第13話 彷徨と迷走

 校舎の合間をかすかに風が吹き抜けて、植え込みの木がかすかに揺れる。目の前のネットの向こうではラケットを手にしたテニス部員が練習をしていた。


 明彦が続けて案内したのは本校舎に面している中庭の隅、体育館と本校舎に挟まれた小さめの教室程度のスペースだ。


「ここが二つ目の『袖振り広場』だ」

「待て」


 しれっと告げる彼に僕は思わず問いただした。


「何でここも『袖振り広場』なんだ? さっきの場所がそうだったんじゃないのか?」

「だから候補地の一つだと言っているだろう。ここもそう呼ばれているんだ」


 そういえば僕はてっきり今現在「袖振り広場」と呼ばれているのは、あの校舎とグラウンドの間の芝生広場だけだと思っていた。だから明彦がいくつか心当たりがあると案内を買って出たときにも、似たような要素がある間違われそうな場所でもあるのかなと深く考えていなかったのだ。


 しかし実際には「袖振り広場」と呼ばれている場所は校内に点在していたということなのだろうか。


「いやいや。どういうことだ?」

「ええ? 例の『強引な部活勧誘のきっかけになった場所』が先ほど立ち寄った芝生の広場なんですよね? だからあそこが『袖振り広場』と言われていたのでは?」


 大森さんも困惑した表情で声を漏らした。明彦が頭を掻きながら「だからだな」と諭すように言葉を返す。


「お前もさっき言っただろう。新入生に手を振って誘うさまを指して『袖振り広場』と呼んでいるんだと。そういうことなんだ。ここも新入部員の勧誘として使われている定番の場所というわけだ」

「ええと。つまり今は袖振り広場というのが、『新入生の部活勧誘をする場所』の総称になっているって言うことなのか?」


 隣に佇む星原が「そうね。要は言葉の意味が拡張したということではないかしら」と呟いた。


「別に珍しいことではないと思うわ。ほら、例えばシャンパンといえば『フランスのシャンパーニュ地方の発泡ワイン』のことだけれど。ブランドとして有名だから、昔は発泡ワインがみんなシャンパンと呼ばれたことがあったらしいの。……それで『ドイツ製のシャンパン』『スペイン製のシャンパン』なんて、矛盾した名前でスーパーで販売されていたんだって。あれみたいなものじゃない?」


 明彦が「ほう、上手いことをいうな」と感心してさらに続ける。


「まあ、そういうことだ。ドラキュラが吸血鬼の代名詞になって、吸血鬼全部をドラキュラと呼んだりしたようなもんだ」


 本来は固有名詞だったはずのものが広く認知されたために象徴化して、代名詞的存在として使われるという話だろうか。


「つまり、ここも新入部員の勧誘として使われているから『袖振り広場』と呼ばれているんだね」

「それはわかりましたが……ここも、おまじないをした場所には見えませんよ?」


 大森さんが周囲を見回しながらぼやいた。


 確かに彼女の言うとおり、そもそもこの場所は昇降口から少し離れているし、階段も見当たらない。しかも本校舎と体育館という二つの建物に挟まれて、あまり見晴らしも良くないので月明りに照らされながらおまじないをするのは難しそうである。


 明彦も大森さんの指摘は認めざるを得なかったようで、きまりが悪そうに苦笑いする。


「まあ。確かにそうだなあ。さっき聞いた条件には合わないとわかってはいたんだが。とりあえず同じ名前で呼ばれているから、案内しちまったわ」

「そこは別に責めるつもりはないよ。僕も明彦におまじないをしたときの状況を細かく説明しないで、単純に『袖振り広場』とかつて言われていたらしい場所を教えてくれと言っただけだものな」

