第6話 「バランスブレイカー」
「つまり、中延くんたちは『自分たちは壺を盗んでいない』と主張していたわけね。それで倉庫の中を見る限り、廃部になった部活の備品があったから関係者が出入りしているんじゃあないかと調べてみたけれどそんな生徒はいなかったと」
艶やかな黒髪をかきあげながら、色白の少女は悩まし気にそう呟いた。タイルカーペットが敷かれた上にはソファーとテーブル。ここはいつも星原と勉強会をするのに使っている図書室の隣の空き部屋だ。
あれから数時間が経過した放課後である。僕はとりあえず彼女に昼休みとロングホームルームで調べて分かったことを報告したのだった。
僕は彼女と並んでソファーに腰掛けながら「そういうわけだ」と声を漏らす。
「まあ彼ら全員が嘘をついていないのだとしたら。高輪くんが鍵を開けてから、中延くんたちが来る十分程度の間に誰かが入り込んで壺を持ち出したことになるんだが、そんなピンポイントで偶然に入り込む人間がいるとは考えにくい。そうすると彼らの行動を知っていた人間がいることになる」
「でも、今のところそういう人間が思い当たらなかったのよね?」
顎に手を当てて考え込む星原が横目で僕を見ながら確認した。
「ああ。仮に彼ら以外に沼部先生を恨んでいる生徒がいて、壺を盗み出したのだとしても目撃者が見つからない現状じゃあ特定する方法がない。陸上部に所属する彼らに近しい人間という可能性も考えたが、部の中で単独行動をとると目立ってしまうからな。むしろ部外者なんじゃないかという気もするんだ。……星原は何か気が付いたことはあるか?」
「気が付いたというか、この件の背景や状況として気になることがあるの」
「背景?」
「まず、壺が盗まれた事実があまり大事になっていないということ。三田さんが送ってきたSNSの画像では軽く炎上していて、警察に通報する人間も現れそうな勢いだった。現時点ではアカウントが削除されていて問題の投稿自体が見られないけれど。仮に通報されていたら警察が運営者に協力させて、アカウントの持ち主が逮捕されていると思うのよね」
「うーん。実際は通報までした人間はいなかったとか、警察も虚言かもわからない状態では動かなかった、とかかな」
腕組みをしながら僕が返答したところで、彼女はさらに言葉を続ける。
「もう一つ気になっているのは、犯人は本当に壺を持ち出したのかということ」
「え? だって現に無くなっているんだぞ」
「でも、犯人が高輪くんたちの計画を知っていたのだとしても。高輪くんたちがいつ鍵を開けて倉庫に入り込むのか、事前に正確に分かるわけではないでしょう。そうするとたまたまその場に居合わせて倉庫に入り込んだ、ということになるんじゃない?」
確かに高輪くんの話ではたまたま昼休みに行動を起こしただけで、別の休み時間に鍵を開けに行く可能性もあったはずだ。
「まあ、盗み出した人間も事前に持ち出すための準備ができたわけではないだろうな」
「そうだとしたら『壺を持ち出してそのまま校内の人目に付かないところまで運ぶ』なんてことできると思う? それも普通に他の生徒たちもたくさん歩いている昼休みに」
「なるほどね。ということは壺を持ち出したものの、後で回収するつもりで倉庫内に隠している可能性が高い。つまりまだ犯人の手元に壺は渡っていないかもしれないのか」
僕は彼女の指摘に思考を巡らせる。
一つ目のSNSで炎上しかけたにしては大事になっていないという件はまだ何とも言えない。だが、二つ目の指摘については上手くすれば、犯人はわからないまでも壺を取り返せる可能性は残っているということではないか。
「しかし問題は手掛かりが足りていないということだよな」
僕の呟きに彼女は「そこなのよね」と眉をしかめた。
「普通、とっさに隠す場所を都合よく思いつかないもの。考えられるとしたら、部外者の生徒が何かの理由で倉庫内に入ったときに盗むつもりで目星をつけていたとかかしら」
「どうかなあ。陸上部以外の生徒が理由をつけて入るのも難しそうな気がするんだ。倉庫内での部活練習を禁止する貼り紙がしてあったくらいだからな。……きっと『誰かが備品を壊したような前例』があったからそういうルールができたんじゃないかとは思うんだけど」
虹村は備品が壊れたというような報告は残っていないと言っていたから、あのひびの入った壺のことではないにしろ、かなり昔にやらかした人間がいたのだろう。
星原はその言葉に足を組み換えながら悪戯っぽく笑ってみせる。
「ああ。つまり元々は暗黙の了解として許されていたはずなのに、誰かがやらかしてそういう張り紙がされたんじゃあないかと。……寄り道のことといい、どこにでもある話なのね。しいて名づけるのなら『バランスブレイカー』とでもいうのかしら」
彼女は小説を書く趣味があるのだが、執筆の参考にするためか様々な雑学に秀でている。またそのせいか、妙に独特な言い回しをすることがあるのだ。しかしそういった多面的な視点からの助言や見解は、今まで何度も僕が巻き込まれた事件を解決する助けになってきた。
「バランスブレイカーね。当てはまっていると言えなくもないな」
バランスブレイカーと言えば元々はゲームの分野で時おり使われている用語である。例えばこうだ。
