第4話 陸上部倉庫にて

 サッカーに興じる生徒たちの声が響く中、初夏の風が爽やかに運動場を吹き抜ける。高輪くんの話を聞いた翌日である。天気は晴れ渡り、陽光があたって少し汗ばみそうなくらいだ。


 腕時計を見ると十二時半を指している。僕は運動場に隣接する実習棟という校舎の壁にもたれて高輪くんたちが来るのを待っているところである。


 これ以上遅くなると時間が無くなると心配になってきたところで、本校舎の方から四人の人物が近づいてくるのが見えた。


「お待たせしました」と会釈したのは髪を刈りこんだ眼鏡の少年、高輪くんだ。彼と並んで歩いてニコニコと手を振っているのは巴ちゃんである。


「えへへ。お力添えありがとうございます、月ノ下さん」

「いや、どうして巴ちゃんもいるんだ?」


 僕の質問に彼女ははにかみながら「だって、私が持ち込んだ話ですし。一応付き添った方が良いかと思いまして。……それに高輪くんが声をかけただけだと、他の二人の腰が重い様子だったので」と答える。


「なるほどね」


 僕は彼女の言う「他の二人」、彼女の後方に佇んでいる中延くんと長原くんをみやる。話に聞いていただけで顔を見るのは初めてだが、小柄でつり目の我の強そうな少年が中延くん。長身で面長の朴訥とした雰囲気の少年が長原くんのようだ。二人とも困惑と疑心が入り混じったような表情で様子を窺っている。


 考えてみれば仮に彼らが無くなった壺に関与していないにしても、面識のない上級生である僕が詳しく話を聞きたがっていると言われたら「何事か」と動きたがらなくとも無理はない。


 だがクラスメイトの可愛らしい女子、巴ちゃんが間に入って「来てほしい」と言われれば大抵の年頃の男子ならば従ってしまうのではないだろうか。


 ともあれ、せっかく巴ちゃんが仲介に入ってまで機会を作ったのだ。早速、現場を見せてもらって話を聞くべきである。


「ええと。中延くんに長原くんだよね? 僕は三年B組の月ノ下だ。巴ちゃんのお姉さんと友達で、その関係でクラスメイトの高輪くんが困っているからってことで相談を受けたんだよ。その、壺が無くなった件についてね。……だから陸上部の倉庫を案内してもらえないかな」


 彼らは僕が「壺が無くなった」と口にしたあたりで、ビクリとしながらも「はあ」「そういうことでしたら」ととりあえず反応して実習棟の奥側へ歩き始めた。


 高輪くんが僕らを先導して歩き「こちらです」と僕を振り返り見る。彼が指さす運動場脇にはプレハブ小屋が二つ並んでいた。


 ちなみに運動場の隣には実習棟という家庭科室や美術室などがある校舎が建っているのだが、その実習棟と運動場の狭間に押し込められたような位置である。片方は体育倉庫と呼ばれるサッカーなどの用具が入っている倉庫だが、その隣に一回り小さな

プレハブ小屋が建っており、こちらが陸上部の倉庫らしい。


 高輪くんが鍵を開錠して中に入る。僕と巴ちゃんも彼に続き、中延くんたちもついてきた。


 倉庫の中はコンクリートの床の上にハードル、陸上競技に使うのであろうマットなどが置かれていた……のだが。


「ここ、本当に陸上部の倉庫なんだよね?」

「そうですが?」

「まるで関係なさそうな物も並んでいないか?」


 周囲を睥睨した僕は思わず首をかしげながら高輪くんに尋ねた。そう。室内には何故かサーフボードや畳まれたテント、古めかしい大きめの壺など陸上部らしからぬ品々も壁際に置かれていたのである。


「いやあ、僕もよくわかりませんが。先輩から聞いた話だと昔は他の部活の倉庫と兼用だったらしいんですよ。そういう部活も今では廃部になっているそうなんですが。一応学校からもらった予算で購入したものですし、また部員が集まって同じ部をやりたいとなったときのために残しているんだとか」

「へえ、なるほどね。それじゃあ無くなった壺が置かれていた場所を見せてくれないか」

「はい。……こっちです」


 彼が案内した一角は棚やケースで周囲から区切られ、床には畳も敷かれていた。埃っぽい倉庫の中でその部分だけが小奇麗な印象を受ける。高輪くんが靴を脱いで上がったので、僕と巴ちゃんもそれに倣って畳の上に足を踏み入れた。


