第26話 隠されていたもの
夕暮れが近づいた薄青色の空の下で、道沿いの木々が風でざわと音を立てた。
この歩道は、本校舎の東側から体育館の方へ続いている。しかし今ごろの時間帯になると校舎の影になって、人通りも少なくうら寂しい雰囲気が漂い始めるのである。
そして道の途中には丘の上に続く山道があるのだが通常は立ち入り禁止なので、この場所に用事がある人間など本来は居るはずもない。
だが、その普通であれば近寄る生徒などいないはずの通り道にふらりと二つの人影が現れる。彼らは不機嫌そうにブツブツと不満を漏らしていた。
「……どうなっているんだ? 偶然か知らないが、なぜか隠した場所の写真がSNSにアップされて人が集まってきやがって。これじゃあ近寄りづらいぜ」
「ここなら大丈夫かと思ったんだが、また下級生が寄り付いてきたしなあ。次はこの道路わきじゃなくて、そこの山道に入ったところに隠すってのはどうだ。立ち入り禁止なんだから都合がいいだろ」
「全く千駄木の人気にあやかって、良い思いをするつもりだったのによ。これじゃあ、なかなかまとまった量を売りさばくことができないよな」
「……僕がどうかしたんですか?」
唐突に朗々とした声がかけられ、彼らはぎょっとしてこちらを振り返る。
道路わきに置かれた大きめの植木鉢、それを運ぼうと手をかけていたのは二人の少年だった。
一人は眉毛が太い角ばった顔つきの野球部員。野球部で聞き込みをしたときに千駄木くんに嫌味を言っていた湯島である。もう一人は同じくミーティングに遅れそうな千駄木くんをなじっていた細目に丸顔の野球部員、根津だ。
そして二人の前に立ちはだかっていたのは彼らが口にしていた当の本人、千駄木くんだった。彼は動揺する二人を見下ろして、さらに一歩前へ進み出る。
「二人で植物の世話をするなんて、ずいぶん不似合いな趣味ですね?」
湯島が「せ、千駄木?」と動揺した声を上げる。
そんな二人に迫る彼に続いて、僕らも隠れていた校舎の陰から歩道に踏み出す。
「君たちは知らないだろうけど、そこの山道の先にはある女の子の大事な思い出の場所があるんだ。あまりみだりに踏み入ってほしくない」
「ところで、その植木鉢。大きさの割に、上に載っている花はずいぶん小さいのね。まるで『小さな鉢を乗せて蓋をしている』みたいだわ」
僕と星原は千駄木くんとともに現場を押さえるべく彼らと対峙した。
あの後、問題のアカウントの動きをチェックしていた僕らはSNSに新しい写真が掲載されたので、すぐにその場所を特定して休み時間や放課後に張り込んでいたのである。そして植木鉢が映りこんでいたその写真の場所が、本校舎東側の歩道だったのだ。
星原の言葉を引き継ぐように、彼女の隣に佇む虹村が口を開く。
「作業教室棟の横、実習棟の裏、そして本校舎の非常階段。人が集まるたびに校内の場所を移動させていたようだけれど。そんなにまでして隠さないといけないものは何なのかな。場合によってはクラス委員として学校に報告したいから、確認させてもらえる?」
「お、お前らは。この間の新聞部の取材のときの……」
根津が困惑した顔で僕らを見つめ返した。だがその時、シャッター音が響いて僕らの背後からもう一人の少女が現れる。メタルフレームの眼鏡をかけた新聞部の少女、清瀬である。
「新聞部は私だよ。とりあえず植木鉢を運んでいるところを証拠写真として撮影させてもらったが。……そうそう、何でも野球部のマネージャーさんの話では最近、ボールやユニフォームなどの備品が無くなっているそうだね。ところで、その植木鉢の中には何が入っているのかな?」
クラス委員と新聞部の人間まで現れて二人が気圧されたところで、千駄木くんが彼らの所へ歩み寄る。そのまま強引に植木鉢に植えられた花の幹を掴んで持ち上げた。するとあっさりと外れて、小さな鉢が大きな植木鉢の上に乗せられていたことが明らかになる。
続けて、彼は植木鉢の中にあるものを引っ張り出した。出てきたのは、想像通り硬式野球のボールと野球部の予備のユニフォームだった。
「なぜ、こんなものを隠していたんです? 部の備品は学校の物です。私物化はまずいんじゃないですか?」
厳しい口調で問い詰める千駄木くんに、湯島が「ご、誤解だ」と顔を歪ませて弁明する。
「俺たちは、グラウンドの外に落ちたボールを拾っておいただけで」
「そ、そうだ。まとめて、返すつもりで」
根津も上ずった声で否定するが、その目は都合の悪いことを誤魔化すかのように泳いでいた。ポニーテールに眼鏡のクラス委員がそこで持っていた携帯電話の画面を二人に突きつける。
「このSNSのアカウントは先月から、千駄木くんのものとして有名になっているものだけれど。反応しているメッセージの中に『サインボールが欲しい』とか『使っていたユニフォームは売っていないか』と呟いているものがあったんだよ。そしてさらにそのメッセージに『いくらだったら買いますか』と販売を持ち掛けているアカウントがあったの」