「それじゃあ、三つ目の候補地に行くか」


 彼が歩き出そうとしたところで僕は「明彦」とストップをかける。


「その候補地ってどこなんだ? いや、そこも新入生の勧誘に使われている場所なんだろうけどさ」


 もしまた見当違いの所なら無駄足になってしまうと危惧した僕は彼に問いただした。


「ええと、ほら。あれだ。実習棟の横の運動場前だよ。あの辺でも運動系の部活が新入部員の勧誘をよくやっているんだ」


 彼の言う場所を頭に思い浮かべてみる。実習棟という家庭科室や美術室などの特別教室が設置されている校舎があるのだが、その横が運動場になっているのだ。


 確かに広場と言えば広場だが……。


「あの場所はここよりは昇降口から近いし、見晴らしも良いから月光も浴びられるかもしれないが。……階段はないよなあ」

「そうね。昇降口から運動場へ向かうのに階段を昇るような経路はない。となるとやっぱりそこも条件に合わないわ」


 星原も引っかかったようで、どうしたものかと眉をひそめている。


「やっぱり違うのか? そこが最後の候補なんだが」


 明彦が困ったように声を漏らした。このままだと手詰まりになってしまう。僕らがそう考えて頭を抱えていた、その時。


「あれ? 月ノ下じゃない。それに雲仙に星原も。何をしているの?」


 横から涼やかで良く通る声がかけられる。目を向けるとそこに立っていたのはセーラー服姿のすらりとしたモデル体型の少女だった。


「やあ、日野崎ひのざき」と僕は軽く挨拶をする。


 彼女は僕や明彦と同じクラスで、日野崎勇美ひのざきいさみという女子生徒だ。一本気なところがあるせいかトラブルに巻き込まれがちだが、明るく快活な性格で僕にとっては愛すべき女友達という関係である。

 

 なおわが校のブレザー制服ではなくセーラー服を着ているのは彼女が元々、一年生の時に転校してきたからだ。ちなみに巴ちゃんという妹がいて、その子も僕らと面識がある。


 日野崎はニカニカと笑いながら、軽く手を挙げる。


「フットサルでもしようかと思っていたんだけど、一緒にやる?」

「誘ってくれて申し訳ないんだけど。今はちょっと、やることがあってさ」


 僕の答えにセーラー服の少女は胡乱な表情で首をかしげる。


「また何かの事件に巻き込まれたの?」

「うん。実は……」


 僕は簡単にここまでの経緯を説明しようとして、先ほどの「あまり人に知られたくない」と言っていた大森さんの言葉を思い出す。


 日野崎は悪いやつではないが、大森さんの前でこれ以上不必要に他人におまじないのことを話すべきではないだろう。そこで細かい部分は誤魔化して説明することにした。


「実はそこにいる二年生の大森さんが、部室で見つけた昔の生徒が残した部活の記録を調べていてさ。……その生徒が活動をしていた場所が部活の勧誘に使われている広場だったみたいなんだけど。どうしても条件に一致しないんだ」

「条件?」


 携帯電話に保存した活動記録の画面を見ながら、彼女に続ける。


「ええと。『昇降口』から『すぐ近くの階段』を昇った広場みたいで。月が良く見えるようなひらけたところらしいんだ」


 日野崎は僕の言葉に「ふうん」と鼻を鳴らして腕組みをする。


「いや、あたしは一年の途中で転校してきたくらいだし。昔のこの学校のことはあまり知らないけれどさ。難しく考え過ぎなんじゃないのかな?」

「何だよ。方策でもあるのか?」と明彦が尋ねる。

「その記録の文面だと『昇降口』で待ち合わせして、『すぐ近くの階段を昇った』っていうんでしょう? ならその通りに辿ればいいじゃない」

「だから、その階段がないっていう話だろ」

「あるじゃない」


 僕は「え?」と驚いて目を見開いた。大森さんも「どういうことです?」と訳が分からない様子だ。一方、星原が考え込みながら日野崎に向きなおる。


「もしかして、日野崎さんが言っているのは『昇降口の中』にある階段のこと?」

「そりゃあ、昇降口の一番近くにある階段といえばそれしかないでしょう」


 頷き返す彼女に僕らはポカンとなった。


 確かに僕も広場というからには外にあるというイメージしかしなかったので、「昇降口」で待ち合わせて「すぐ近くの階段」を昇ったという描写も「屋外のことなのだ」という先入観があったのだ。


 しかし昇降口を出るのではなく、待ち合わせの後で「昇降口から校舎に入った」と考えれば確かに階段はあるのだ。僕らが普段授業で使用している二階や三階の普通教室に繋がる階段である。


「いや、あそこには広場なんてないと思うんだけど」


 困惑する僕に星原が「でも、あの活動報告に書いてある内容に従って辿ってみるというのは一理あるかもしれないわ」と助言する。


「そうですね。屋内にあるというのは考えもしなかったですが」

「うーん。俺にはどうも違う気がするがなあ。他に当てもないし行ってみるか」


 大森さんと明彦がそれぞれ反応を返したところで、僕らはもう一度本校舎の入り口である昇降口の方へ足を向けることにしたのだった。




「とりあえず階段を昇ってみたが、広場はないなあ。当然だけど」


 渋い顔をした明彦が辺りを見渡す。


 僕らは階段を上がってすぐのところにある本校舎の二階廊下に雁首を揃えていた。廊下に並んでいるのは二年生の教室のほか、パソコン教室に準備室、大学受験関係の資料室などである。ちなみに三階も同じような間取りで三年生の教室と図書室と倉庫、茶道部が使う和室などがある。


