放課後対話篇6
雪世 明楽
盗まれた壺と「バランスブレイカー」
第1話 寄り道禁止と下級生の相談
鉛色の雲がアンニュイな気持ちを煽るように僕らの頭上を流れている。初夏の曇り空は時に快い季節の変わり目に水を差すかのように感じさせるものだ。
「人生とは不条理ね。自分には非がないというのに他人のせいで不利益を被らないといけないなんて」
隣のブレザーの制服を纏った少女が物憂げな表情でそう呟いた。首筋で切りそろえられた艶やかな黒髪に色白の肌。黒目がちな双眸は愛らしくもあるが、今は悲しみをたたえて下方に向けられている。
僕は「気持ちはわかるけど、そこまで大げさな話かな」と彼女の大仰な物言いに顔を引きつらせて、何とはなしに中庭を見やった。
校舎の時計は十七時前を指していて、中庭でバレーボールをする生徒や運動場でサッカーをしている運動部員たちの姿が目に入ってくる。
僕、
今日は定例の勉強会をするために掃除当番を終えた後で待ち合わせて、渡り廊下を歩きつつ本校舎に足を向けていたところである。
彼女は僕の物言いに不満げに口をとがらせる。
「だって、期間限定のスイーツフェアだったのよ。今週で最後だったの。パティシエールが腕によりをかけて作った季節のフルーツを使ったタルトやパイが食べられるチャンスだったの」
「それは残念だけど、タイミングが悪いんだから仕方ないじゃないか」
はあ、と溜息をつきながら星原は「そうね。……たまに度を越した行動をとる人間っているものね」と眉をしかめたのだった。
僕らが所属する天道館高校の校則では「学校帰りに繁華街など不要な寄り道は禁止する」と定められている。とは言っても厳格なものではなく、コンビニや大手デパートの書店などに立ち寄るくらいのことはほとんどの生徒がしている状況だ。常識的な範囲内の日用品の買い物くらいは暗黙の了解として黙認されていたわけである。
しかし数日前に、陸上部の一年生グループが春の大会の打ち上げと称して学校帰りに飲食店に出入りしていたことが発覚したのだ。それも夜間はクラブとして「酒類」も提供している店だった。部活の顧問教師は彼らを厳しく叱責したらしい。
そしてつい先日、学校側から「下校時に寄り道はしないこと」と改めて通達があり、当分の間は近隣の繁華街を教員が交代で見回りすることになったのである。この対応には今まで普通に帰りに買い食いやデパートなどに立ち寄っていた生徒たちから困惑と不満の声が出たそうだ。
星原も近くのショッピングモールで開催されるスイーツフェアに行くのを楽しみにしていたものの用事が重なってなかなか行くことができず「今度こそは」と思っていた矢先に学校から寄り道禁止令が出されて落胆していたため、先のような発言が出たのだった。
「しかし学校帰りに制服姿で、お酒を出す店に出入りする一年生がいるとはね。やってくれるよ、本当に」
肩をすくめる僕に、彼女はため息交じりに口を開く。
「不本意だけれど、学校の対応もわからないわけではないのよね。コミュニティで一部の人間が極端な行動をとったときに、なあなあで擁護して正当化してしまうと『これくらいのことをしても良いんだ』という雰囲気が広まって集団のモラルが下がるもの」
「SNSとかでアニメや鉄道ファンが過激な発言や行動をしたときに見かける話だな。鎖の強度は一番弱いところで決まるというが、集団の民度もまた然りというわけだ」
一部の人間がマナー違反をした際、最初の対応を間違えたためにそれが当然のようにまかり通るのはまずいというのは理解できる。
「まったく、ごくまれにいる度を越した人間のせいで厳しいルールができて関係ない人間まで不便を強いられるのはやり切れないわ。……似たような話で、災害時に必需品を買占める人が現れたために『一人一個まで』みたいなルールが作られたりするのよね。それで普段から家族分の買い物をしている人間が困る羽目になる、なんていうのを聞いたことがあるけれど」
普通なら説明しなくともそういう行動がまずいというのはわかりそうなものなのに、暗黙の了解を無視して一線を越えた行動をとる人間のために、生活のハードルが上がるというのは辛いという話だろう。
僕は心の中で彼女に共感しつつ、慰めの言葉をかける。
「そうだな。まあ、あれだ。今度の休みの時にでも代わりに他のイベントにでも付き合うよ」
「あら、本当に?」
星原はここで目を輝かせて僕の顔を覗き込んだ。
ちょっとまずいことを言っただろうか。若干後悔する僕をよそに彼女は言葉を続ける。
「それなら、来週末の二十二日がショートケーキの日だから近くの喫茶店に付き合って。勿論あなたから持ち掛けたのだから奢ってくれるのよね?」
「奢るかどうかはともかく。……何で二十二日がショートケーキの日なんだ?」
「カレンダーだと上が『十五日』だから。知らないの?」
言われて僕はカレンダーの日付の配置を頭に思い浮かべる。ああ。二十二日の一週間前が十五日。つまり「
「……なるほどね」
僕が納得して頷いた、ちょうどその時。
「あ、月ノ下さーん! 星原さん!」
中庭の方から澄んだ声で僕らを呼ぶ声がした。目を向けると髪を両サイドで結んだ、つぶらな瞳の見目麗しい女子生徒が手を振りながらパタパタと近づいてくる。
「やあ、巴ちゃん」
「しばらくぶりね」
僕と星原はそれぞれに挨拶を返す。この少女は
「どうもです。あのう、急な話で何ですけど。実はお二人に相談したいことがあったのですが……」
言いながら巴ちゃんは後方に目を向けた。ふと気が付くと、そこには二人の人物が佇んでいる。
一人は眼鏡をかけた、人のよさそうな雰囲気の少年だ。体格はがっちりしていて髪を短く刈りこんでいる。ただしその表情はどこか不安げで落ち着かない様子である。そして、もう一人は丸顔にぱっちりした目をして、にこやかにこちらを見ているふくよかな風情の少女だった。
どちらもネクタイとリボンの色からして一年生のようだ。
少年の方がおずおずと巴ちゃんに尋ねる。
「なあ、日野崎。この人たちがそうなのか?」
「うん。月ノ下さんも星原さんもとても頼りになる先輩なんだよ。まえに可愛がっていた猫が行方不明になった時も見つけてくれたんだ」
「……ふうん」
彼があいまいに相槌を打ったところで、丸顔の少女が場をとりなすように朗らかに声をかける。
「まあまあ、
「ええと。巴ちゃん。そのさっき言っていた『相談』っていうのはその二人が関係しているのか?」
状況がいまいちつかめない僕は首を傾げつつ、巴ちゃんに尋ねた。
「あ、はい。そうなんです。……ほら、二人とも自己紹介して」
「はあ、どうも。一年A組の
「同じクラスの
高輪くんが軽く会釈して、三田さんが軽く手を挙げて見せた。そこで巴ちゃんが軽く咳払いをしてから僕らに向きなおる。
「実はですね。高輪くんがあるトラブルを抱えていまして」
「トラブル?」
「彼は陸上部なのですけれど、部活の先生が大事にしていた私物が盗まれたらしいのです」
その言葉に隣の星原が髪をかきあげながら「なんだか状況が込み入っているみたいね」と呟く。僕も「そうだな」と相槌を打ってから高輪くんに目を向けて口を開いた。
「とりあえず、話を詳しく聞きたいから場所を変えようか」
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