カードゲームのメーカーが大きなダメージを与えられるレアカードを発売する。勿論、簡単に使用できるようでは決着が簡単についてしまうので、ある程度の条件を満たさないと使えないようにルール上で制限がある。
しかし発売されて長いカードゲームでは過去に売り出されたカードの中に、たまたま「その条件を簡単に満たす効果がある別のカード」が発見されることがあるのだ。するとそのカードを組み合わせれば必勝ということになり、ゲームの戦略がどうのという以前に「いかにしてその組み合わせのカードを先に出すか」で勝ち負けが決まってしまう。
つまりそのカードの存在自体がゲームのバランスを崩す「バランスブレイカー」というわけだ。最近ではソーシャルゲームでも「このキャラさえ使えば勝ててしまう」という設定が強すぎるキャラクターを指して同じように呼ぶこともあるのだそうだ。
その結果、メーカーや運営は後からゲームの難度そのものを変更したり、一部のカードを使用禁止にするなどの対応に追われる羽目になるらしい。
「度を越した人間のせいで、窮屈なルールが作られるわけだからな。空気を読まずに極端な行動をとる人間を表す比喩としては言い得て妙だと思うよ。……鉄道マニアが写真撮影のために私有地の木を伐採して、鉄道ファン全体を見る目が厳しくなったなんて話もあったな」
星原は「そうね」と微笑みながら相槌を打つ。
「TVのバラエティーでも、熱いおでんを食べさせてリアクションを取らせるネタがあったらしいのだけれど。そういう番組に影響を受けたのか、ある会社で部下に鍋に顔を突っ込ませるというパワハラがあったの」
「ああ。そんなニュースがあったな」
「でもそのニュースを聞いて、ある大物芸人が『ああいうことをされると、自分たちは笑いを取るために程度とお互いの距離感を考えながらやっているのに、同じようなことをやっていると思われて、やりづらくなる』とコメントしていたのよね」
そういえば小説や漫画でも凶悪犯罪が起きるシーンを描いたら、その直後に現実で同じような事件が起きてしまい、『実際の事件を連想するから不謹慎だ』と非難を浴びて規制させられるという逸話がある。
いわゆる広い意味で同じ分野の行動概念であっても、明らかに常識を超えている悪質で極端な例を見せられると「同一視されるかもしれない」という心理が働いて委縮させる効果があるのかもしれない。
ゲームばかりしている子供をいさめる方法は、両親が自らゲームにはまって駄目になっている姿を見せつけることだ、という理論も聞いたことがある。
「結局、この一線を越えたらまずいんじゃないかというグレーゾーンを無視する人間が現れて犯罪とか社会問題にまで発展すると、今までは許されていた部分までがタブーになるっていうことか。実際あの倉庫のひびの入った壺を見て、高輪くんたちも近づきたがらない様子だった」
「まあ、度を越した行動が周囲を委縮させてしまう一種の例かもね。……でも、既存の概念を超えた行動をとる人間が常に悪い存在というわけでもないのよ」
ふと、ここで星原は過去の記憶を探るような遠い目になる。
「ハードルを下げる役割っていうのかな。ほら、よく会議の意見交換とかの場面でみんなが消極的になってなかなか進まないことがあるでしょう」
「あるな。お互いに様子見をしていて発言しにくい雰囲気だったりするやつ」
「そういう時に、とぼけた質問をしたりして皆にあきれられるんだけど、結果として、場の雰囲気が和んでみんなが意見を言いやすい雰囲気を作れる子が中学の時にいたのよね。『ああいう人って凄いな』って思ったわ」
「なるほど。要は極端な行動をとる人間が『牽制として作用することもあれば、逆に行動を活発化させることもある』というわけだな」
「ええ。それに周りを委縮させてしまうような極端な行動をとる人も、『同じような過ちを繰り返さないための戒め』としての役割を担っているともいえるしね」
「単に迷惑な存在ともいえない、か」
そういえば中延くんたちは当初、沼部先生の壺に悪戯をしようとしていたはずだが、先刻の様子では盗難事件のせいですっかりその気を無くしていたみたいだったな。
待てよ? もしかすると問題の壺を持ち出した人間は同じような心理的な効果を応用した、とは考えられないだろうか?
だが、そうだとすると……。
彼女の発言を切っ掛けに僕の頭の中で断片的だった情報が繋がって、一つの仮説が組みあがっていった。
「どうかしたの?」と急に黙り込んだ僕を星原が見つめている。そんな彼女に「思いついたことがあるんだ」と応えてからソファーから立ち上がった。
「もしかすると真相が見えたかもしれない。それを裏付けるために、ちょっと虹村に確認したいことができた」
星原は黒目がちな瞳で僕を見上げながら「犯人がわかったの?」と尋ねた。だがその質問に僕は小さく首を振る。
「いいや僕が考えていたのは犯人というより、そもそも盗難事件なんて起こっていなかったんじゃないかということさ」
彼女はその言葉に「へえ」と興味深そうに目を細めてみせたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます