3-5

「和希はあの日、白坂先輩と会っていた」

 僕は和希と対峙していた。こうして部室に二人でいることは何度もあったけれど、大抵は彼が五月蠅いくらいに喋り続けていたから、沈黙に満たされたこの空間はすごく居心地が悪かった。

 少しずつ冬が近づいてきて、日が沈むのがどんどん早くなっていた。電気をつけていない部室は薄暗い。まだ外は夕日が残って煌々と世界を照らしていたが、目の前にいる彼の顔はまるで乱雑に塗り潰されたように真っ黒く見える。

 しばらく待ってみても、彼は口を開こうとしなかった。俯いたままの彼は表情が読み取れず、何を考えているのかわからない。僕は仕方なく自分から話を続けた。

「漫研の子が、住野さんがいなくなったあとに和希を見かけたと教えてくれたんだ。つまり君は先輩が死ぬ直前に会っていることになる」

 別に彼が先輩を殺したと思っているわけではない。彼女は自殺だ。それはもはや疑いようにもない。でも、あの日和希と先輩の間で何かがあったのは間違いなかった。住野さんと同じように、彼もそれを隠そうとしている。僕はそれが知りたかった。

「僕は知りたいんだ。先輩が自分の死にどんな物語を遺そうとしたのか。それは彼女のファンだった君も同じなんじゃない?」

 彼はこの数週間、僕と同じようにずっとあの日のことを調べていた。それは彼女の真意を知りたいと望んでいたからなはずだ。

「先輩が死んだのは僕のせいかもしれない」

 依然として彼は固まったままだったが、ゆっくりとあの日のことを語り始めた。

「住野さんと同じように、僕もあの日、白坂先輩に呼び出されていたんだ。だから設定されていた集合時間よりも前、十六時半すぎに一度部室に向かった。そして、彼女からシナリオの相談をされた」

「……シナリオの相談?」

 ――もうそろそろ卒業だから、最後の作品に取りかかろうと思うんだ。

「彼女は自分・白坂奈衣が死ぬ物語を作るつもりだと語った。登場人物は文演部。限りなく現実に近い形で『本作り』をしたいんだと言っていたよ」

 彼もまた住野さんとは少し違う形で、シナリオのネタばらしを受けていた。

「そしてそのラストに悩んでいたみたいだった。それで実際に『本作り』を始める前に、僕に相談することにしたらしい」

「でもなんで和希に……」

 和希は文演部の中で唯一、自分でシナリオを書いたことがない人間だ。相談をする上では一番不適切なように思えてしまう。

「僕も同じことを尋ねたよ。景や友利先輩の方が先輩の『本作り』への理解度も高いし適切だろうと。そうしたら、あの人はさも当然と言った顔で答えた」

 ――だって、君は私のファンだろう?

「正直動揺した。もちろん自分から言ったことはなかったし、知られる理由もないはずだった。無白無のファンであることを隠しながら、ひっそりと先輩の創作活動を観察してきたつもりだったんだ。でも、あの人は最初からそれを知っていた」

 白坂先輩は平然と他人の隠しているものを暴いてしまう。きっと他者に対する解像度の高さと驚異的な観察眼によるものなのだろう。それは残酷でもあるが、僕は一種の博愛的な心地よさを感じていた。

「ファンとして、純粋な意見を聞きたい。先輩はそう言った。僕は段々とそんな独裁者的な態度に腹が立ってきて、つい思っていたことをぶつけてしまったんだ」

 一度ここで呼吸を整えるように息を吸った。そして初めて顔を上げると、意を決したような顔で僕の目を見た。

「あなたのそれは創作でも何でもない。疑似的な自殺を繰り返して、自傷行為で承認欲求を満たすなんて幼稚すぎる。自罰的に自分を縛って悦に浸って、周囲に構ってもらえればそれでいいんですか。あなたの小説はもっと切実だった。抑えきれない衝動と向き合って、それを本気で発露しようとしたものだった。だからもっと自分に素直で、自由だった」

 まるでそこに白坂先輩がいるかのように、力強い声で言った。それは彼女を責めるというよりも、本気で嘆き悲しんでいて、代わりに苦しんでいるような口ぶりだった。文演部に入ってから、彼がずっと彼女の作品を求め続けていたことが伝わってきた。

 彼の言うことはもっともだった。白坂先輩は自分の才能の使い方を間違っていた。

でも、それは究極的に自分自身のために創作を行っていたということでもある。その意味で、彼女はとても切実に『本作り』に取り組んでいたのではないだろうか。

「僕が言い終えたあと、先輩は何も言わず静かに優しい笑みを浮かべていた。僕の言葉をすべて受け入れるような、そんな表情だった。それを見たとき、自分がどれほど身勝手なことを言ってしまったのかを理解した。でもそれ以上何も言うことができずに、そのまま逃げるように部室を出た」

 やはり彼は優しすぎるのだと思った。自分のことよりも先に、相手のことを考えてしまう。そういう意味で、彼は確かに生きづらい性格なのかもしれない。

「先輩が死んだのは僕のせいかもしれない」

 そして前置きが終わったといった風に、改めて彼は懺悔するように言う。

「あの人は、自分が『本作り』に本気であるというのを証明するために、実際に死んでみせたんじゃないかと思うんだ。僕が最後の一押しをしてしまった」

 どうやら彼はそのことを後悔していたから、自分が先輩に会っていたことを隠していたようだった。

 わかってはいたけれど、ここにも彼女が死んだ理由はなかった。

 住野さんも、和希も、友利先輩もみんな同じだ。彼女の死を勝手に自分のものにしようとしている。自分が彼女の死に関わっていると思っている。そして、その勘違いを生み出しているのは、紛れもなくこのシナリオの作者である白坂奈衣だった。彼女は僕たちを猿回しの猿に仕立て上げて、その先に一体どんな物語を見出そうとしていたのだろうか。

「和希のせいじゃない。君は彼女の死に関係ない」

 あえて切り捨てるように鋭い言葉を投げかけた。

 彼女の死を勝手に自分事にして悲しむのは、彼女への冒涜だった。彼女は誰のためでもなく、自分のために死んだのだ。自分の求める美しい死を完遂するために。それを他人の手で陳腐な形に変えられてしまうのが許せなかった。

「……そうだね。その通りだ」

 彼は今にも泣き出しそうな弱々しい声で、力なくそう呟いた。

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