「一応、そのアカウントの過去の投稿も調べたのだけれど。内容からして、そのアカウントも野球部の高校生のようなのよね。……野球部の備品の販売を持ちかけるアカウント。そしてあなたたちは、その植木鉢にボールとユニフォームを隠していた。最近の野球部の備品紛失にはあなたたちが関係しているんじゃあないの?」
腕組みをした星原が鋭く指摘した。だが湯島は首を左右に振ってなおも反論する。
「違う、そんなの。俺たちだっていう証拠なんてないだろう」
「なるほど、君たちはあくまで関係ないと主張するんだね」
僕は穏やかになだめるよう調子で彼らに呼び掛けた。
「そうだね。この販売を持ち掛けるアカウントが君たちのものだという証拠はない。でももし仮にそうだったのだとしたら、現役の野球部員が部活の備品を持ち出して販売していたなんて、とんだ不祥事だ。下手をすれば部活そのものが活動停止になるかもしれない。……繰り返し言うけれど、もしも君たちが野球部の備品を持ち出したのだとして。まだ実際に売るようなことをしていないのなら『未遂だった』ということで見なかったことにしてもいい」
その言葉に湯島と根津は迷うように目線を交わしあう。逃げ道を作ったところで、さらに追い込むように続ける。
「そもそも君たちが本当に部活の備品紛失に関わっていなくて、そこにあるボールやユニフォームが拾ったものだというのなら、ここで千駄木くんに渡しても問題ないはずだ。そうだろ? 確認するけど君たちは、備品の紛失にもボールやユニフォームの販売を持ち掛けるアカウントにも関わっていないんだよね?」
「……お、おう。そうだ」
「たまたま見つけたものをここに置いておいただけだ」
彼ら二人はぎこちない笑顔で頷きあった。
「それじゃあ、この場で千駄木くんにそれを渡して置いて行っても特に問題はないというわけだ。……千駄木くん」
「はい」
僕が野球部のエースに目線を向けると、彼は用意していた紙袋にボールとユニフォームなどを詰め始める。
「後は、自分が片付けておきますので。先輩方は僕に任せてどうぞお引き取りください」
彼は皮肉のこもった口調で、湯島たちに告げた。二人の三年生部員は逃げるようにその場を歩き去る。やがてその姿が完全に見えなくなったところで、僕らは顔を見合わせてため息をついた。
「……しかし月ノ下くん。何のお咎めもなしに見逃すというのは、ちょっと甘いんじゃないのかな?」
若干、不満そうな声を漏らしたのは清瀬である。
「そうはいっても、確認できたのは彼らが野球部の備品をこっそり隠していたところまでで、本当に売るつもりだったのかということについてははっきりした証拠はないからね。状況証拠は十分そろっていたけど、それが明るみになったら野球部が活動停止になるかもしれないんだ。それは千駄木くんだって望むところじゃないだろう」
「あの二人だって追い込み過ぎて退学にでもなろうものなら、失うものが無くなってどんな行動に出るかわからないものね。落としどころとしてはこのあたりが妥当でしょう」
「これに懲りて、同じことを繰り返さないと良いんだけどねえ。次もやるようなら流石に私も学校に報告するしかないかな」
星原と虹村が僕の後に続いてそれぞれ応えた。新聞部の少女は残念そうに肩をすくめる。
「そうか。スクープを取り損ねたな。……しかし、あの二人は千駄木くんのサインボールを偽造して、売るつもりだったのかもしれないが。ユニフォームはともかく普通にボールを店で買って売るという発想は無かったのかな」
「野球の硬式ボールは一ダースで一万円くらいですからね。元手もかかるし、売れれば丸儲けできるのなら部活の備品を拝借したほうが良いという発想だったんでしょう」
呟きながら千駄木くんが紙袋に備品をしまい終えて、僕らの方に向きなおった。
ちょうどその時「おおい、大丈夫か? 上手くいった?」と人懐こい声が校舎の方からかけられる。
色黒で、人の良さそうな造作の少年。千駄木くんと同じ野球部の友人である駒込くんだ。
「ああ。心配かけたね。どうにか備品は取り返したよ。ご協力ありがとう」
僕らは湯島たちとの話が上手くいかず彼らが逆上した場合に備えて、駒込くんに校舎の陰に隠れて待機してもらうようお願いしていたのだった。
虹村が感謝のこもった笑顔で彼を見やる。
「もめ事になったときには先生に連絡してもらうつもりだったけど、その必要は無くて良かったよ」
「いやあ。大したことじゃないですよ。お役に立ててよかったです」
彼女の言葉に駒込くんは朗らかに頷いてみせた。だがそんな彼に千駄木くんは唐突な質問を投げかける。
「ところで月ノ下さんから聞いたんだけど。本当に清司がSNSで僕のふりをしていたのか?」
野球部のエースの質問に駒込くんは凍り付いた表情になった。その瞬間、他の皆も黙り込んで、彼に視線を集中させる。
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