第23話 野球部での取材(後編)
外は早くも夜のとばりが下り始め、湿った外気が頬を撫でる。野球部室の外に出てきた僕らは、グラウンドの脇にある照明の下で顔を見合わせた。
「前提として『例のアカウントの主はT駅の近くでロードワーク中に犬を助けた』『そして千駄木くんの行動をなぞるようにSNSで投稿している』というわけだ。そして『あの日ロードワークをしていた部員で千駄木くんの行動に詳しいのが町屋くんたち三人』、だけど『あの三人でT駅近くをロードワークのコースにしている部員は居なかった』となると、……犯人は部内にはいないっていうことになるのか?」
僕の見解に星原が眉をひそめる。
「三人が口裏を合わせていて、実はT駅近くまで走ることもあったという可能性もある。でもSNSで他人のふりをするためだけに複数の人間で協力し合うというのも考えにくいのよね。……私はあのアカウントの投稿を遡って見直してみたんだけど。話題になる前から日常生活の報告的なものと別に写真の投稿もしていた。その構図やセンスが結構上手いというか、こなれている感じだったの」
「ああ、それで写真を撮る趣味はないかと確認したんだね」
ポニーテールをかすかに揺らした虹村が納得したように頷いた。
「実際のところ、どうなんだろうな。虹村、後ろで見ていて妙な様子はなかったのか?」
「私が見る限りでは嘘をついているようには見えなかったんだよね」
「……そうか」
虹村には相手の目を見て嘘をついているのかどうかを見抜く、という特技があるのだ。その精度はちょっとしたウソ発見器並みで、僕は彼女とババ抜きをして全敗した経験がある。
だが虹村の言葉が本当ならば、町屋くんたちは犯人ではないのである。
手詰まりになって頭を抱えているところに「どうですか? 何かわかりました?」と千駄木くんが部室から出てきて僕らを見て問いかけてくる。
「いいや、今のところは君を装っているアカウントに繋がる手掛かりは見つからないな」
「じゃあ進展はないわけですか」
彼は僕の答えに残念そうに肩を落とした。
「ちなみに君の方で、何かわかったことはないかな? 僕らとは違う当事者の目線で見直したら、気になることが出てきたとか」
「あ、そのことなんですが」
野球部のエースの少年は僕らのすぐそばまで駆け寄って、声をひそめた。
「……実は『思い出したこと』があるんですよ」
「思い出したこと?」
「はい、例のSNSの投稿で不自然なものがいくつかあったんです」
千駄木くんが僕らに説明したのは次のような話だ。
彼自身はそれまでSNSの類に興味がなかったのだが、今回の件で例の犬を助けたというアカウントの投稿を確認するためだけにSNSのアカウントを取得していた。
しかし昨晩、改めて投稿を見直していると何枚かの写真に違和感を覚えたのだそうだ。
「その違和感っていうのは何なんだ?」
千駄木くんは、言葉を選ぶように悩む表情になる。
「ええと。だから。僕とは関係のない写真も投稿されていたわけなんですよ。身に覚えのない場所とか」
「それは、そもそも君のアカウントじゃないんだから当たり前だろう?」
「そうじゃなくてですね。いや、何か月も前に投稿されていたものについては、当然僕の行動と一致していなくて当たり前なんですが。……つまり例の犬を助けて注目を集めるようになってからの投稿。僕のふりを始めた後の写真とかの中に、ぽつぽつと僕の行動とは関係のない写真が投稿されていたんです」
「……何だって?」
彼は携帯電話をいじって、SNSの画面を表示する。そして問題のアカウントの投稿ツリーを指さして見せた。
「例えば、この学校内の写真なんですが。『昼休みにはここにきて、一人でイメトレをしています』なんて文面と一緒に公開されていますよね?」
そこには雑木林と、向かいから差し込む陽光が織りなす木漏れ日をとらえた画像が映っていた。画面横に校舎がわずかに映っているので校内の写真なのだろう。
