第5話 クラス委員会で聞き込み
高輪くんたちからの聞き込みを終えた僕は本校舎の教室へ戻るべく、歩を進める。腕時計を見ると昼休みは残り五分程度だ。少し急ごうかと思ったその時だった。
「月ノ下さん」
背後を見ると立っていたのは愛らしい一年生の少女、巴ちゃんである。
「ああ。他の三人とクラスに戻るんじゃあなかったの?」
「いえ。高輪くんたちは、何というか気まずい雰囲気みたいでバラバラに教室に戻るみたいなので。何だか私も一緒に居づらくて」
「そうか」
さっきの様子ではまだお互いを疑っている様子だったものな。
「それで、何かわかりそうでしたか」
「いや。……たださ」
彼女は僕の言葉を待つように不思議そうな顔で見つめ返す。
「さっきの貼り紙と、あのひびの入った壺を見て思ったんだ。程度を超えた行動をとる人間は一定の割合でいるものだなって。……そういう人間の存在が面倒なルールを作る原因になったりするんだよな」
巴ちゃんは僕の言葉に「ああ、なるほど。そういう話なら私も似たような例を聞いたことがありますよ」とうんうんと頷き返した。
「うちの父親から聞いたのですけどね。数十年前は学校で体育の授業やスポーツをするときに炎天下でも水分補給をさせなかったらしいんですよ」
「へえ。でもそれじゃあ脱水症状になるだろう」
そういう理不尽な根性論がまかり通った時代だったのだろうか。
「確かに夏場の水分補給は今では、常識ですからね。ただ当時もそれなりの理由はあったらしいのです」
「それなりの理由?」
彼女はサッカーボールを片付ける運動場の生徒たちを横目で見やりながら言葉を続ける。
「私たちは普段意識しませんが。教師の立場からすれば、数十人の生徒を相手に指導をしなくてはいけないわけじゃあないですか」
「まあ、そうだね」
「それで何十人もいるとですね。一人くらい喉の渇きを癒したい一心で自制できずガブガブ水を飲んで、お腹がタプタプになって動けなくなったり、水中毒を起こす生徒が毎年必ず出てきたらしいんですよ」
「あー……、なるほど」
体育教師の立場からすれば授業の際に、体調不良を起こす生徒が出るとならばそのたびに報告しなくてはならない。再発防止をしようにも数十人いる生徒全員に常に目を光らせるのは難しい。そもそも母数が増えるとどうしても程度を超えた行動をとる人間が現れるのは世の常だ。
「それで誰かが問題を起こすのなら、いっそ運動の時に水を飲ませない方が良いとなったのか」
「はい。もっとも現在では熱中症の危険性もありますし、汗をかいてナトリウム不足になる可能性もありますからね。水分補給をさせないのではなく『経口補水液を少しずつ飲む』という指導が一般的になったのでしょうね」
巴ちゃんは「あはは」と笑いながら話を
一方、僕が思い出していたのはこの間、星原と交わした「買占めや寄り道など暗黙の了解やグレーゾーンを理解せずに極端な行動をとる人間のせいで、窮屈な規則が出来上がってしまう」というジレンマの話題だった。
先ほどの貼り紙の件も然りだが、極端な行動をとる人間の前例が他の不特定多数の人間に影響を与えるということなのだろう。
「あれ?」
頭の中で何かが引っかかった気がする。巴ちゃんが立ち止まって「どうかしました?」と振り返る。「いや、何でもない」と僕は首を振った。何かを思いつきかけたのだが、残念ながらまだはっきりした形にはならない。
不審な顔になる彼女に「ほら、昼休みが終わるから急ごう」と僕は促したのだった。
蛍光灯が教室内を照らす中、白髪交じりの柔和な男性教師が教壇に立って「コホン」と咳払いをした。僕が属する三年B組の担任である亀戸先生である。
「予定通り、この時間のロングホームルームは次回の文化祭に向けての準備時間とする。部活に所属する生徒は前半に各部活動で手伝いをして、後半は教室に戻ってくるように。それ以外の生徒はクラスの出し物の準備をすること。それでは始め」
先生の号令を受けて、クラスメイト達が動き始める。
昼休みがあけた五時間目である。うちのクラスでは景品でお菓子を渡す射的屋を企画しており、同級生たちはそれぞれ割り当てられた役割に従い、看板や的などの小道具づくりをしていた。僕もゴムを発射する鉄砲を作る作業をしばらく手伝っていたが、十分ほど経過したところで「トイレに行ってくる」と言って教室を抜け出す。
勿論、向かう先は手洗いではない。本校舎一階の職員室横のミーティングルームだ。確かその場所でクラス委員会が文化祭の運営についての打ち合わせをしているはずである。
階段を下りて、本校舎一階の廊下に出る。右手の南側に一年生の教室が並び、奥に職員室がある。そして反対側、つまり左手の北側にはミーティングルームや備品倉庫などがあり、校門へ続く歩道が部屋の窓ごしに見えていた。
僕は誰もいない廊下を静かに歩く。ふと職員室から誰かが出てきて近づいてくるのが目に入った。縮れた髪を撫でつけた細面の冷たい印象の中年男性、沼部先生である。
特に悪いことをしているわけでもないが、僕は緊張した面持ちで軽く会釈をする。だが沼部先生はそれに対して横目で見るとフンと鼻を鳴らして軽く会釈を返して通り過ぎただけだった。観察する限りでは普段と全く変わらない様子だ。大事なものが無くなったのなら多少なりとも動揺しているものかと思ったのだが。
それとも、単純に無くなったことにまだ気が付いていないのだろうか?
