第24話 「撮影場所」と写真部員の話
薄い雲の上から陽光が運動場でサッカーに興じる生徒たちを照らしていた。夏が近づいているせいだろう。曇ってはいるものの少し蒸し暑い。
昼食を済ませた僕は、運動場の横にある歩道を通って作業教室棟へ向かっていた。あれから一日が経過した昼休みである。
先日、千駄木くんが送ってくれた彼が身に覚えがないという画像は三枚だ。
一枚目は作業教室棟横の雑木林。
二枚目は実習棟の裏手にある歩道に咲いていた野花。
三枚目は校舎裏の非常階段から見た夕陽。
僕ら三人は手分けしてそれぞれの場所を当たることにした。具体的には僕が作業教室棟横の雑木林。星原が実習棟の裏手。虹村は校舎裏の非常階段である。
やがて灰色で四角い二階建ての建物、作業教室棟が見えてくる。工作やグループワークなどで使用する校舎だが使う頻度が少ないせいか、実際はほとんど部活動で使用されている。僕は入り口を通り過ぎると、裏手の林へ足を踏み入れた。
さて、写真の場所はどこだろうかと僕が周囲を見渡したその時。不意にかしましい黄色い声が耳に飛び込んできた。
「ああ、ここだよ! 良い感じ」
「うん、見慣れた場所だけれどこういう角度だと雰囲気がいいよね」
「千駄木くんも、ここでたまに過ごすのかなぁ」
雑木林の木陰で、三人くらいの女子生徒が携帯電話を片手にたわむれている。リボンタイの色からして一年生のようだ。面識のない人間に話しかけるのは気が引けるが、会話の内容が少し引っかかった。千駄木くんがなんだって?
「ええと、急にごめんね? ここで何してるの?」
けんもほろろに無視をされたらどうしようかと危惧していたが、少女たちは特に嫌な顔をすることもなく答えてくれる。
「知らないんですか? 野球部のエースの千駄木くんがここでたまに過ごしているらしいんですよ」
「自然に囲まれた中でイメージトレーニングしているんだって。ストイックだよねえ」
「SNSに写真を上げていて。私たちも同じ写真が撮りたくて来たんです」
なるほど、彼女たちは千駄木くんのファンガールのようだ。アニメや映画のファンなどが作品のモデルになった場所を訪れる「聖地巡礼」というものがあるが、これもその一種なのだろう。
犬を助けたことで話題になったあのアカウントが千駄木くんだという噂が広まって、投稿した写真などもそれなりに注目を浴びるようになった。それで彼女たちのように撮影場所を訪れる人間も現れたわけだ。
情報を引き出すために、とりあえず僕も話を合わせるべきだろう。
「ああ、あの犬を助けたっていう野球部員だよね。僕もSNSに載せている写真が気になってきたんだ。どこがその場所なのか教えてくれるかな」
「知らずに来たんですか? じゃあ教えてあげますよ。ほら私たちがいるこの場所から運動場の方へカメラを向けたアングルです」
「そうか、助かったよ。ありがとう」
僕は携帯電話に写真を表示して、目の前の風景と重ね合わせる。確かにSNSで投稿された写真が撮影されたのはこの場所のようだ。正面に並ぶ木々の向こうから日差しが差し込んで、木漏れ日と木々の影がストライプ模様を地面に描いている。
例のアカウントがSNSに載せている他の写真を見たときも思ったが、投稿者は日常にある普通なら見逃してしまいそうなちょっとした対象物を、独特な構図で切り取って形に残しているのだ。
星原は例のアカウントが投稿している写真を見て「構図やセンスが結構上手い」「こなれている」と評していたが、確かに一理ある。
「……おや?」
僕はふと疑問を感じて声を漏らした。
撮影した写真と目の前の風景を実際にこうして比較すると、一つ相違点がある。
写真では右側に映っている校舎の壁際に植木鉢が置かれていたのだ。見る限り大きめの観葉植物でも入りそうなサイズに、こじんまりとした草花が植わっているちぐはぐな雰囲気の植木鉢である。
しかし今、実際に見てみるとその植木鉢は無くなっているようだ。あんなものを持っていく人間がいるとは思えないが。アカウントの主に繋がる手掛かりになるのだろうか。
「ええと、君たち。もう一つ訊いても良いかな?」
「何ですか?」
「写真だと、あそこに植木鉢があったんだけど。今はもう無くなっているみたいなんだ。理由とかわかるかな?」
「ええ? そういえばそうですね」
女子生徒たちは顔を見合わせて、キョトンとした顔になる。
「別に気にしていなかったけど」
「ほら、あの裏手に面している部屋って写真部の部室だって聞いたよ?」
「ああ。そういえば少し前まで、写真部で植物をテーマにした写真展とかやっていたのを見ました。……その関係じゃないですか」
「なるほどね。ありがとう」
この植木鉢が関係しているのかどうかはわからないが、もし写真部が何か知っているのなら聞いてみるべきだろう。
僕は彼女たちに会釈をして、来たときの経路を戻った。そしてそのまま作業教室棟の入口へ足を向ける。
薄暗い雑木林から明るい運動場に出て、右の方に向かうと終業まで開け放たれている建物の扉があった。だがその手前まで来たところで、見覚えのある顔が現れる。
「……ああ、こんにちは。昨日の新聞部の人でしたっけ?」
色黒で朴訥とした雰囲気の少年、野球部で千駄木くんの友人だという駒込くんである。
「やあ。こんにちは。いや実は昨日は新聞部員の付き添いで、僕自身は新聞部ではないんだ。そういえば昨日は自己紹介もしていなかったね。三年B組の月ノ下真守だ。ちょっとクラス委員から頼まれて手伝いをしていたんだよ。……ところで、君はこんなところで何を?」
駒込くんはジャージ姿に野球のバットを持っていたのだ。彼は照れくさそうに頭を掻いて答える。
「いやあ、ちょっとそこで用事を済ませてきたところだったので、これから自主練習をしようと思っていまして」
「昼休みなのに? 熱心だなあ」
昨日、グラウンド横で話したときは二軍でも割り切って部活に参加しているという風情だったが、本当は彼なりに努力して叶えたい目標があったらしい。
「まあ、その、本当はレギュラーメンバー用の共通メニューなんですけど。補欠以下の自分がやっているのは何となく恥ずかしいから隠れてやっています」
昨日の湯島と根津の態度を見るに、野球部内の立場には格差があるのかもしれない。実力がないと見られている人間がレギュラー気取りで同じ練習メニューをやっているとからかわれることもあるのだろうか。
地道に頑張る姿に僕は微笑ましくなって「結果が出ると良いね」と激励した。だがふと、そこで本来の目的を思い出す。そういえば写真部を訪れる予定だったではないか。
「それじゃあね」と僕は彼に手を振ると、作業教室棟の入り口をくぐった。
写真部の部室は入って少し奥まったところにある。以前にクラスメイトの日野崎の妹、巴ちゃんに頼まれて行方不明の猫を探したときに、写真部と関わったことがあったので場所は知っていた。
扉を軽くノックして「お邪魔します」と手をかけた。
「はい、どちらさんですか……ってああ。月ノ下先輩じゃあないですか」
部屋の中に入ると三脚などの機材が壁際の棚に並べられている。中央には椅子と机があり、パソコンとプリンタも設置されていた。
声を返してきたのは、椅子に腰かけていた二年生のリボンタイをした少女だ。無造作に伸ばした髪を後ろで縛った勝気な印象の顔立ちで、名前を
「やあ、春日さん。……疲れた顔をしているけど何かあったの?」
彼女は目の下にクマを作ってしかめ面になっていた。
「いやあ。今度、アート写真のコンクールに応募しようと思っているんす。でも、どんなモチーフにしようかと考えていたんですが、方針がまとまらなくて」
この写真部の少女は、学生ながらにプロのテクニックに挑戦し表現に妥協しない姿勢の持ち主である。察するに自分の撮影した写真に納得がいかず、頭を悩ませていたのだろう。
僕は思わず自分の用件を忘れて、彼女に斟酌してしまう。
「でもそういうのってやっぱり、人気のある傾向の作品とか評価されやすい表現というのがあるんだろう? 前の優勝作品を参考に方針を決めてみたらどうかな」
疲弊ぶりを見かねて素人なりにアドバイスをしたのだが、彼女はなぜか苦虫を嚙み潰したような表情になった。
「ウケているものを分析して、同じものを創れと? あー、そういうのって、よく言われるんすけどねえ。人に感動を与えるものを創作するときには敵となる発想なんですよ」
「はあ」
そういうものかな。
「わからないですか? ほら、漫画とか小説とかである話ですよ。……ある種のジャンルが流行したときに、出版社が『読者は今こういう作品を求めているんだ』とばかりに同じ傾向の話を描かせたりするんです。例えば庶民派のグルメ漫画がブームになったときには『これからは平凡な会社員やOLが身近な定食屋で美味を楽しむエンタメが売れるんだ』と素人が食通をきどる漫画の企画がやたらと作られました」
「まあ、二匹目のどじょう狙いって奴かな」
「ええ。しかし、そういう方針で創られたものが一大コンテンツになった試しはないんですよ。良くてせいぜいスマッシュヒット、ほとんどは話題になりません。……その原因は消費者のニーズに素直に応えたからです」
消費者のニーズに応えたから駄目だった?
