第2話 復讐と消えた壺

 床にはタイルカーペットと少し古びた革張りのソファー。壁際には学校の備品が雑多に詰め込まれている。蛍光灯に照らされた中央のテーブルを挟んで僕らは向かい合っていた。


 ここは図書室の隣にある空き部屋で、半分倉庫として使われている場所だ。僕と星原は放課後に勉強会をするために週に何度かこの校舎の一角で時間を共に過ごしている。


「それで、部室に会った先生の私物が無くなったということなんだけど」


 僕が話を切り出すと、高輪くんが「はい」と沈痛そうな表情で応えて三田さんがすまし顔で「そうなんですよ」と頷いてみせる。


 ちなみに座る場所が足りないので星原と巴ちゃん、三田さんがソファーに座り、男性陣の僕と高輪くんは倉庫に保管されていたパイプ椅子に腰かけていた。


「それで、高輪くんだったかしら? 一体どういう経緯で無くなったの?」


 星原の言葉に高輪くんはおどおどとした様子で話し始める。


「あのう、これから話すことなんですけど。できれば内密にお願いしたいんですが」

「……まあ、人の困りごとを吹聴する趣味はないし。特に理由がなければ他人に君の事情を話すつもりはないよ」


 僕が諭すように声をかけると、彼はため息をついてぽつりぽつりと言葉を続ける。


「実は、ついこの間なんですが。僕が所属している陸上部で春の大会が終わったんで、帰る方向が近い同級生の部員たちと遊ぶことになったんです。それでカラオケで騒いだ後で彼らに連れられて入った店がたまたまお酒も出すお店で。帰ろうとしたところを先生に見つかって問題になったんです」


 先日から話題になっていた問題を起こした一年生の一人は高輪くんだったのか。


 内心驚いている僕をよそに、隣の星原はすっと目を細めて「へえ。……ふーん。あなたがねえ」と渋い顔になっている。おそらく高輪くんを含む陸上部員たちのせいで楽しみにしていたスイーツフェアにいけなくなったことに若干思う所があるのだろう。


「い、いや。でもですね。昼間は普通にカフェ営業している店で、偶然僕らが立ち寄った時間が居酒屋営業もしている時間帯だったっていうだけで。僕らは飲酒なんてしていないんですよ。……だいたい普通にみんなが行っているファミレスだってビールくらいメニューにあるじゃあないですか。何もやましいことなんてしていないのに、あのクマベの奴がねちねち一時間も説教して! しかも親まで呼び出したあげく反省文まで書かせたんですよ?」

「クマベ? ああ沼部ぬまべ先生のことか」


 沼部先生は古典の担当をしている男性教師である。ただ目の下にいつもクマが目立っていて細面の顔立ちもあって怜悧な印象を与える人物だ。実際、生徒に対しても相手の欠点や過ちを反論を許さずに指摘して無感情に責め立てる一面があるため、あまり好かれてはいない。その容姿を揶揄して一部の生徒がクマベと呼んでいるらしい。


 また大学時代は陸上競技を経験していたとかで、陸上部の顧問をしているという話も小耳にはさんだことはある。


「それで、一緒に説教された部の同級生が『復讐してやろう』って言いだしたんです」

「復讐だって?」




 それは二週間前の部活練習の終わりのこと。


 高輪くんは同じ一年生の中延なかのべ長原ながはらという二人の陸上部員とともにゼイゼイと喉から息を漏らしながら運動場の地面にはいつくばっていた。


 顧問である沼部先生ことクマベが「大会の後も繁華街で遊びまわるような元気のある諸君には、私が特別メニューを用意してやろう」と過酷なランニングメニューを、高輪くんを含むこの三人に強要したのだ。おそらく彼らが例の飲食店に出入りしたことに対する懲罰も兼ねていることは想像に難くない。


 周りの先輩部員たちは高輪くんが属していた一年生男子グループをかばう様子も同情する雰囲気も見せなかった。それも仕方がないことだと彼は心中で呟いた。


 自分たちのせいで繁華街を先生が見張るようになって寄り道ができなくなったことを内心責めているのだろう。だが法を犯したわけでもなく、誰かに迷惑をかけるようなことをしたわけでもない自分たちが、なぜここまでの目にあわされなくてはいけないのか。


