第18話 焦燥する旦那様(ドニ視点)

 リザンドロ・アレバロという男は、魔術師だ。

 僕が書いた小説『今日もノワグの丘で祈りを』に出てくる猟奇的殺人者であり、最後まで救いようがない登場人物。


 どんなに執着しても、ウェンディがリザンドロに振り向くことは決してない。故に殺戮さつりくは続く。


 歪んだ恋は成就しない。

 相手を尊重しない愛は身を滅ぼす。

 決して相手を支配してはいけない。力があれば余計に。


 だからルエラと同じ、僕が作った登場人物でも、奴だけは好きになれなかった。執筆中も辛かったし、その感情が僕にもあることを気づかされたからだ。


 そう、リザンドロのウェンディに対する執着が、まさに僕が抱くルエラへの執着と変わらない事実。

 受け入れられているから、僕はリザンドロほど激しくはない……と思う。けれど、失うかもしれない、と分かったら? 我慢なんてできなかった。


「ルエラが攫われた!?」


 そんな矢先、領地にいるニクスから一報が入った。勢いよく立ち上がり、座っていた椅子が後ろに倒れる。

 僕はそんなことに目もくれず、眉間を押さえた。


 脳裏に浮かぶ赤毛の男。ルエラを捕らえ、乱暴に連れ去る光景まで見えたところで、目を開けた。それと同時に湧きあがる、殺意と憎悪。


「すぐに騎士たちを集めてくれ」

「畏まりました」


 たったそれだけで、執事のウィルソンは心得たように、一礼して執務室から出て行った。


 ここは首都にあるデーゼナー公爵邸。

 ルエラがリザンドロに攫われたのは領地だが、騎士を集めるのは首都。無駄ではないか、と思われるだろうが、そうじゃない。


 攫われた行先が首都だからだ。

『今日もノワグの丘で祈りを』でも、リザンドロはルエラを攫う。声をかけられたからと言って、その場で殺害するわけではないのだ。


 何せ、ルエラはウェンディの誕生日プレゼント。愛する者に渡すのなら、やはり綺麗な状態がベストだろう。物がどうであれ。


 だからリザンドロは、わざわざ自身の家に連れて帰る。そう、首都にある我が家に。


「すでに場所は把握済みだ」


 相手は魔術師なのだから、領地から首都まで一瞬だろう。僕が毎日、使っているのと同じで。


「とはいえ、相手の行動までは把握できない」


 僕が原作者でも、ここでは同じ世界に住む人間。どうこうできる力は持っていないのだ。


「相手がアクションを起こさなければ……」


 そう、僕には奴を捕まえるだけの権力と兵力を持っている。先ほどウィルソンに頼んだ騎士というのも、実は国の持ち物ではない。

 デーゼナー公爵家お抱えの騎士団だ。ルエラの護衛を任せたガレンツ・アーベレ卿も、そこに所属している。


 今回はリザンドロが相手だから、事前に魔術師も編成に加えるように、事前にウィルソンには伝えていた。


「リザンドロがルエラに接触してきた以上、避けられないようだからね」


 僕がルエラを早々に見つけられなかったように、見えない力……ストーリー補正というものが働いているらしい。

 自然と、執務机に置いた手に力が入る。


「だからといって、そんな簡単にやらせるとは思うなよ」


 それはリザンドロに対するものか、ストーリー補正に向けた言葉なのかは分からない。

 執務机を叩き、苛立ちをぶつける。僕は倒れたままの椅子には目もくれず、ウィルソンの後を追った。


 もう準備はできているだろう。



 ***



 それからは時間との勝負だった。


 リザンドロは『今日もノワグの丘で祈りを』で、ルエラ以外にも十数人殺害している。そんな相手に、手練れな騎士ではないアーベレ卿が敵うとは思えなかった。


 だからリザンドロが現れた時、またはルエラに何かあった時は、すぐにニクスへ連絡が行くように準備していた。

 呪術とでもいうのだろうか。糸で作られた、ミサンガのようなブレスレットを切ると、同じ物を持っている相手に伝わる、という道具を魔術師が用意してくれた。


 それにより、アーベレ卿からのSOSを受けたニクスは、すぐに『花飾りのヴェンダース書店 二号店』へ人を向かわせ、状況を確認。首都にいる弟のウィルソンに連絡した。

 というのが一連の流れだった。


 次にルエラを攫ったリザンドロだ。こちらは原作通りに動いたと仮定して、逆算する必要がある。

 まず奴がやったのは、ルエラが動けないようにすること。だが、縄で縛る行為は、ルエラの体に跡がつくため、別の方法を取るのだ。


 ルエラを殺すのに、ウェンディへのプレゼントには傷をつけたくない。……奴はすでに認識、いや価値観が崩壊していた。


 故に、ある薬品をルエラに投与する。


「ネズサ……」


 その植物の蔦から取られるという、一種の麻酔薬を。これを大量に摂取させることにより、全身麻痺させ、意識だけはある、というある意味、悪趣味な光景を引き起こすのだ。


 一応、魔術師や解毒薬は準備したが……。それよりも先に、リザンドロがルエラの体に刃物を向けていたら――……っ!


「旦那様。いえ、公爵様。大丈夫ですか?」


 共にリザンドロの家に向かう騎士団の副団長、クーロー・ベルイマンに声をかけられた。

 余程、青い顔をしていたのだろうか。ハンカチまで渡された。


「すまない、ベルイマン卿」

「いえ、奥様をご心配されるお気持ち、お察しいたします。今まで他人にご興味を抱かなかった公爵様が、奥様のために護衛や、魔術師。その手に持たれている高価な薬品だって、ご用意されたんですから」

「それでも間に合わなかったら、と思うとね」

「仕方がありません。リザンドロ・アレバロの自宅周辺に、転移魔法陣を設置することはさすがに……」


 そう、僕とベルイマン卿は、リザンドロの家まで馬車で向かっていた。周囲には、馬で移動する騎士団と魔術師たち。

 団長が馬車の中にいないのは、ひとえにそれらを統率するためだった。


「分かっているよ。転移魔法陣は高価なものだからね。それがいくら首都とはいえ、平民が暮らすところに設置するわけにはいかない。大丈夫。それくらいは弁えているよ」

「……公爵様。皆、奥様が無事であることを信じていますし、祈っております。また、それに応える準備も」

「うん、期待しているよ」


 少しでも笑顔を見せると、ベルイマン卿はホッとしたように、同じ表情を返してくれた。


「どうか無事でいてくれ、ルエラ」


 普段は神に祈らないが、この時は懸命に祈った。間に合ってくれ、と。

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