「でも消費者のニーズに応えたのなら売れそうなものだけど」
僕の疑問に春日さんは「いいや」と首を振った。
「消費者が『こういうものが欲しい』『こういうものが見たい』と言ったからといって、そのまま同じものを創っても、それは『消費者の想像の枠を出ていない既存のエンタメ要素』を出しているに過ぎないんですよ」
「つまりヒットした作品に倣って、似たようなものを創っても感動させるようなものにはならないということかな?」
確かにアニメファン向けの匿名掲示板などで「これからはこういう作品が見たい」という書き込みがあるが、実際にその通りのものが作られてもあまり売れなかったという話は聞いたことがあるが。
「そうです。ほら、実際に世界的なヒットを飛ばして評価されたコンテンツを思い浮かべてみてくださいよ。……『ハリーポッター』が流行るより前に『主人公が魔法学校に招待されて、活躍する小説』が読みたいと言った読者がいたんですか? 『ポケットモンスター』は、『可愛いモンスターをつかまえて、対戦させるゲームがやりたい』と言った消費者がいたから製作されたんですか? あたしにはそうは思えませんね」
広く評価されるコンテンツは、受け入れられる要素を備えながらもそれまでにはなかった目新しい発想が不可欠というわけか。
彼女の主張に僕はうーんと唸った。
「でも過去の優れた作品や創作物を知っておくこと、参考にすることも大事だという気はするけどなあ」
「そりゃあ型を知らずに型破りなものは作れませんし、常識を知らなければ常識の殻は破れませんからねえ。……だから消費者の言葉をそのまま受け取るんじゃなく、『その要求がどういう嗜好から来るものなのか』を理解しないといけないんです。過去の作品はそれを知るための材料だと認識するべきでしょうね」
「つまり過去の作品に触れて『他人の心を動かすものは何なのか』を肌で理解するのは大事だけど、それを同じ形でやっても意味はないし、消費者の想像する範囲から要求されるものを作っても、本当に求めているものを創ったことにはならないと」
「ええ。要は『人を感動させる要素』を把握したうえで、それを『まだ誰もやったことがない形』で表現するってことです。それができて初めて、目にした人は『ああ、自分が求めていたのはこれだったのか』と感動する。ニーズを超えたところにある欲求を満たすことができるんです」
「へえ」
写真部員の少女のアートに対する姿勢に僕は思わず感じ入る。
つまり視聴者や受け手は「こういうものが見たい」と口にするが、時にそれは本当に求めているものをそのまま表してはいないことがあるのだ。表面上の要求をする裏に本当の欲求があるのだが、それを言っている本人もわかっていないというわけだ。
そういえば前に星原と動物の愛護について議論したときに、安易に『動物が好きだ』と主張する人間は『都合よく好きな時に触って可愛がりたいだけ』という本当の欲求を自覚できていないという話になったな、と僕は回想した。
だが瞠目する僕をよそに、ひとしきり弁舌をふるった春日さんは「はあ」と肩を落とす。
「……と頭ではわかっているんですが。じゃあ、どうすれば人を感動させる要素を誰も見たことがない形で表現できるのかというとなかなか思いつかなくてですね。行きづまっていたわけです」
「大変だね。そういえば今日は他の部員は? 確か一年生の部員もいたと思うけど」
「ああ。昼休みは別に強制参加じゃないすからね。たまに顔を出すくらいですよ。さっきも他の部と掛け持ちで所属している部員が立ち寄ったくらいで。ところで、何の用があったんでしたっけ」
僕は彼女の言葉でハッとして自分の目的を思い出した。
「そうだ、実はちょっと訊きたいことがあって」
「訊きたいこと?」
「この写真に映っている植木鉢の事なんだ」
僕は春日さんにこれまでの経緯を簡単に説明した。
あるSNSの匿名アカウントで野球部のエースの行動をなぞって、さも本人であるかのように騙っていること。
その野球部の少年、千駄木くんが気持ち悪がって、調べてほしいとクラス委員を通じて頼んできたこと。
そしてそのアカウントの正体に繋がりそうな写真がこの三枚の画像であること。
「なるほど。ご期待に沿えなくて申し訳ないですが。その植木鉢、別にうちの部とは関係ないですね」
「そうなのか?」
「はい。確かに数週間前にうちの部室の窓の傍に置かれていて、何だろうとは思ったんですが。用務員さんが一時的に校内の景観のためのものを置いただけかと思っていまして。気にしてなかったんすよ。実際、しばらくしたらいつの間にか無くなっていましたし」
写真部の少女の返事に僕は内心で頭を抱える。
それでは手詰まりということではないか。
だが、次に春日さんが発した言葉に僕は思わず思考停止する。
「しかし、この写真を撮った人間はそんなに植木鉢が好きなんですかね」
「え? ……どういう意味だ?」
「いや、だから。全ての写真にこの大きめの植木鉢が映っているな、と思いまして」
僕は彼女の手から携帯電話を受け取って、もう一度その三枚の写真を見直してみる。
なぜ気が付かなかったのだろうか。
この三枚の写真には必ず、背景にさりげなく例の植木鉢が映っていた。おそらく全て同じものだろう。つまり。
「校内のあちらこちらに植木鉢を動かして撮影している? ……何かこの写真には意味があるのか?」
いずれにせよ、他の二か所を調べている星原や虹村にも確認する必要がありそうだ。
「ありがとう。参考になったよ」
僕は春日さんに礼と挨拶を済ませると、写真部室から廊下へ足を踏み出したのだった。
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