いや、今はそれどころではないな。ひとまず用事を済ませるのが先決だ。僕は職員室の手前にあるクラス委員会の打ち合わせが行われているミーティングルームの扉を開けた。
中を見渡すと各クラスの委員たちがいくつかのグループに分かれて、机の島ごとに作業をしているようである。
「だから、体育館のステージイベントをやりたがっているのが軽音部と映画研究部だったんだが。吹奏楽部と二年のクラスで演劇をしたいところも出てきていて」
「時間調整はできないのか?」
「それで一応、予算は当初の要求通りに配賦したんだけど。追加でほしいと言ってきたところが」
それぞれに運営のためにあれこれと話し合いをしているようだ。僕はそのグループの一つから目当ての人物を探し出して声をかけた。
「やあ。
「ああ。月ノ下くんじゃない。どうしたの?」
ポニーテールに眼鏡をかけた凛とした雰囲気の少女が見つめ返す。僕の所属する三年B組のクラス委員、
「実は、ちょっと聞きたいことがあって……あれ?」
彼女の傍らにいるのは丸顔の人懐こい雰囲気の一年生の少女、三田さんではないか。そういえば彼女もクラス委員だと高輪くんが言っていたな。
三田さんは僕と目が合うと「どうも。こんにちは」と愛想よく挨拶を返す。僕も「こんにちは」と頭を下げる。
それを見た虹村が「知り合いなの?」と不思議そうな顔になった。
「まあね。ちょっと今、相談されていることがあってさ。ところで、何をしているんだ?」
彼女は僕の質問に「ああ」と応えてから「三田さんは凄いのよ? 学校のホームページに文化祭の情報を掲載する作業を手伝ってもらったのだけれど、ほとんど一人でやってくれたの」と自分の事のように誇らしく微笑んだ。
「へえ。そんなに優秀なのか? 大したものだなあ」
三田さんはその言葉に顔を赤くして「いえいえ。うちの父がウェブデザイナーの仕事をしていまして、日頃から教えてもらっているのです。別に何も凄いことは」と首を振った。
虹村はそんな彼女に「私にとっては凄いことだよ」と賞賛する。
「先週から毎日このミーティングルームで作業してもらってね。彼女一人で居残りしていたこともあったんだよ。私はこういうの詳しくないからあまり手伝えなくて」
「ふうん、努力家なんだな。尊敬するよ」
「この間なんて茶道部から部員募集のイベントで小道具が欲しいって相談を受けたんだけど。『それなら心当たりがあります』ってすぐに対応してくれたんだ。本当に気の付く子だなって思ったよ」
生真面目な愛すべきクラス委員の女友達はここでふと、話し過ぎたことに気が付いたのか僕に向きなおる。
「……そういえば何の用なの? 訊きたいことがあったんだよね?」
「ああ。実はさ」
話の性質上、高輪くんたちがやろうとしていたことまで正確に話すわけにはいかないので僕はある程度ぼかして説明する。
陸上部の倉庫で保管していたものが無くなった。その際に出入りしていた部員が困っている。調べたところでは過去に他の部が使っていたこともあったようなので、もしどんな部活が使っていたのかわかるのなら、手掛かりになるかもしれないから教えてほしい、と。
虹村は僕の話に「なるほどね」と頷いて横に置かれていたパソコン端末をいじった。
「過去の校内各部屋の使用申請状況をまとめたファイルがこれなんだけど。こんな感じだね」
パソコンの画面に表示された図表の「運動場横倉庫」の列に記載された部活名は「サーフィン部」「登山部」「奇術部」などだ。確かに倉庫にはサーフボードやテントなどが保管されていたが。
「存在も知らなかった部活ばかりだな。これらの部活っていつ廃部になったんだ? 所属していた部員はまだうちの学校にいるのか確かめたいんだが」
「ちょっと待ってね。ああ、このファイルだ」
彼女は画面に表示されたアイコンの一つをクリックして過去の部活動の認可についての記録を見せてくれた。しかし……。
「どれも五年以上前に廃部になっている。過去にあの倉庫を使っていた部活の人間が出入りしたという線は無い、ということか」
「そうみたいだね」
つまり、手詰まりということになる。僕は「ううむ」とうなりながら内心で頭を抱えた。だがそもそも過去に倉庫を使用していた部活が関係していたんじゃないかというのも、明確な根拠があったわけではない。見つかった情報から想像しただけだ。
となると他に高輪くんが鍵を開けた直後に入り込みそうな生徒がいなかったか、壺を持ち出す動機がある生徒はいないかもう一度洗いなおすしかないだろう。
小さくため息をついて気を取り直したところで、僕は最後に気になっていたことを尋ねることにした。
「ところで、倉庫の中に『部活の練習をしないこと』『もし倉庫内の備品を壊した場合には弁償』みたいな貼り紙があったんだが。やっぱり過去に実際に壊した生徒がいたって言うことなのかな」
しかし虹村は「そんなものがあったの? でももし壊した生徒がいたのなら何かの報告書が残っていそうだけど。記録に無いから大分昔にそういうことがあったのかもね」と首を振る。僕としては、あのひびの入った壺を頭に思い浮かべながら質問したのだが、返ってきたのは予想と違う言葉である。
壊したことが報告されていなかったということなのか?
ということは、あの貼り紙はあのひびが入った壺を意識して書かれたということではなかったのだろうか。心の中で違和感を覚えながらも、僕は「ありがとう」と礼を言ってひとまず自分の教室へ戻ることにしたのだった。
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