第22話 野球部での取材(前編)

 緑色のネットの向こうでは掛け声を上げるユニフォーム姿の野球部員たちの姿が見える。「おつかれっしたー!」と独特な響きのある挨拶をしてから、彼らは何人かのグループに別れて片づけを始めた。


 空は曇りがかった薄い青紫色に染まり、もう少しすれば街路灯がともり始める時間になるだろう。


「全く、急に『野球部員に話を聞きたいから、取材の許可を取ってくれないか』とはね。ついこの間、春の大会結果について取材したばかりだから、理由をでっちあげるのに苦労したよ」


 メタルフレームの眼鏡をかけた理知的だが冷たい印象の少女が口をとがらせる。新聞部の清瀬くるみである。


「無理を言って悪かった。だけど、ちょっと野球部の生徒からトラブルの相談があって。どうしても部内で聞き込みをする建前が必要だったんだ」


 僕は正直苦手に思っている彼女に精いっぱいの愛想笑いを浮かべた。


「まあね? 私もその、SNSで話題になっている千駄木くんには興味があったから、彼が関係している話を聞くのなら記事のネタになるかもしれないし? 一応、この間は私が月ノ下くんに大森さんの相談を請け負ってもらったからね。優しい優しいこの私は、仕方がないから協力してあげるよ。いくらでも感謝してかまわないからね。いずれ何かの形で埋め合わせは頼むよ?」


 優しい人間はそもそも恩に着せたりしないんだよ、と言いたいのをぐっとこらえて眉をしかめていると虹村が場をとりなすように口を挟む。


「いやあ。元はと言えばクラス委員会の方に来た相談だったんだよ。だから部活運営にかかわる対応に、学校に所属する部の一つとして協力してもらっていると解釈してもらえるとありがたいな」


 そんな微妙な空気の中、すまし顔の星原が「ところで、どういう段取りになっているの?」と尋ねた。


 僕ら三人と清瀬は今、本校舎の西側にある野球部のグラウンド前に揃って佇んでいる。脇にある小さな平屋の建物が野球部の部室のようだ。


 千駄木くんの話を聞いた翌日、僕はさっそく昼休みに新聞部の清瀬に会いに行ったのだった。面倒そうな話を持ち込まれて渋っていた彼女にどうにか協力を取り付けて、放課後にこうして野球部に話を聞くために集まったわけである。


 清瀬が軽く咳払いをして説明を始める。


「建前としては夏の大会に向けて、選手たちのコンディションと意気込みを聞きつつ今後の課題を取材するということになっている。まあ、その辺は私が野球部の主将に適当に聞くから。君たちはその間に千駄木くんに関係している野球部員に尋問でも拷問でも好きにすればいいよ」

「後者は流石に怒られるだろうけどな」


 僕が返事をしたところで、野球部の部室から体格の良い人影が姿を現した。千駄木くんである。


「月ノ下さんですか?」


 彼は周囲を見渡してから、僕らに気が付くと近づいてきた。


「やあ。千駄木くん。それじゃあ部員に話を聞こうと思っているんだけど。準備は大丈夫かな」

「一応、片付けも一段落しましたので、今なら話を聞くことができます。……こちらの方が新聞部員の人ですか?」


 彼が清瀬を見ながら尋ねると、彼女は「ああ、新聞部三年の清瀬くるみだ。よろしく頼むよ」と笑みを浮かべる。


「事情は聞いているから、とりあえず口実のとおり主将に取材させてくれないかな」

「わかりました。それから、あの日にロードワークをしていた人間なんですが、レギュラーメンバー共通の練習メニューなので全員で十二人居ます」

「え? そんなにいるのか?」

「はい。ただ僕と同じコースを回っていて、例の犬を助けた件の当事者ではないとはっきりしているのが六人です。残りの六人のうち、僕の日常の行動についてもある程度知っている人間。つまり同級生が三人ですね」


 横で聞いていた虹村が「三人だけ? それならずいぶん限定されることになるね」と少し意外そうに声を漏らした。


「でもその中で千駄木くんのふりをしているのが誰かというのを特定するのは難しいかもしれないわ。インターネットのSNSでの事だもの。何か探りを入れなくてはいけないかもね」


 星原も考え込むように呟いたところで、千駄木くんが「それでは行きますか」と部室へ僕らを案内した。


 野球部の部室内は用具入れが壁の端に積み上げられて、反対側には着替え用のロッカーが並んでいる。一年生はまだ片づけをしているようで、室内にいるのは二年生と三年生のようだが、それでも十人ほどの部員が中でたむろしていた。