 着替えを終えて下校する道すがら、不満を募らせた彼ら三人は沼部先生の陰口をたたきあったのだという。


「クマベの野郎。信じられねえ。百歩譲って制服姿で繁華街に出入りしたのが問題だとしてもよお。説教と反省文で罰は済んだろうが。今日のしごきは完全に私怨だ。私怨」


 彼らの中でもっとも我の強い中延が不機嫌さを隠そうともせずに言葉を荒げれば、あまり感情を表に出さない長原でさえも「はん」と鼻を鳴らして冷笑する。


「陸上部の俺たちがやらかしたから、顧問の自分の評価も下がるんじゃないかと気にして八つ当たりしているんだろ。……あいつ上の評価ばかり気にしているからな」


「まあ、確かにいくら何でも酷いよね」と話を聞いていた高輪くんも相槌を打った。しかしここで中延が思いもよらない提案を二人にする。


「なあ、ちょっとあいつにやり返してやるってのはどうだ?」

「やり返すって何を」

「何だっていい! このまま何もしないで終わっちまったら、気分が悪いぜ」

「まあ、俺もムカついてはいるがな」

「そうだろ、そうだろ? 作戦を立てようぜ。何かいい考えを思いついたら言ってくれ。高輪もな?」

「え……。うん」


 そんなやり取りをして二、三日の間、彼らは休み時間や学校帰りなどにこっそり集まり、時には携帯電話のメッセージアプリで相談をして復讐の計画を練った。そしてある日の放課後、中延が「面白い話を聞いた」と本校舎の裏手に集まるように高輪くんと長原に呼び掛けたのである。


 中庭の反対側に当たるこの校舎の裏手は校門につづく歩道と学校の内外を隔てるフェンスに挟まれた殺風景な空間で登下校以外の時間帯は人気が少ない。周囲に人がいないことを確かめた中延は不審な表情になる高輪くんたちに自分の仕入れた情報を語りだした。


「実は二年生の先輩が話しているのを盗み聞いたんだけどよ。ほら、うちの部の倉庫が運動場の片隅にあるだろ? 体育倉庫の横の、運動器具やトロフィーを収納しているあの倉庫だ」


 長原が「ああ、そりゃ部活の時にも入るからな」と相槌を打ち、「あれがどうかしたの?」と高輪くんが尋ねると彼はニヤリと笑う。


「あそこのトロフィーとかが並んでいる陳列棚になぜか古伊万里だかの壺が置いてあるんだよ。あれはクマベの私物らしい」

「ええ? どういうこと」

「あいつさあ、骨とう品を集める趣味があるんだと。でも高価な物を買って家に持って帰ると奥さんに嫌な顔をされるんだそうだ」


 長原が「それで学校に置いてこっそり鑑賞しているってわけだ」としたり顔で呟く。

「ああ、相当お気に入りの品なんだろうな。……それでだ。その壺に油性マジックで落書きしてやるってのはどうだ?」

「なるほどな。面白そうだな」

「う、うん。そうだね」


 高輪くん自身は普段は大それたことや教師に表立って反抗するようなタイプではない。しかしこの時は理不尽な扱いをされた顧問に対する悪態を一緒についてきた手前もあり、三人とはいえグループの連帯感から来るムードに飲まれて気が大きくなっていたのか賛同してしまったのだ。


 そして彼らは復讐の具体的な計画を検討し始めた。


 いくら何でも沼部先生に叱責を受けた直後であるこのタイミングで、復讐を実行すれば確実に疑いがかかってしまう。だから詰問されても「自分たちはやっていない」とはっきり言える状況を作る必要がある。


 そこで彼らが考えたのは役割分担だ。


 問題の用具倉庫は普段鍵がかかっていて、授業以外の必要な時や部活の前には職員室で鍵の管理表に名前を書いて借りることになっている。


 まず一人が休み時間に倉庫の中に忘れ物をしたふりをして職員室で鍵を借りて入り、すぐに出てくる。このとき、「ものの数秒ですぐに出たところ」をできれば無関係な誰かに目撃してもらう。これは後で証言者になってもらうためだ。


 そして倉庫を出てくるときに「鍵をかけたふり」をして実際には開放しておく。


 続いて二人目が鍵の開いている状態の倉庫に入り込んで、件の壺に落書きをする。しかしこのときに万が一にも誰かに見られてはまずいし、また他の生徒が何かの用事で倉庫に近づいてくる可能性もある。


