第8話 語られる真相
窓の外は既に薄暗くなって、校舎の内側を鏡のように映し出す。蛍光灯に照らされた廊下の真ん中で僕らと三田さんは軽く緊張感を漂わせながら向かい合っていた。
「どういうことなんですか? 月ノ下さん」
巴ちゃんは困惑した様子で僕と三田さんを交互に見る。
「三田さんが壺を盗み出した犯人ということになるんですか? それが本当なら、なぜ月ノ下さんは倉庫で指摘しなかったんです?」
一方、三田さんは特に動揺した様子もなく状況を静観していた。僕は巴ちゃんに言い聞かせるように、穏やかな口調で答える。
「それは彼女の目的に道理があって、結果的には彼女は壺を盗んだわけでもないからさ」
巴ちゃんにはそれでも言い方が端的に過ぎたようで「いや、訳が分からないです」とキョトンとした顔になる。
僕は「悪かった。順を追って説明するよ。まず三田さんが壺を持ち出した根拠からだ」と語り始める。
「先ほど僕は倉庫で『犯人は高輪くんが鍵を開けたところに偶然入り込んだ』『突発的な犯行だ』と説明したが、実はあれは本意じゃなかった」
「え? 嘘だったってことですか」
「うん。傍目には鍵が開いているかわからないのに、中延くんたちがくるまでのわずかなタイミングで、偶然倉庫に入り込むことができたなんて流石に無理がある。つまり、犯人は最初から高輪くんたちが壺に悪戯をする計画を知っている人物ということになるんだ」
「それでは、三田さんはどうやって高輪くんたちの計画を前もって知ったんです?」
「高輪くんから聞いた話では、例の壺に落書きをする計画を中延くんたちに持ちかけられたのは、人気の少ない『本校舎の裏手』だった。……ところで、さ。昨日のうちのクラス委員の虹村から聞いたんだが、三田さんは文化祭のために先週から居残って作業をしていたんだそうだ。そう。『本校舎一階の裏に面している』ミーティングルームで。つまり彼らが相談をしていたときもすぐ近くにいたんじゃあないのかな」
放課後に一人、一階の廊下にあるミーティングルームで静かに作業をしているところで窓越しに知っているクラスメイトの声が聞こえてくれば気が付くのではないだろうか。
僕の仮説に三田さんはニコニコ笑って「続けてください」と頷く。
「彼らの計画を事前に知っていたのであれば、部外者の三田さんも倉庫に入り込むことができる。けれども高輪くんたちがいつ実行するのかまではわからない。そこで彼女は壺を持ち出した後で事前に隠す場所を検討していたんだ。それが奇術部の備品として使われていた、あの壺だった」
横で聞いていた星原が「なるほど」と頷いた。
「クラス委員会は校内の部活動関連の申請を受け付けて管理している。クラス委員の三田さんであれば『陸上部の倉庫を過去に使用していた部活が奇術部だ』と知っていてもおかしくないわけね」
「ああ、それだけじゃあない。昨日、虹村にクラス委員会の校内の備品目録も確認させてもらったんだが。そこには奇術部の手品用の仕掛け壺があの倉庫に保管されていることが明記されていた。つまり同じものを彼女も調べることができたはずだ」
巴ちゃんがここまでのやり取りを聞いて「はあ」と感嘆の声を漏らした。
「状況的に三田さんならあのタイミングで壺を隠すことができたのはわかりました。でも、何故そんなことをしたのですか?」
「簡単なことさ。高輪くんたちの計画を止めるためだ。そうだろう? 三田さん」
僕の問いに彼女は「はい」と頷く。
「先週、クラス委員会の作業をしているときに偶然、高輪くんたちがクマベ先生が大切にしている壺に落書きをしようとしていると知ってしまいまして。何とか止めたいと思ったんです。それで、実行する前に私が壺を持ち出してしまえば何もできないだろうと」
巴ちゃんは改めて三田さんを驚いた表情で見つめた。
