは思ったが、水穂さんの話によると、読書感想画コンクールの課題図書になっていると、店員から聞かされたと言うことだった。でも、文字数は文庫本に比べると少なく、武史くんはつまらなそうにしている。ジャックさんは叱りたいと思ったが、水穂さんが、疲れてしまったのか、同時に激しく咳き込んでしまったので、その世話をしてやらねばならなかった。つまり水穂さんの背中を擦ったりしてやらなければならなかった。水穂さんが、薬を飲んでくれて、布団に倒れるように横になって、眠ってくれるまで、ジャックさんは彼を見ていなければならず、武史くんの事は、何も気にも止められなかった。

「僕、百万回生きた猫の絵を描くよ。」

不意にそういう声が聞こえてジャックさんはびっくりした。

「だって、おじさんが優しく説明してくれたんだもん。みんなも同じ様な絵を描くと思うけど、宿題だから、しょうがないよね。」

多分、水穂さんは書店に行きながら、学校のことなど話してくれたのだろう。ジャックさんは、本当にありがたい人物だなと思いながら、水穂さんを見た。きっと、舞さんのように何も変わることのできない自分には、こういう協力者がないと、行きていけないのではないかと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夏休みの宿題 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る