 そこで三人目が二人目が復讐を実行するまでの間、近くで見張りに立って誰かが通りかからないかを確認し、近づく人間がいれば二人目の携帯電話のコールを鳴らして注意を呼び掛ける。


 最後に実行犯の二人目が周囲に人がいないことを確認してから倉庫を出てそのまま離れる。


 その後で人が立ち入るのは数時間後、陸上部の活動を始めるために部員たちが準備するときなのだ。そして一年生の自分たちが「倉庫の鍵を開ける役割」であるので、「実は鍵が開いていた状態だったこと」は黙っていれば気づかれない。


 部活が始まってしまえば他の十数人もいる陸上部員も出入りするので、落書きが発見されたところで既に誰がやったのかを特定するのは難しい状態になるはずだ。


 勿論、その前に出入りしたことになる一人目の鍵を借りる役割の人間に疑いが向くことはあるだろうが、そうなっても大丈夫なように忘れ物を取ってすぐに出てきたところを目撃した人間に証言してもらうのだ。


 これで客観的には部活が始まるまで鍵がかかっていたことになるし、実行犯の二人目が特定されることもない。


 このような一連の計画を中延と長原が発案し、話し合って段取りを決めていったのだそうだ。そして計画の細部が固まったところで中延は「よし、それじゃあ高輪が鍵を借りる役をやってくれ」と告げた。


「え? 僕が?」

「ああ。一番リスクのある落書きをするのは俺がやる」


 続いて長原が「じゃあ俺が見張り役だな」と頷く。だがここでなんとなく弱気になった高輪くんは「で、でも。できれば僕が見張り役の方が」と役の変更を申し出た。


 彼としては、鍵を借りて開けておく役をやったときに都合よく目撃してくれる第三者が現れてくれるのか不安に思えたのだ。それにもしも協力者でも何でもないその目撃者が証言してくれなかったら一番怪しまれるのは自分である。しかし中延たちはその反論を許さなかった。


「何言ってるんだよ。さっきも言ったが一番危ない橋を渡るのは俺だぞ」

「見張り役なら一番背の高い俺がやった方が良い。眼鏡をかけているお前より視力だって良いからな」


 こんな調子で高輪くんは二人に強引に押し切られてしまった。そして数日後、沼部先生が親戚の法事で一日休むことになるという話がクラス担任から通達される。中延と長原は「実行するならこの日だ」と気炎を上げたらしい。


 だが、中延たちにけしかけられた高輪くんは若干悩んでいた。例えば休み時間に適当にクラスメイトに声をかけて「忘れ物があるんだ」と運動場横の倉庫に出入りして鍵を開けておく。これを自然にやるのは意外に難しいのではないか。露骨に不自然な行動になって後でかえって怪しまれてしまいそうだ。


「どうかしたの? なんかこわばった顔をしているけど」


 昼休みの教室の片隅で悩んでいた彼に声をかけたのは中学時代からの付き合いがある三田さんだった。そういえば彼女はクラス委員だ。明るく真面目で先生からも好かれている。他のクラスメイトより気心が知れているし、人の良い彼女ならば疑いがかけられた時も証言してくれるかもしれない。


「いや、別に。……ところでさ。この間は英語の宿題を写させてくれただろ? お礼にジュースを奢るよ」

「え? 何もそこまでしなくても良いのに」

「でも僕の気が済まないから。自動販売機が運動場の横にあるだろう。あそこで好きなものを選んでくれ」


 三田さんは首をかしげながらも「そこまで言うのなら」と彼に付き合って運動場までついてきた。そして途中の職員室で鍵を借りていた高輪くんは、自動販売機の近くまで来たところで「部活の倉庫に忘れ物をしたから取ってくる。少し待っていてくれ」と問題の倉庫に入るとすぐに出て「鍵を閉めた真似」をして、三田さんと合流してその場を離れた。


 倉庫に入ったとき携帯電話で中延と長原には合図を送ってあるから、それを受けて彼らが復讐を決行するはずである。あとは自分に疑いが向かないことを願うばかりだ。「何にせよこれで終わった」と高輪くんは内心で安堵のため息をついたのだった。


 しかし数時間後の次の休み時間の時に、ふと彼は携帯電話にメッセージ着信が何通も来ていることに気が付く。何事かと画面を見ると送信相手は中延と長原ではないか。


 メッセージを表示した瞬間、高輪くんは思わず思考を停止した。


『クマベの壺がないぞ』

『無くなっているんだ』

『一体どうなっている?』

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