第7話 隠されていた壺、そして……
少し傾いた午後の日差しが校舎の影を地面に落としている。穏やかな風が山間から吹き付ける中、サッカーやアメフトなどの運動部の部員たちが練習に励んでいた。
そんな情景を横目に、昨日も訪れた運動場脇の陸上部倉庫の鉄扉に手をかける。開く前に僕は背後の同行してきた星原を振り返った。
「さて、どう思う?」
彼女は「あなたの推測は可能性としては面白いと思うわ」と信頼を込めた微笑みを返す。
「じゃあ僕の考えが当たっていて、壺が見つかったときには打ち合わせのとおりに頼むよ」
黒髪を揺らしながら色白の少女は「ええ」と静かに頷いた。僕はその声を背中に聞きながら倉庫に足を踏み入れる。
中で待っていたのは、五人の一年生だ。
髪を両脇で結い上げたつぶらな瞳の少女、巴ちゃん。
高輪くんたち陸上部一年生グループの三人。
そして高輪くんと一緒に僕らに相談してきた利発で明るいクラス委員の三田さんである。
僕は高輪くんたちに昨晩「壺が無くなった件について解決できるかもしれない」と連絡して放課後に集まってもらったのだった。ちなみに都合が良いことに今日は陸上部の活動は休みらしい。
「待たせたね」と彼らに声をかけると、中延くんが後ろの星原を見ながら怪訝な顔で尋ねる。
「ええと、その人は誰なんすか?」
そういえば彼らと星原は初顔合わせだったな。
彼女は「三年A組の星原咲夜よ」とすました顔で自己紹介してから僕を手で示す。
「そこの彼、月ノ下くんと一緒に高輪くんからの相談を受けたの。まあ付き添いだと思ってちょうだい」
中延くんが首をかしげながらも黙ったところで、隣に佇んでいた高輪くんが心配そうな顔で口を開く。
「それで月ノ下さん。壺が見つかるかもしれない、って本当なんですか?」
「ああ、多分ね」
その返事に中延くんと長原くんは「本当かよ」と半信半疑の表情で顔を見合わせて、巴ちゃんは期待の目で見つめながら両手を胸の前で重ねていた。一方、三田さんだけは穏やかに普段通りの様子でニコニコと目を細めている。
僕は一年生たちを見渡しながら倉庫の中央に進み出ると、改めて今回の状況説明を始めた。
「まず昨日聞いた話だと、四日前の昼休みに高輪くんがこの倉庫に入って中延くんたちに連絡した。そして鍵を開けた状態ですぐに倉庫を離れて、十分後に中延くんが入って沼部先生の壺に落書きをするつもりだった。しかしその時には壺は無くなっていたわけだ」
高輪くんが「はい、その通りですが」と相槌を打つ。
「高輪くんが入ったときにはまだ壺があったから、状況的に見てこの『十分間』で誰かが入り込んで壺を持ち出したことになる」
「それって重要なんですか?」とそれまで沈黙していた長原くんが眉をしかめる。僕は「大事なことさ」と続けた。
「だってそうだろう。中延くんたちは鍵を開けた高輪くんから連絡を受けてここに来た。でも壺を持ち出した誰かさんは、前もってこの倉庫が開いているなんてわかるはずがない。たまたま入り込むことができただけ。突発的な犯行だったんだ。そうなると何の準備もなく、たくさんの生徒が動き回っている運動場の横を歩いて壺をそのまま持ちだすなんてことができると思うかい? 何かの拍子で目撃されるかもしれないのに」
巴ちゃんが「なるほど」と手を合わせる。
「事前に判っていれば、壺を隠して運ぶための袋なりバッグなりを準備できたかもしれないですが、そんな余裕は無かったと。あれ? それじゃあ……」
「ああ」と僕は目を見開く彼女に頷いた。
「壺はまだこの倉庫の中に隠されているんだ」
「ええっ」と声を漏らしたのは高輪くんである。
「そんな。僕は、それに中延たちも倉庫の中を散々探しましたよ? そもそもこの中は見ての通り、ハードルやマットの他は用具を詰め込む棚があるだけで物を隠せる場所なんてどこにもないじゃないですか」
「僕もそう思い込んでいた。しかし一つ見逃していた場所があったんだ」
そう答えると、僕は壁際のサーフボードなどが並べられていた雑多な一角に近づいた。そう、その中でも用途がよくわからなかった「無数のひびが走っている壺」に。
「人間というのは目の前に極端な事例を見せられると、委縮してタブーと感じてしまうものなんだ。『壊したら弁償』なんて張り紙の下に、こんな今にも壊れそうなひびがたくさん入った壺があったらまず触ろうとはしないだろうね」
「え、ちょっと?」