「それじゃあ、和美ちゃんは。もしかして高輪くんが鍵を開けるために倉庫に入ったときに」
「うん。あの目撃者役として連れてこられた後で教室に戻る途中、クラス委員の仕事があるからって言い訳して高輪くんと別れたんだ。それから倉庫に入って壺を奇術部の仕掛けの中に隠しておいたわけ」
三田さんはやわらかな雰囲気の丸顔をほころばせながら、自分の行いをあっさりと告げた。そんな彼女に僕はさらに続けて、真相を確認する。
「でも一時的に隠しておいた壺を元に戻しても、彼らはまた計画を続行するかもしれない。そこで君は誰かが壺を盗み出したというストーリーをでっちあげることにしたんだね」
三田さんは「まあ、そういうことです」と苦笑いした。
「星原も指摘していたが、この壺が無くなった一件には不自然な状況があった。壺を盗んだことを語って炎上していたSNSのアカウントのことだ。あの情報は三田さんがもたらしたもので、高輪くんもあの匿名の投稿メッセージ画像を見たことで『壺が盗まれたんだ』と考えていた。……しかし仮にもそれなりの騒ぎになったはずなのに、未だに警察が動いた様子もないし何かのメディアで取り上げられてもいない」
僕の発言を受けて巴ちゃんが額に手を当てて思い出したように呟く。
「そういえば私もネットで検索しても何も出てきませんでした。てっきりアカウントが消されたせいだと思っていましたが」
「ああ。僕も調べたが結局、あの情報は三田さん以外の発信元が出てこないままだった。そして昨日僕がクラス委員会で聞いたところによると、彼女の父親はウェブデザイナーで、三田さん自身も見よう見まねで作業を教えてもらっているらしいんだ。つまり『フェイクのSNS投稿画像を作ることくらい』はできるんじゃないかな」
三田さんは僕の指摘に「はい」と頷いてみせた。
「実際に壺が無くなった状況で炎上して騒ぎになっているような例を見せつければ、悪戯をしようなんて気も無くなるんじゃないかな、と思いまして」
確かに彼女の目論見通り、中延くんたちはもう復讐をする雰囲気ではなくなっていたが。
そう、人間は時に自分たちの行動よりも、程度を超えて極端な例を見せられると委縮してしまうことがあるのだ。要は彼女は高輪くんたちを止めるためにバランスブレイカーの役割を演じたわけだ。
「それに、沼部先生は自分が大事にしていた壺がこの三日間無くなったというのに騒いで犯人探しをするどころか動揺した様子も見せなかった。無くなったことに気が付いていないのかとも思ったが、流石に無理がある。つまり先生は壺が無くなったとは認識していなかった。……これも昨日、虹村から聞いたんだが、茶道部から部員募集のイベントで小道具が欲しいって相談を受けたときに君が『心当たりがある』と迅速に対応したそうだね。その心当たりというのは沼部先生の壺だったんだろう?」
「そこまで気が付いていましたか。クマベ先生は日頃から『あの壺は良いものだ』と自慢していましたので。『茶道部のイベントに先生のあの格調高い壺を是非お借りしたいのですが』とお願いしたら『君は若いのに見る目がある』と快諾してくださったのですよ。それで折をみてお借りしますと伝えておいたのです」
隣で話を聞いていた星原は手に持った壺を見下ろしながら、納得した表情になる。
「だから、沼部先生は壺が倉庫から無くなったのを見ても何とも思わなかったのね。まあ趣味人というのはプライドをくすぐられると弱いのかしら。貸すことを了承してくれたと」
「ただ、そうだとすると結局、無くなったこと自体が茶番みたいなものだったということなんだよな。僕らが余計なことをしなくとも、三田さん自身が壺を適当に見つけたふりをすればそれで済んだんじゃあないか?」
僕の疑問を三田さんは「いえいえ、そうでもないです」と右手を振って否定する。
