第12話 袖振り広場の由来
レンガが敷かれた中庭にはバレーボールや立ち話に興じる生徒たちの喧騒が響いていた。雲一つない晴天の下、爽やかな日差しが校舎を照り付けている。
僕は本校舎の渡り廊下で二人の少女と顔を突き合わせていた。星原と幼さを残した二年生の女生徒、大森さんである。
時計は十二時半少し前、あれから一夜明けた昼休みだ。僕と星原は大森さんの依頼を引き受けることにした。頼るものもなく困っている下級生を見捨てるのも気が引けた、ということもあるが半分はあの正体がわからない「幻の広場」に興味がわいたからである。
早速、校内の可能性がありそうな場所を実際に見て回ろうと考えていたのだが、大森さんも一緒についてくることになった。
別に現時点では、彼女に同行してもらう必要はないのだが「先輩に手数をおかけするのに、何もしないで任せっぱなしにはできません。放課後は部活がありますが、昼休みだけでもお付き合いします」と律義に申し出てきたのだ。
大森さんが「それで、まず何から調べるのでしょうか」とこちらを見上げた。僕は軽く肩をすくめながら答える。
「とりあえず実際に袖振り広場と呼ばれている場所や、候補になりそうな場所を知り合いに案内してもらうつもりだ」
「知り合い? もう一人来るのですか」
「僕の同級生だよ。校内の情報に明るいやつでね。あの後で連絡して協力を頼んだんだ」
「あの、月ノ下さん」
小柄で大人しそうな下級生の少女は前髪の下からのぞく瞳をこちらへ向けると、ぼそぼそとためらいがちに声を漏らす。
「依頼したのは私の方ですし、もう話してしまったのなら仕方ないですが。あまり、このことは人に話さないでもらえないでしょうか。その、自分の身の回りの人間に、恋愛のおまじないをしようとしていると知られるのが、は、恥ずかしいと言いますか」
なるほど。確かに恋愛のおまじないをすることが周囲の人間に知られたら、意中の相手にも伝わるかもしれないわけである。それで相手に変な印象を持たれるのが嫌だということだろう。
そんな不安そうな顔になっている大森さんに、校舎の壁にもたれていた星原が近づいて優しげな調子で囁く。
「大丈夫。私たちは余計なことを触れ回る趣味はないわ」
僕もコホンと咳払いをして続ける。
「まあ。これから来る奴も見た目は軽薄で野次馬根性が強いところはあるが、意外と男気もあって悪い奴じゃないから心配はいらないよ」
「そ、そうですか。それなら良かったです」
彼女が少し安心したように頷き返したその直後。
「よお。待たせたか?」
噂をすれば影というものなのか、校舎の中から一人の少年が姿を現した。茶色がかった天然パーマに、長身で愛嬌のある顔立ち。僕のクラスメイトにして悪友の
元々、帰り道が同じ方向だったので何となく話すようになった同級生という間柄だが、僕と同じ帰宅部であるのにもかかわらず、妙に顔が広く校内のいろいろな事情に通じている。今回のように情報を集める必要があるときにはたまに助けてもらっているのだった。
「その後輩ちゃんが、昨日メールで言っていた広場を探しているとかっていう子か?」
「ああ。二年A組の大森さんだ。……大森さん、こいつは僕と同じクラスの雲仙明彦。校内のことで知りたいことがあるときにはいつも助けてもらっているんだ」
明彦が「よろしくな」と軽いノリで片手を上げると、大森さんは「私のためにわざわざすみません」と首を垂れる。
「なあに。良いってことよ。かつてあったはずのおまじないをする広場を探すなんて面白そうじゃんよ」
彼はそう答えて破顔した。「自分にとってロマンを感じる何か」を見つけると興味を示して首を突っ込んでくる男なのである。
「それで、どこから見て回るの?」と星原が口を開く。
「まずは、僕らの知っている袖振り広場から見てみようか。まあ、状況から見ると条件には一致しないが、すぐそばだし参考にはなるかもしれないからね」
そんな風に僕が切り出すと、明彦は「よし。それじゃあ行くか」と先陣を切って歩き始めたのだった。
昇降口を回り込んだ本校舎の西側に、校舎と野球部のグラウンドに挟まれた歩道と芝生に覆われた緑地からなる広場がある。ここが生徒たちの間で俗に「袖振り広場」と呼称されている場所だ。
金網の向こうのグラウンドでは昼休みの間も熱心に練習に励む野球部員がスイングやキャッチボールをしている。またその脇にはベンチと園芸部が世話をしている花壇が設置され、談笑している生徒たちも見受けられた。
僕らが周囲を見回しながら歩道を進んでいると、明彦の後ろについている大森さんが不意に話しかける。
「ところで、何故ここが『袖振り広場』と呼ばれているのですか?」
「そういえば、僕も由来までは知らないな」
部活などの勧誘をするのによく使われているイメージはあるが、なぜそう呼ばれているのだろう。
疑問符を顔に浮かべる僕に星原が「ああ……」と半眼になり、先を歩く明彦は「何だ。知らないのか」と苦笑いした。
「その様子からして、二人は知っているのか?」
「まあ、ね」
星原が妙に言葉を濁すような空気を醸し出しながらも説明をする。
「袖を振る、というのは古典の言い回しで愛情表現の一つなのよね。平安貴族が袖を相手に振ってみせることで近づきたい、離れたくない気持ちをアピールしたんだとか」
その言葉に大森さんが「風流でロマンティックではないですか」と顔をほころばせた。