「背景からして作業教室棟の裏手あたりで撮影したと思うんです。でも、僕はそんなところに行った覚えはないんですよ。おかしいなと思いまして。僕のふりをしたいのならそのまま把握している僕の行動をなぞり続ければいいのに、唐突にこんな写真が紛れていて。何がしたいんだろうかと」
「他にもこういう画像があるのか?」
「はい、あと二つ」
「とりあえず、僕らの携帯電話にその画像を全てコピーして送ってくれないか?」
「わかりました」
問題のアカウントの一か月以前の投稿については、学生らしい雰囲気の日常茶飯事の呟きと当たり障りのない写真が貼られているだけだった。しかし千駄木くんのふりをし始めてから、あえてこの画像を投稿したということは何かを意図したのかもしれない。
少なくともこの画像については千駄木くんをトレースしたものではなく「犯人だけが行動した軌跡」につながるものなのだ。
隣の星原も同じように考えたのだろう。彼女は携帯電話を操作して送られてきた写真を見ながら「とりあえず、明日はこの場所を調べてみましょうか」と提案した。
だが僕が彼女に同意しかけたその時、グラウンドの方から二人の人物が現れる。
「やあ。千ちゃん、何してるんだ?」
「また例のSNSの絡みで女の子が来たわけ?」
一人はジャージを着た色黒で素朴な雰囲気の男子生徒だ。
もう一人は同じくジャージ姿の髪をショートカットにしたはつらつとした雰囲気の女子である。
千駄木くんは彼らに向きなおって「違うって。この人たちは新聞部の取材の関係で来たんだ」と手を振って否定する。
「千駄木くん、こちらの二人は?」
僕の質問に千駄木くんは男子の方を指さした。
「ああ、ええと。こいつは、
「どうも。
「何言ってんだよ。俺に投げ方を最初に教えてくれたのは清司だろ」
駒込くんがニコニコ笑って、千駄木くんはそんな彼の肩を軽くつついた。部内の立場には差があるようだが、互いに気の置けない友人という奴らしい。
続いて、千駄木くんはジャージ姿の女子を横目で見ながら紹介する。
「それから、この子はうちの女子マネージャーの
「
神楽坂さんは、余計な対応をする羽目になったことを思い出したのか不機嫌そうに眉を吊り上げた。
「大変だったんだねえ」と虹村が同情するように深く頷く。
星原も「ただでさえ仕事が多そうなのに、突発的に別の仕事が出来たら面倒だものね」と共感を示した。だが神楽坂さんはそこで何か思い出したようでポンと手を合わせる。
「あ。そうそう、仕事と言えばまた備品が足りなくなっているんだよね。ボールとかタオルとか」
「そうなのか? 先週もそんなこと言っていたな。いや僕がフリーバッティングで何個かかっ飛ばし過ぎたのはあるかもしれないけど」
「千駄木くんだけのせいじゃないと思うけど。今度は保管していた『予備のユニフォーム』が見当たらなくてね。主将に管理がなってないって言われちゃうかな」
千駄木くんと神楽坂さんがそんな部内の話をしていると、今度は部室から眉毛の太い角ばった顔をした男子部員が顔を出した。
「おい、千駄木。もうすぐ練習後のミーティングの時間だ。いつまでも有名人気取りで部外者の相手してんじゃねえ」
続けて細目に丸顔のきつい印象の部員が現れて、千駄木くんを睨む。
「ヒーロー扱いのエースだと、先輩を待たせても許されるってか? 大した身分だな」
「あ、すみません。すぐ行きますので。……月ノ下さん。ちょっと今日はもうお話しするのは無理みたいです」
「いや、大丈夫だよ。一通り話は聞かせてもらったから」
千駄木くんは別れの挨拶もそこそこに、部室の中に駆け込んでいった。僕は先ほどの男子部員二人の態度に自分が責められたわけでもないのに胸が重くなる。
「……部のミーティングがあったのなら仕方ないが。あそこまできつい言い方することもないと思うんだけどな。えっとあれって確か、
一応、僕と同じ三年なので名前は知っているが、ほとんど口を聞いたことがなかった。だがこの場で垣間見た限りでは、目下の人間に厳しく当たるタイプの人間性のようだ。
星原も横で冷めたまなざしで部室を見やる。
「ああ、私もクラスが一緒になったことないから、印象にないけど確かそんな名前だったかもね」
ふと、傍らの駒込くんと神楽坂さんがそれぞれにため息をついた。
「あの二人は千ちゃんが女子にモテているからやっかんでいるんですよ」
「それに湯島先輩は千駄木くんが来る前までは自分がエースだったので、余計に嫉妬しているんでしょうね」
「……それで当たりがきついのか」
僕がやれやれとぼやいたところで、また部室の扉が開いた。出てきたのは銀縁眼鏡の新聞部員、清瀬である。
「……もう、取材らしいことは済ませてしまったのだけれど。そっちはまだ何か訊きたいことはあるのかい?」
念のため星原と虹村の方を見やったが、彼女たちは無言で首を振った。僕は清瀬に向きなおって、返事をする。
「いや、大丈夫だ。今日はもう解散にしよう。協力してくれてありがとう。清瀬」
「なに、代わりに記事になりそうな話があれば教えてくれよ?」
彼女はニヤリと微笑むと、そのまま本校舎の方へ歩き始める。
僕らも駒込くんたちに軽く別れの挨拶をして、その場を後にした。
目の前の反対車線を、ヘッドライトを点けた車がゴオと音を立てて通り過ぎる。野球部で話を聞いた十数分後、僕らは学校の最寄りのバス停で駅に向かう市営バスが到着するのを待っていた。
「ところで気になっているんだけど。あの神楽坂さんが話していた『野球部で備品がいくつか無くなっている』っていう話、どう思う?」
星原は僕の問いに、悩ましげな表情で答える。
「あなたが言わんとしていることは何となくわかるわ。現状では野球部内であのアカウントを使って千駄木くんのふりをしている人間の見当はつかない。そうだとすると部外者の可能性もある。……そして『部外者の人間が野球部員であることを匂わせた写真の投稿をするためには、ボールやユニフォームなどの小道具は必須になる』という話ね」
「ええ? じゃあこういうこと? あの犬を助けたアカウントの主は野球部員ではなく部外者だった、と。そして千駄木くんのふりをするために備品を盗み出して、SNSで投稿する写真の小道具として使っている……?」
虹村が両手を広げて驚いた仕草をして見せる。
「ああ。神楽坂さんは数週間前から部の備品が足りなくなってきたと言っていたし、SNSの騒動は一か月前くらいだ。タイミング的に疑う余地はあるんじゃないかな」
「ううん、でもそうだとすると」
「何かおかしいところがあるか?」
ポニーテールのクラス委員が難色を示すように顔をしかめたので、僕はつい問いただした。
「部外者が野球部の千駄木くんの行動を詳しく把握するのは難しいんじゃないのかなと思って、さ」
「それは、……そうだな」
「私も、可能性として考えてはみたのだけれど」と星原も首を傾げつつ見解を語る。
「小道具として使うのなら、ボールは一個くらいでも十分だと思うのよね。マネージャーの神楽坂さんが気付いて騒ぐほどの数を盗み出すようなことをする意味はないんじゃないかと」
「確かに写真の小道具として使うにしては量が多すぎる、か」
僕の考え違いだっただろうか。
「だけど、月ノ下くんが言うようにタイミングからして何か関係があるんじゃないかという気もするのよね。まだ私たちが気が付いていない何かがあるのかも」
「今の時点では何とも言えないな。まあいいさ。次はとりあえず千駄木くんが送ってくれた三枚の写真が撮影された場所を調べるとしよう」
「そうだね。調べてみて犯人に繋がる何かわかれば、野球部の人間か部外者かもはっきりするだろうし」
虹村がそう言って笑顔で頷き、星原が「それじゃあ、三枚あるんだし。手分けして明日からでもあたってみましょうか」と答える。そしてちょうどそのタイミングで目の前にバスが停車したので、僕らは乗り込んだのだった。
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