第17話 公爵夫人に迫る恐怖

「奥様はじっとしていてください」


 アーベレ卿に言われ、私はその場にしゃがみ込んだ。

 カウンターの幅は扉よりも小さく。故に、奥の部屋の扉を開けると、カウンターのテーブルにぶつかり、僅かな空間ができる。


 そう、まるで今の私にピッタリな避難所のように。これは、何かあった時のためにと、ドニが作ってくれたものだった。


 扉がちょうど壁となり、さらにしゃがみ込むことで、リザンドロの視界から消える。アーベレ卿が狭いカウンター席から飛び出した。


 私は低い姿勢のまま、ゆっくりとカウンター内を移動する。壁となっている扉とカウンターの下にも隙間があり、そこを通れば奥の部屋に入れるのだ。

 何かあった時は、そうやって奥の部屋に移動すること。ドニに言われ、アーベレ卿も知っている私の避難経路だった。


 だから、奥に入った後は扉を閉めればいい。護衛対象は足手まといになってはならない。けれど、私にはそれができなかった。


「うっ!」


 アーベレ卿の呻き声が聞こえたからだ。

 彼は私が選んだ護衛。いくら実力が伴っていても、私が怯えてはしかたがない、とドニが選択権をくれたのだ。それも首都に戻り、数日をかけて。


 アーベレ卿を選んだ理由は、ただ一つ。彼だけが、何度見てもオーラが出ていなかったのだ。

 ドニに尋ねてみると「可もなく不可もなし、な生き方をしているからじゃないかな」というよく分からない答えが返って来た。

 だが、頻繁にオーラが見える人よりかは安心できる。そんな理由だったから、実力のほどは……。


「わぁっ!」

「アーベレ卿!」


 ドニ曰く「オススメできるほどではないよ」らしい。私は思わず、立ち上がって叫んでしまった。


「奥様、早く扉を閉めてください!」


 その瞬間、勢いよく本棚にぶつかるアーベレ卿。彼が間抜けという意味ではない。リザンドロが吹き飛ばしたのだ。

 アーベレ卿は呆気なく、雪崩れてきた本で姿が見えなくなってしまった。


 私は再びアーベレ卿の名前を呼ぼうと、カウンターに手をついた。が、リザンドロによって塞がれる。

 背が高く、ひょろっとした見た目なのにも関わらず、凄い力で首を掴まれて窒息しそうだった。


「さぁ、これで邪魔者はいなくなりましたよ。私と来ていただけますよね」


 この場合、邪魔者はアーベレ卿ではなくドニである。けれど、それを言わせては貰えなかった。

 気分が高揚としているのか、リザンドロはさらに力を込める。と同時に、私の意識もさらに遠のく。


「ウェ……ディ……」


 私は僅かな力を振り絞って、リザンドロの気を引く言葉を口にした。


「えぇ、ウェンディが待っていますよ。けれど、このままではインパクトに欠けますね」


 何を、と思っていると、突然床が光り出した。


「プレゼントはプレゼントらしく、渡し易いようにしましょう」


 プ、レ、ゼ、ン、ト? そういえば、ドニが言っていた。私はウェンディの誕生日プレゼントにされるため、リザンドロに殺されるんだ、と。

 でも、ウェンディの誕生日は春。その名前のように、強い春風のような子になって欲しいと付けられたのだと、言っていた。


 今は秋だから、半年も先じゃない!


 そんな心の叫びは、意識と共に闇の中へ消えて行った。



 ***



 ウェンディの誕生日を覚えているのは、何も友達だからじゃない。初めて出会ったのが、その日だったからだ。

 そう、春の穏やかな日に行われた、ウェンディの七歳の誕生日パーティー。シェストフ男爵夫妻が可愛い一人娘に用意した、友達作りのための催し物だった。


 当時のシェストフ男爵家は、貴族になって日が浅く、人脈作りに精を出していた。しかし、いきなり公爵、侯爵、伯爵家といった由緒ある貴族には声をかけられない。

 故に、爵位が近い子爵、男爵家の年の近い令嬢が呼ばれたのだ。


 けれど私は、その時からすでに、オーラが見えることに怯えていた。

 年齢が上がり、それなりに人付き合いのノウハウが身につく前のことだ。当然といえば当然のことだった。


 だから、一切オーラが見えないウェンディには好感が持てたのだ。そう、アーベレ卿と同じ。ある意味、彼を選んだのはウェンディと同じだったからかもしれない。


 オーラが見えない人イコール、悪い人じゃない、と思い込んでいたのだろう。

 彼女は唯一、オーラが見えると言っても、私を受け入れてくれた人物だった。ドニは……先に言われたから、数に入れるのは違うと思う。


 そんな彼女の誕生日プレゼントを選ぶのなら、快く引き受けたことだろう。相手がリザンドロ・アレバロでなければ……。



 ***



 再び意識が浮上した時、私は目を見張った。実際は意識だけが目を覚ましただけで、体は微動だにしないのだ。

 まるで人形のように、動かない足、腕、胴体、首。さらには顔の筋肉までもが。故に見張ることなどできない。目が開いていても、動かせないのだから。


「おや、ようやくお目覚めですか、デーゼナー公爵夫人」


 それでも私が意識を取り戻したことに気づくリザンドロ。彼が、いや奴が私をこのようにしたからだろう。


 動かせない目では、奴の姿を確認することはできない。声の方向から足の方にいることだけは分かる。どうやら私は、横たわっているらしいのだ。

 視界の真ん中近くに、照明がぶら下がっているのが見える。オレンジ色の光ということもあって、眩しさは感じない。


 さらに意識を視界の端に向けてみると、陳列された棚があった。どれもガラス扉がついている棚。残念ながら、光に反射して中までは確認できない。

 いや、恐らくここはリザンドロの所有する一室だろうから、逆に見えない方が良かったのかもしれない。


 何せ私は、研究室のような場所で、且つテーブルよりも広い台の上で寝かされているのだ。

 本来の棚の高さを推定し、視界に映る棚と照合すると、明らかに違う高さ。床に寝かされているわけではないことは、一目瞭然だった。


 さらに相手は、私を殺す可能性の高いリザンドロだ。ドニの言葉がなくても、最後に見たリザンドロから発していた禍々しいオーラ。

 それを思い出すだけで、奴が何をしようとしているのか、簡単に想像できた。


「ちょうどこれから、ウェンディに渡すプレゼントを準備するところなんですよ。貴女なら分かりますよね。この瞬間が何よりも楽しい、ということを」


 足音と共に近づいて来るリザンドロの声。『花飾りのヴェンダース書店 二号店』で聞いた時と同じ高揚、いや、それ以上に熱狂している声だった。


「この喜びを、是非、貴女にも味わってほしい」


 リザンドロは見せつけるように、導突鋸どうつきのこを私の目前に晒した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る