「それでは気になる相手に声をかける出会いの広場とかですか?」
彼女が続けた質問に明彦が「間違いじゃないが、正解とも言えねえなあ」と口の端を持ち上げて答える。そういう含みのある言い回しをされると僕も気になってきたな。
「何なんだよ、勿体つけてないで教えてくれ」
「いやな。何でもその昔、運動神経抜群で中学時代にスポーツで活躍したことで有名な男子がうちの学校に入学してきたことがあったらしいんだよ」
彼は頭を軽く掻きながら、この広場にまつわる逸話を語り始めた。
ある少年が中学時代に部活動で優秀な成績を残したのち、この高校に進学した。彼は入学して間もないある日、廊下の角で女子生徒がハンカチを落としたところに遭遇したのだそうだ。「落としましたよ」と声をかけるとその先輩女子は「あら、ありがとう」と振り返る。
彼が立ち去ろうとすると見目麗しいその女子生徒は「待って」と少年の手に一枚の紙きれを握らせた。その紙には「放課後に校舎裏の広場で待っています」と書かれていたのだそうだ。
少年がこんな出会いもあるものかと期待に胸を膨らませて約束の場所へ向かうと、あの先輩女子が手を振りながら輝かしい笑みを浮かべて待っている。
彼女は「来てくれたのね。嬉しいわ。私、……君のことが気になってしまって」「あなたとこれからも、放課後を一緒に過ごしたいのだけれど」と甘い言葉をかけてくるのだ。
すっかり舞い上がった少年は「勿論ですよ」と了承する。
だが女子生徒が「それは良かった」と頷くやいなや、道着を着た男たちが少年を取り囲んで「それじゃあよろしく」と入部届を突き付けた。
彼女はここでさらに「実は私は柔道部のマネージャーをしているの。一緒に放課後を過ごしたいということであれば、当然入部してくれるということよね?」と戸惑う少年に強引に勧誘をもちかけてくる。
彼は「一度言った言葉を翻すことはできない」とやむを得ず柔道部に入ることになる。
しかし実はその女生徒はほとんど幽霊部員であり「さぼりがちであったことの埋め合わせとして、有望な新入生を勧誘することに協力させられた」ということらしく、蓋を開けてみればめったに部活には姿を現さなかったのだそうだ。
それでも一度部活に入って人間関係ができると辞めづらくなり、少年は結局、部活に所属し続けたのだという。
「……というような事があったそうだ。俺も先輩から伝え聞いただけだから、多少は誇張されているのかもしれないがな」
「要は、新入部員の勧誘だったということ?」
「何ですか。その悪質な
明彦の話に僕と大森さんは顔をひきつらせた。
「でもこれが成功例として有名になってしまったから。他にも同じような真似をして有望な一年生を勧誘する部活が相次いだらしいのよね」
星原が髪をかきあげながら補足し、明彦がさらに説明を続ける。
「流石に職員室でも問題になってだなあ。先生たちから各部活に厳重注意があったんだと。それからはそういう部活の綺麗どころを使って騙すような勧誘は無くなったらしい。だが今でもその名残で、春先にこの校舎裏の広場を通る新入生たちにビラを配ったり声かけをする慣習があるわけだ」
「つまり新入生に手を振って誘うさまを指して『袖振り広場』と言われているんだね」
「そういうことだが、どうだ? ここはやっぱり問題の広場じゃ無さそうか?」
彼は歩道の端まで来たところで、立ち止まって振り返った。僕は携帯電話を操作して例のオカルト研究部の活動記録の文面を表示する。昨日、大森さんの依頼を引き受けた後でDVDを借りてテキストをコピーさせてもらっていたのだ。
改めて、文面を読み直すと池上という顔も知らないかつてのこの学校の女子生徒は『昇降口』の『すぐ近くの階段を上った先にある広場』でおまじないをしたとある。またその時に『月光の中で蝋燭に火をともして』髪の毛をくべたと書かれている。
それを踏まえて周囲を観察するが、あるのは野球部のグラウンドと芝生の広場。その奥の緑地地域と花壇が見えるだけだ。やはり階段はない。
「実は見取り図に残っていないだけで、昔は階段があったのかなあ。芝生も今よりは高台になっていて、そこに続くような感じで段になっていたとかさ。……少なくともひらけているから、おまじないに必要な月光は差し込むかもしれないし」
だが僕の推論に星原が「どうでしょうね」と眉をひそめる。
「だって、ここって学校の西側よ? 下校時間の間際だとまだ月が昇り始めたところだもの。仮にここでおまじないをしようとしたら、建物が邪魔になって月は見えないのではないかしら」
「それに、ひらけすぎていて周りからも見えてしまうんですよね。人通りも多そうですし。こんなところで人目に付かないようにおまじないをしたとは、やっぱり思えないです」
大森さんも納得がいかない様子で小さく首を振った。
確かに彼女たちの指摘はもっともだ。広場までの経路のことを抜きにしても、やはりここはおまじないの広場ではないのだろう。
僕は額に手を当てながら「まあ、そうだな」と自説を引っ込めて、明彦に向きなおる。
「残念だけど、この場所じゃないらしい。他の候補を当たってみようか」
「なあに。まだ一つ目だろう。次の場所に行こうぜ」
彼は快活に笑うと、腕を頭の後ろで組みつつ再び歩きだした。
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