 千駄木くんが「主将! お話していました、新聞部員の人たちです」と声をかけると、ずいと体が大きくいかめしい顔をした「いかにも体育会系のキャプテン」という風情の男子生徒が現れる。


 清瀬が一歩前に進み出て、会釈をした。


「どうも、新聞部の清瀬です。この度は急な話なのに時間を作っていただいてありがとうございます」

「これは丁寧に。主将の九段下くだんしたです」

「先日の地区大会ではあと一歩のところで優勝を逃してしまいましたが、どうでしたか。主将としては下級生部員たちに大リーガー養成ギプスでもつけてやりたい気分だったのでは」

「いやあ、実をつける前の種を評価することはできませんよ。それに前年に比べれば十分な成果でしたから」


 清瀬の割と本気で適当な取材に、九段下主将は鷹揚な物腰で答える。だが彼女がせっかく口実を作って野球部に入り込む機会を作ってくれたのだ。今のうちに僕らは千駄木くんの同級生であるという部員たちに話を聞くべきだろう。


 僕が「千駄木くん」と目配せをすると、彼は無言で頷いてから「おおい。ちょっと来てくれ。普段の練習について新聞部員の人たちが話を聞きたいらしい」と声をかける。おそらく事前に話を通してあったのだろうか、彼の呼びかけに答えて三人の男子が進み出た。


「どうも二年の町屋まちやです。ファーストです」

竹橋たけはしです。ポジションはショートです」

白山しろやまです。ライトです」


 僕は彼ら全員を見渡して、軽く咳払いをしてから話を切り出す。


「手間を取らせて悪いね。それじゃあ練習メニューについて聞きたいんだけど……」


 週に何日練習をしているのか。内容はどんなことをしているのか。キャッチボールやノックなど、どれくらいこなしているのか。そんな当たり障りのない話をしてからさりげなく本命の質問を投げかけた。


「そういえば、SNSでも話題になっているけどロードワーク中に犬を助けた野球部員がいるって話だよね? 聞いたことあるかな?」

「ああ、千駄木ですね。何だよ。この間は女の子たちが押し掛けたと思ったら新聞部まで取材に来たのかよ」


 町屋と名乗った少し太めの部員が千駄木くんをからかうように小突いた。続けて髪を坊主頭にした竹橋という部員がニヤニヤとした顔で口を開く。


「俺たちだってさ、ロードワークの時にさ。例えば迷子になっている子供とかしつこくナンパされて困っている女子がいたら颯爽と助けてヒーローになるのになあ」


 続けて背の高い面長の顔立ちをした白山くんが「お前がそんな柄かよ」と茶化した。


「ちなみに犬を助けた場所というのはT駅近くの国道沿いなんだけど、あの辺りは君たちは走ったりするのかな」


 もし、たまにでも通るのなら彼らのうち誰かが犬を助けたというアカウントの主である可能性が高い。だがそんな僕の目論見は外れることになる。


「いいや? 俺ら、駅とは反対方面の山側の方でランニングしていますけど。なあ竹橋」

「ああ。登りや下りがあった方が足腰を鍛えるのに良いっていう方針で」

「T駅の近くですか? あの辺りは車通りも多いから、うちの部でロードワークする奴は少ないんじゃないかな。……まあ千駄木は自主練習も欠かさないから、あっちの方まで行くこともあるんだろうけど」

「えっ?」


 三人の想定外の返事に僕は思わず動揺しながら、重ねて尋ねる。


「本当に? あの辺りを部活の練習では通らないのか?」

「ええ。一度も通ったことはありません。なあ?」


 町屋くんが答えて、他の二人が「うん」と頷く。


 僕は思わず千駄木くんを見るが、彼も困ったような眉をひそめた顔をするばかりだ。だがその時、隣に立っていた星原が小さく手を挙げる。


「ええと、ちょっと別の話をしてもいいかしら」

「何ですか?」

「いや、みんなは普段の趣味は何かあるの? 野球以外で」


 彼女の唐突な質問に町屋くんたちは「ゲームですが?」「ネット動画をみるくらいです」「ラーメン屋巡りかな」とそれぞれに反応する。


「……写真を撮る趣味はある?」

「いや、別に?」

「それがどうかしましたか?」

「いいえ、変なことを訊いたわ。ごめんなさい」


 彼女の目にも困惑の気配がある。やはり彼らの中に例のアカウントの主は居ないということなのだろうか。


 僕は星原と後ろで静観していた虹村を見やってから、千駄木くんにこう告げる。


「済まない。ちょっと一度聞いたことをまとめたいから、少し外に出てくるよ」

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