「やっぱり関係ないのかな」


 そう呟いたところで、前にいた日野崎が振り返る。


「いや、でもほら。あたし、うろ覚えだけど。四月の中旬辺りにそこの資料室で新入部員の勧誘をしているのを見たよ」

「え? ああ、そう言われるとこの部屋を使ってイベントをしていたような気がするな」


 彼女が階段のすぐ横にある教室を指しているのを見て、僕は記憶を探った。


 自分自身が部活に所属していないため意識していなかったが、確かに先月の放課後に料理部が試食会をしたり、手芸部が展示をしているのを見かけたと思う。


 星原も「そういえば」と思い出したように口を開いた。


「確か、文科系の部活は運動部と違って練習風景を見せてアピールをしづらいから。クラス委員会の主催で文科系の部活に限った勧誘イベントの企画があるんだって、私もクラスの噂で聞いたわ。ここで開いていたのね」

「広場というには狭いですが。この階段の踊り場に面している資料室で新入生の勧誘をしているのですね」

「資料室には小さめのバルコニーもあるから、一応は月も見えるといえば見えるかもしれんな」


 大森さんが資料室に目を向けながら呟き、明彦が考え込む表情で頷いた。


 つまり「袖振り広場」というのが新入生の勧誘に使う場所の代名詞だというのならこの場所も含まれる可能性があるということなのだろうか。


 昇降口から階段を昇ったところにあり、月も見ることができる。


 現時点ではここが最も条件に当てはまることになるかもしれない。


「でも、ベンチがないですね」


 大森さんが呟いた。


「何だって?」

「ほら。あの池上さんの活動記録にはこう書いてあったではないですか。『眼下の星々のような灯を眺めながら二人でベンチに座った』と」


 彼女の指摘に僕はハッとなる。


「そういえば、そうだった。確かにここにはベンチがない。それに……」

「『眼下の灯を眺めた』という記述。あれは何のことなのかしら」


 星原も大森さんの言葉を耳にして、眉をひそめた。


「普通に考えると思いつくのは夜景だが。そこの二階から見えるのは学校のフェンスとその向こうの国道と民家くらいのものだからなあ。ちょっと違う気がするぜ」


 顔をしかめて、明彦が悩まし気に頭を掻きむしる。


「なんだ。そんな条件……というか、記述もあったの?」


 セーラー服の少女は残念そうに肩を落とした。僕はそんな彼女に少し申し訳ない気持ちになる。そもそも日野崎は何の関係もなかったのに、一生懸命考えてアドバイスしてくれたのだ。


「済まないな。でも意見は参考になったよ。今度は他の視点から考えてみるさ」


 明るい表情を作って日野崎を励ます僕に、星原が疑問を口にする。


「でも、次はどうするの? これで候補になりそうな場所はほとんど見て回ったことになるのだけれど」

「日野崎の言うとおり、僕も活動記録を見直してみて思ったんだけど。やっぱり十年前は、今と何か状況が違ったんじゃないかと思うんだ。だから放課後に先生に聞いてみるのはどうかと思ってね」


 昇降口の近くにあったという階段のことにしろ、眼下に見えた灯のことにしろ、現在の校内を調べても出てきそうにないが、十年前にはそれにあたる何かがあったのだ。今もその何か残っているかはわからないが、当時を知っている誰かに聞けば痕跡ぐらいは見つかるかもしれない。


 僕の方針に他の皆が「なるほど」と反応した。


「それなら手掛かりになるかもしれないね」

「私も付き合いましょうか?」


 日野崎が頷いて星原が同行を申し出るが、僕は首を振る。


「当時のことに詳しそうな先生を探して話を聞くだけだからね。全員で行くほどのことじゃないさ。僕一人で行って聞いてくるよ」


 大森さんが「それではすみませんが。よろしくお願いします」と頭を下げた。


「俺もこのままだと、すっきりしないからな。何かわかったら教えろよ?」


 明彦がそう呼び掛けたところで昼休み終了のチャイムが鳴り、僕らは一度解散したのだった。

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