第25話 「表面的な要求」と「本当の欲求」

「ふうん。そっちでも千駄木くんのファンが写真を撮っていたんだ」


 椅子に腰かけた艶やかな黒髪の少女は机越しに僕を見つめながら呟いた。


「そっちでも、ってことは星原の方も?」

「あ、私の方でも『千駄木くんのSNSを見て来た』という人が写真撮影していたよ」


 同じく横に座った虹村が軽く手を挙げる。


 蛍光灯が規則的に並べられた机と椅子を照らし、窓の外からは部活動の掛け声や雑談で盛り上がる生徒たちの喧騒が響いていた。


 作業教室棟横の雑木林を調べた後、僕は星原と虹村に連絡して三年B組の教室に放課後に集まってもらったのだ。そして、千駄木くんのファンが雑木林で写真を撮っていたことや写真部の春日さんから聞いた話を説明したところだった。


 机の上で顔を突き合わせながら僕らはお互いの情報交換をする。


「私の方も、一年生の女の子が五人くらいのグループで写真を撮っていたわ。例のSNSに載っていたのと同じアングルで」

「こっちでも二年生の男女が写真を撮りに来ていたの。やっぱりSNSで話題になっているからって、面白がって」


 星原と虹村が左右からそれぞれに答えた。


「それで、植木鉢はそこにあったのか?」

「私の方にも既に無かった。写真には映っていたのにね。……ただ、場所が実習棟の裏手だったでしょう? 園芸部の物なんじゃないかと思って聞いてみたんだけど、特に覚えがないという返事だったの」


 僕の質問に星原が悩ましい表情で髪をかきあげた。隣の虹村もポニーテールを揺らしながら首を振る。


「私は写真と見比べたときにすぐに植木鉢がないことに気が付いたんだけど。そもそも非常階段の上で、普段は人が少ないはずの場所だったからね。誰が持って行ったのかを訊きたくても、心当たりがありそうな人すら見つからなかったよ」

「それじゃあ、やっぱり例のアカウントの主が写真を撮影した後で植木鉢を移動させているのか。……しかし、校内のあちこちで写真を撮ってそのたびに植木鉢を動かす理由って何だろうな?」


 頭を抱える僕に星原が「思い付きだけれど」と前置きして口を開く。


「結果だけ見れば、その場所で写真を撮ることで千駄木くんのファンの人たちが集まってきたわけでしょう? 何かの理由で人を集めたかったんじゃないの?」

「……何かの理由って?」

「さあね。でも普通なら写真をSNSに載せる理由って、人に注目してもらうためだと思うわ。だけど、今回の件ではそれは表面的な目的に過ぎなくて、その先に本当の目的があるんじゃないかしら」


 おそらく彼女の見解は正しいのだろう。しかし判断材料が足りていないために具体的な答えは出てこないようだ。方向性は間違っていないはずなのに答えにたどり着けない。何とも言えないもどかしさがある。


「表面的な目的の向こうに本当の目的、か。春日さんも似たようなこと言っていたっけ」


 ぽつりとつぶやくと、彼女は「ああ」と反応する。


「『消費者のニーズに素直に応えても、感動するものは作れない』『ニーズを超えたところに本当の欲求がある』っていう話ね。私もあなたから聞いて、腑に落ちるものがあったわ。……自動車の製品化に成功したフォードはこう言ったもの。『もし顧客に彼らの望むものを聞いていたら、彼らは『もっと速い馬が欲しい』と答えていただろう』」


 移動手段として馬しか知らない、近代化以前の一般大衆のニーズを素直に聞いていたら、自動車は永遠に発明されなかったかもしれないわけだ。


「要は、『速い馬が欲しい』という人たちの本質的な欲求は『便利な移動手段が欲しい』ということだった。『荷物を載せることもできて、疲れもなく走り続ける自動車という概念』を目にして、初めて消費者は『自動車が欲しい。自分たちが欲しかったものはこれなんだ』と気が付いたんだな」


 横で聞いていた虹村も感心したように頷いた。


「へえ、なるほどね。……そういえばこの間も似たような話をしたねえ。『リアルよりもリアリティ』。人間は口では現実にあるものを求めているようにふるまいながら、実際には『願望を反映させた作り物』を求めているって」


 本人が欲しいと言っているものと実際に必要なもの、求めているものは違っていることがあるということなのだろう。だがその求めているものが現時点で存在しないと求めているものが何なのかもわからずに、既存の概念や思考だけで要望を表そうとするために、本当の欲求とずれが出てくるのだろうか。


 そんな風に思考を巡らせる僕をよそにクラス委員の少女は軽く微笑んで語る。


「私も何かの本で読んだのを思い出したのだけれど。ある幼児が『食べ物が欲しい』ってやたらとねだるんだ。でもその子が本当に欲しいのは食べ物じゃなくて愛情だったんだって。……それで母親は黙って幼児をだきしめたら、それだけで食べ物の要求がおさまったっていう話」