「確かに最初は来週あたりにでも落としどころをつけるつもりだったんですよねえ。『あの壺は茶道部に先生が貸したみたいだよ』『どうやらSNSの投稿は偶然どこかの先生を恨む生徒が書いた関係ない話だったみたいだね』みたいな感じで」
「何か問題があったのか?」
「お互いに日頃からクマベ先生の悪口を冗談半分本気半分で言い合っていたせいなのか、壺が無くなったときに『あいつらなら盗んでもおかしくないんじゃないか』と互いに疑うようになっていたのですよ」
そういえばそうだったな。昨日僕が倉庫で話を聞いた時もあの三人はかなり気まずい雰囲気になりかけていた。
「だから、このままだともう後から誰も盗んでなんていないとわかってもそれに関係なく、高輪くんの部内での人間関係が壊れてしまうんじゃないかと。しかし茶道部に貸すために壺を回収して事件を終わりにしたくとも、高輪くんたちが神経質になっていて倉庫にも近づきづらかったのです。だから、月ノ下さんに見つけていただいて本当に助かりました。……ありがとうございます」
三田さんはぺこりと頭を下げてから、巴ちゃんにも「ありがとう。頼れる先輩を紹介してくれて」と礼を言う。巴ちゃんは「えへへ。そうでしょう」と自分の事のように胸を張った。
ふと、僕は最後にもう一つだけ気になっていたことを思い出す。
「ああ、そういえば三田さん?」
「何ですか?」と彼女はこちらを見つめ返す。
「いや、実はどうしてもわからなかったことがあって。三田さんは高輪くんが壺が無くなって悩んでいるところを気にかけたり、彼が巻き込まれていやいや実行している復讐の計画を止めようとしたり。ずいぶん親身になっているけど、何でそこまでするのかなって」
僕が彼女に尋ねたその瞬間。
なぜか星原が「はあ」とため息をついて、巴ちゃんが「ええ……」と肩を落とした。
何だ? 僕は何かまずいことを言ったのだろうか。
訳が分からず戸惑う僕を星原が半眼でにらみながら詰め寄る。
「月ノ下くん……。ここまで看破しておいて何故わからないの?」
「え、だって」
巴ちゃんが「いや、あの。私にもわかりますが」と困った顔で僕を見上げ、星原がさらに言葉を続ける。
「三田さんは、中学時代から高輪くんと付き合いがあって。連絡先も交換していて。悩み事を相談したり、ちょっとした画像のやり取りや、彼から部活でのメッセージのやり取りも見せてもらうくらいの仲なのよ?」
ああ。それはつまり。
「そういうこと?」
ここまで穏やかに笑って対応してきた三田さんは初めて、少し恥ずかしそうな顔になる。
「ええ。あの、付き合っています」
つまり自分の恋人が同級生にそそのかされて、トラブルに巻き込まれていたから何とかしようと奔走していたわけか。
「しかしここまで手の込んだことをしてまで、彼らの復讐を止めなくちゃいけなかったのか? こういったらなんだけれど、もし落書きをしてバレてもせいぜい高輪くんたちが沼部先生に怒られるだけだろう」
「いやあ。月ノ下さんはあの三人が復讐の計画として他にどんな案を出したのか知らなかったから、そう思うんですよ。高輪くんがスマートフォンで彼らと相談していたやり取りを見せてもらいましたが、もっと過激なものも出ていました。……実行はしませんでしたが『クマベ先生が通勤に使っている自動車に放火する』という案も出ていましたから。どこまで本気か解りませんが、さらに恨みを募らせてエスカレートしたらと思うと、多少荒療治でも道を誤る前に止めたかったのです」
「なるほどね」と僕が呟き、星原が「立派な心掛けね。感心するわ」と微笑んで三田さんに壺を手渡した。壺を受け取った三田さんは最後にもう一度僕らに頭を下げると、そのまま去っていったのだった。
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