 棚の中にはトレーニングや陸上関係の書籍のほか、過去に卒業した部員が獲得したのであろうトロフィーなども収納されている。しかし陳列棚のトロフィーの隣辺りのスペースが妙にぽっかりと空いていた。


 巴ちゃんがふうんと鼻を鳴らして口を開く。


「ここに問題の壺があったんだね。どんな形でどれくらいの大きさだったの?」

「形としては徳利を少し太くしたようなフォルムで。大きさは高さ三十センチくらいだったよ、確か」


 高輪くんが記憶を探りながら説明した。僕も気になって彼に尋ねる。


「ちなみに君が鍵を開けるために入ったときには、まだあったのか?」

「ええ。倉庫内で中延たちに連絡をするときに何となくこの場所を見に来ましたから」

「そうか。わかった」と僕は頷いて、畳が敷かれた一角から踏み出した。


 室内の中央には中延くんたちがどうなのかと気を揉むような風情で立ちつくしている。次は彼らに話を聞くべきだろう。僕はまず小柄だが我の強そうな少年の方を見やる。


「中延くんだったね。君が落書きをするためにこの倉庫に入ったときには例の壺は無くなっていた、ということでいいんだよね」


「そうだけど」と仏頂面で彼は答えた。


「高輪くんからある程度、経緯は聞いていたけれど。まず彼が鍵を開けて君らに合図を送った。それからここに入ったということだよね。連絡を受けてからどれくらいだったんだ?」

「ええと。十分くらいっすね」


 すると、高輪くんが鍵を開けてから、その空白の十分間で壺が消えたことになるのか。


「でも、君は沼部先生を相当恨んでいたんだろう? 例えばだけど落書きだけじゃなくて盗んでやりたいと思っていたんじゃないか?」

「いやいや! 落書きだって、俺は軽い冗談のつもりで!」


 僕のカマかけに中延くんは大げさに首を振った。実際に復讐を計画したのは彼だったはずだが、そんなことは無かったかのように否定してみせる。それどころか声をひそめてつり目の少年はこう続けた。


「……それを言うなら怪しいのは高輪だと思うんすよ。あいつが最初に入って鍵を開けたんだから、そのときに壺を隠しておきながらとぼけている。これで説明がつくじゃあないすか」


 だがそんな彼に「どうだかな」と隣の長身で面長の顔立ちの少年が呟く。長原くんである。


「それを言うならお前も同じだろう。俺は倉庫の近くで見張っていただけだからお前が何をしていたのか知らん。むしろ一番復讐をしてやりたいと息巻いていたのは中延だからな」


 中延くんはそんな彼に「何だと」と鼻白む。


「自分は外で見張りをしていただけだってか? だが先に倉庫の所に着いたのはお前だったろうが。長原が倉庫に先に入って壺を盗み出した後、何食わぬ顔で見張りに立っていても俺にはわからねえがな」


 険悪になり始めた二人に畳の間にいた高輪くんが何事かと覗き込み、巴ちゃんは困ったような顔になる。ここは僕が割って入った方が良いだろう。


「あー。ちょっと良いかな。長原くん」

「はい?」

「君は中延くんのどれくらい前に来たんだ?」

「ほぼ同じですよ。連絡を受けてから十分経つか、経たないかくらいです」


 それでは長原くんが壺を盗み出して隠すような余裕はなさそうだ。彼らの言葉を信じるなら、やはり高輪くんが倉庫を出た直後に盗み出されたことになるのだろうか。


「それじゃあ君たち二人に聞くけど、仮に問題の壺が戻ってきたらどうする? まだ落書きをするつもりなのかな?」


 一応、人の物に落書きをするのも器物損壊という犯罪に当たるんだぞと諫めるつもりだったが、その必要はなかったようで彼らはそろって否定する。


「いや。別に。さっきも言ったけど自分は軽い冗談のつもりで」

「俺は中延が話を持ちかけたからそれに乗せられて」


 高輪くんの話では沼部先生にやり返したいという執念に駆られていたはずだった。しかし今の二人は完全に毒気が抜かれている様子だ。中延くんはきまりの悪い表情でうつむき、長原くんは顔を引きつらせて目をそらす。


 どうも盗難をした人間が炎上して警察沙汰になりそうな状況を高輪くんから聞いたことや自分たちが疑われるかもしれないという不安が彼らの頭を冷やし、復讐心ががれてしまったのだろうか。


 ただ客観的な状況を言うならばやはり盗むことができたのは、現時点では高輪くんと中延くんということになってしまう。自分が入ったときに一時的に隠すか、盗み出すなどしてそのことを黙っているとすれば一応説明はつくのだ。


 しかし高輪くんが犯人だというなら僕に犯人探しを頼むとは思えないし、中延くんは直情径行な印象があって、両者ともどうも犯人としては違和感がある。


 だとすると他にこの倉庫に入る可能性がある人間がいて、その人物が犯人なのだろうか?


 僕が少し悩んでいたところで、隣の巴ちゃんが「あのう」とおずおず手を挙げた。


「気になっていたんだけど、あそこにある壺は関係ないんだよね?」


 彼女が指さしたのは僕がこの倉庫に入ったときに目にした壁際に並んでいる品々の一つだ。中延くんたちが力が抜けた声で巴ちゃんに反応する。


「……違うに決まっているだろ」

「あれがそうだったら悩んでいない」


 巴ちゃんは「えへへ。まあそうだろうなとは思ったけど」と照れ笑いをした。だが大前提としてこの倉庫の中に問題の壺が残っていないか、確認しておくのは重要ではあるな。


 ふと、壁に目を向けると貼り紙がしてあるのが目に入った。


『ここでサッカーなど部活の練習を一切しないこと』

『もしも倉庫内の備品を壊した場合には、全額弁償させます』


 こんな文言の下に教務部とクラス委員会の名称が記載されている。僕は思わずキョトンとしてしまう。


「え? ここでサッカーの練習とかする人いるの?」


 倉庫の広さは物が置かれてない部分を除いても、八メートル四方といった程度の広さだ。部活の物置としては余裕がある方だが何かのスポーツの練習をするには無理があるように思えた。


 僕の疑問にいつの間にか近くに来ていた高輪くんが答える。


「大雨や台風のときだとサッカーとか僕らみたいな陸上部は練習する場所が無くてですね。校舎の廊下をランニングするのも迷惑がられますし。教室の一部を借りて筋トレとかするんですよ。でもそれだって良い場所はレギュラーや先輩が優先されますから。練習場所に困ってこういうところでパス練習とかする人間がいてもおかしくなかったと思いますよ。……ほら」


 彼は先ほど巴ちゃんが言及していた壺を指し示した。大きさは四十から五十センチほどだろうか。形は楕円形の端を切り取ったようなものだが、模様も装飾もない茶色の素っ気ない代物で、あちこちに「大きなひび」が入っているように見えた。


「ええと、つまりあのひびは」

「誰かがボールでもぶつけたんでしょうね。だから『あの注意書き』が貼られたんだと思います」

「そういうことか」


 僕はその壺に近づこうとするが、唐突に「あっ! 気を付けて!」と高輪くんが血相を変えて声を漏らす。


「ひびが入っていて、ただでさえ壊れそうなので部活中も誰も触りたがらないんですよ? もし壊してしまったら月ノ下さんをこの部屋に入れた僕が責任を問われるかもしれないですし」

「わかった。気をつけるよ」


 改めて見ると確かに大きなひびが入っていて、今にも壊れそうではある。また壺の口は直径数センチあるかという位で、中に何かを隠そうにもこの狭い口から入れられるものは限られるようだ。……特に発見は無しか。


「でも、高輪くん。さっきの話だと元々、この倉庫は他の部活でも使われていたんだよね」

「はい。昔はそうだったらしいですが」

「それなら、その部活に所属していた人が今でも用があるときにここに日常的に出入りしていたなんてことはあるかもしれない。そしてたまたま鍵を開いているのに気が付いて壺を持ち出したとかね」


 巴ちゃんが「なるほど! それはあるかもしれませんね」と感心したように相槌を打つ。一方、高輪くんは「ええ? でもどうやってそんな人を探すんですか?」と首をかしげた。


「部活関係の活動はクラス委員会を通して、学校に申請するからね。ちょうどこの後の授業は文化祭の準備のためのロングホームルームだ。知り合いのクラス委員に訊けば、この倉庫を使用していたのがどこの部なのかわかると思う。あとはその部活に所属していた生徒を探せば手掛かりになるかもしれない」

「……なるほど」


 眼鏡の少年は頷きながらも、眉をしかめる。口とは裏腹に本当にそれで犯人が見つかるのかと不安なのだろう。だが何にせよこれ以上この場で得られる情報はないようだ。一応、方針も決まったところで「何かわかったら連絡する」と僕は高輪くんに約束して倉庫を後にしたのだった。

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