高輪くんが動揺した声を上げ、中延くんたちが息をのむ。だが彼らに構わず僕はその壺を注意深く持ち上げて観察した。どうやら思った通りだ。
僕が壺のひびに見えた部分に指をかけると、扉のようにパックリと側面が開く。蝶つがいになっているようだ。
そして内部に隠されていた物をそっと引っ張り出した。それはひび割れた壺よりさらに一回り小さく、白地に青色の染料で装飾された細長い壺である。
「無くなったのはこの壺で間違いないかな?」
「は、はい! それです」
「そんなところにあったのか!」
「というか、どうなっているんですか? それ」
驚きながらも口々に質問する陸上部員たちに、僕はクラス委員の虹村から聞いた話を答える。
「この倉庫は元々、他の部活と共用している場所だった。今は廃部になって、備品だけ残っている状態だけれどね。そして昨日、どんな部活が使っていたのかをクラス委員の友人に教えてもらったんだ。この倉庫を昔、使っていたのはサーフィン部に登山部、そして『奇術部』だったそうだ」
星原が「へえ?」と好奇心交じりの笑顔で僕が持っていた壺に近づいて凝視した。
「なるほど、この壺。ひびが入っているように見えるけれど。実際はそう見せかけた装飾みたいね。側面に開く仕掛けが付いていて、それを隠すためのカモフラージュだわ」
「多分、花束や鳩でも隠しておいて観客に見えない角度で物が現れたように見える手品にでも使っていたんだろう」
三田さんも「良くできていますねえ」と感心したように頷いている。
「僕も最初にこの倉庫に入ったときに壺を近くで見たけれど。この壺の口は直径数センチ程度しかないから、もう一つの壺を中にしまうなんて無理だろうという先入観があって、つい見逃していた。あとから奇術部が倉庫を使っていたと聞いて、もしかしてと思ったんだ」
僕の補足をよそに高輪くんたちは胸をなでおろしていた。
「とにかく見つかって良かった」
「本当だな。犯人に回収されて、売られる前で良かったぜ」
一方、彼らと同様に和やかな雰囲気で状況を窺っていた三田さんが「それで、壺をこの後でどうするか、なんですけど」と唐突に話を切り出す。
だがそこで何かを言いかけた彼女を星原が「ああ。……それ、私から沼部先生に返しましょうか」と遮るように申し出た。
「三日の間、この壺は無くなっていたんでしょう? 他の陸上部員もそのことに気が付いているかもしれない。いきなり戻ってきたら不自然に思うでしょうし。この中に置いておいたら、また犯人に狙われる可能性もある。といって先日トラブルを起こした高輪くんたちから沼部先生に返すのも気まずいでしょう。私のクラスは今日、体育の授業があったから『倉庫の裏に誰かが悪戯で隠したのを見つけました』といって返しておく。これでどう?」
星原の言葉は渡りに船だったらしく、高輪くんが「そういうことでしたら」と快諾してその場はお開きになったのだった。
「ひとまずこれで問題は解決だな」
「はい。月ノ下さん、それに星原さんも。私の友達を助けてくださってありがとうございました」
嬉しそうに頭を下げる巴ちゃんに、壺を持った星原も「良かったわね」と頷き返す。
あれから倉庫を後にした僕と星原は下校すべく、教室へカバンを取りに行くために校舎の廊下を歩いていた。
高輪くんを含む陸上部の三人は倉庫の後片付けをしてから一年生の教室に向かったのだが、巴ちゃんは今回のお礼を言うためか、僕らに付いてきている。
「あとは壺を沼部先生に渡しておけば、事なきを得た形になるかな」
その発言に隣の巴ちゃんが「だけど、犯人は結局わからないままなんですねえ」と小首をかしげながら僕を見上げた。彼女の言葉に「いや、そのことなんだけど」と僕が説明しかけた、その時だった。
「……あの」
背後から誰かが声をかけた。振り返るとそこに立っていたのは三田さんだ。
そろそろ来るかと思っていたところだ。
星原が「あら、どうしたの?」と尋ねる。
「いやあ、その壺の事なんですが。やっぱり私からクマベ先生に返しますよ。ほら。私はクラス委員ですから職員室にも、よく出入りしますし」
三田さんの答えに僕は一歩、彼女に進み出る。
「それは『君が壺を持ち出したから、責任をもって返したい』ということかな?」
僕の発言に三田さんは「ああ、バレていましたか」と笑みを浮かべ、巴ちゃんが「えっ」と目を見開いた。
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