「ふうん。まあ表向きの要求は実は二次的な願望に過ぎなくて、本来の欲求が隠されていたっていうことだよな」

「ああ。ドリルを買いにきた人が欲しいのはドリルではなく穴である、みたいな話ね」


 虹村が僕と星原の物言いに眉をひそめて考え込むような顔になる。


「でも、それじゃあ今回の状況に当てはめるのなら。人を集めるのは表面的な目的に過ぎなくて、本当は植木鉢に注目してほしかったっていうことなのかな?」

「私もそうじゃないかと思うのだけれど、問題はじゃあ何でそれをわざわざ動かすのかということなのよね。『綺麗な景色やハッとさせる構図で目を引いて、人を集めることで植木鉢に気が付いてもらう』と考えればつじつまは合うけど、どうして場所を動かす必要があるのかしら」


 確かに星原の言うとおりだ。植木鉢に注目してほしいなら、そのまま置いておけばいいではないか。なぜ植木鉢の場所を動かす必要があるのだろう。本当は動かしたくないが、撮影者の意図に反して動かさないと困る理由でもあるのだろうか。


 待てよ? 意図に反して?


「もしかして。……違うのか? アカウントの主の意図じゃなかったということなのか」

「何? どうしたの?」


 唐突な僕の呟きに星原が僕に目を向ける。


「いや、僕は今まで植木鉢を動かしていたのは撮影したアカウントの主だとばかり思っていた。だけどもしも『他の誰か』が植木鉢を動かしているのだとしたらどうかな。……つまりその人物は植木鉢を映した写真が撮影されるたびに、『人が集まって注目されるのを嫌がって移動させていた』んだ。そしてアカウントの主はそれを追いかけて写真を撮っていた」

「つまり、こういうこと? あの植木鉢に注目されると困る誰かがいる。アカウントの主はそれを偶然知ってしまった。そしてSNSに植木鉢がある場所を写真に撮って公開することで、それを閲覧して集まった人間に気づかせようとしていた。人が集まるのを嫌ったその誰かが、植木鉢を動かしていた」


 星原の発言に虹村が鋭い目つきになる。


「……それが本当なら、この植木鉢には表ざたにされたら困る何かがあるということになるね」

「だけど、それっていったい何なのかがはっきりしないわ。それに植木鉢の秘密を知ることができる立場だったこのアカウントの正体は結局、誰なのかがまだ分からない」


 黒髪の少女の指摘に僕は「確かにそうだ」と歯がゆい心持ちになる。


 そもそも最初はこの三枚の写真にアカウントの主に繋がる手掛かりがあるのかと思って調べ始めたのだった。


「何かこの写真に撮影者に繋がりそうな手掛かりが他にあればいいんだがなあ」

「とりあえず、時系列だと『作業教室棟の雑木林』『校舎裏の非常階段』『実習棟の裏手』の順番に撮影されたみたいだけどねえ」


 虹村が例のSNSの投稿ツリーを表示させた携帯電話の画面を僕に見せた。最初は作業教室棟の雑木林か。


「そうだとすると、最初に植木鉢は『作業教室棟の雑木林』にあった。そこでアカウントの主は植木鉢に何かが隠されているのを知ったのかもしれないな」


 そういえば、あそこは近くに写真部があったな。


 例えば写真部の関係者だったら偶然何かを知っていてもおかしくないのだろうか。


 そこまで思考を巡らせた瞬間、僕の脳裏に写真部の春日さんが何気なく話していたある一言がよみがえる。そしてそれをきっかけに、これまで耳にした情報が急に線になって繋がり始めた。


 もしかするとアカウントの正体はあの人物なのだろうか?


 そうであれば、全てつじつまが合う。だが、だとすると隠されているものとは?


「月ノ下くん、どうかしたの?」


 唐突に黙り込んだ僕を星原が見上げ、虹村も携帯電話をこちらに向けたまま何事かと心配そうな顔をしている。だが僕の目に留まったのは彼女たちではなく、虹村が持っていた携帯電話だった。


「虹村。それをちょっと貸してくれ」

「え? 良いけど」


 彼女の携帯電話の画面に表示されていたのは、「問題のSNSアカウントに対する何行かの返信メッセージ」だ。その内容が、不意に頭に引っかかったのである。


『都内の高校野球部のエースなんですよね? 動画で観ました。格好良くて憧れちゃいます』

『サインボール欲しいなあ。後で絶対価値が出そう』

『ユニフォームも良いよね。どこかに売ってないのかな』


 その文面を見ているうちに、僕の中で霧がかかったようにはっきりしなかった部分が急に晴れて全貌が見えてくる。


「わかったよ。千駄木くんの振る舞いをしていたアカウントの正体も。彼の真の目的も」


 虹村が驚いて「本当に?」と目を見開いた。


 一方、静かに僕を見つめていた星原は「それで、この後はどうするの? その人物のところに確かめに行くの?」と問いかける。


「いいや、その前にまず植木鉢に隠されているものをはっきりさせる必要がある。きっとこのアカウントは近いうちに、また写真を掲載するはずだ。植木鉢が映っている写真を。……僕らが動くべき時はその時だ」


 星原が「もしかすると人手と準備がいるかもしれないわね」と呟き、虹村が「私も手伝うよ」と微笑んだ。

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