第16話 対峙する公爵夫人

 ドニと寝起きを共にするようになってから一週間。あれから私は、色々なことをドニから教えてもらった。


 例えば、オーラのこと。

 薄っすらと体にまとっているオーラは、その日、良いことが起きる。悪いことが起きる暗示であって、私が大袈裟に心配するほどのものではないこと。

 逆に、体から離れるほどオーラを発していたら、幸運が舞い降りてきたか、災いが振りかかって来るか、等々。


「確かに、初めてドニに会った時、オーラが膨張して見えたわ」


 見る頻度が低いオーラだったから、思わずそっちのことまで話題を振ってしまったのよね。

 お陰でドニは私を見つけられたわけだけど。


「もしも、オーラがゆらゆらとしていて、且つ、大きなものだったら、注意するんだ。白いオーラなら問題ないけど、黒いオーラは危険だ」

「前にドニが言っていた禍々まがまがしいオーラのこと?」


 リザンドロ・アレバロが発していたという、危険なオーラ。


「うん。特に相手が奴だった場合は、絶対に話しかけない。いいね」


 念を押すように言われ、その時の私は深く頷いた。

 けれど私もドニも、あることを失念していた。それは、リザンドロを見かける機会などないこと。


 彼はやってくるのだ。私のいる『花飾りのヴェンダース書店 二号店』に……。



 ***



「ごきげんよう。デーゼナー公爵夫人」


 赤い髪の毛を後ろに束ねた、一人の男が来店した。それも、客足が一番減る昼時に。白昼堂々と。


 ここ、デーゼナー公爵領ジェスモは朝昼夕、と人の往来が激しい時間帯が決まっている。

 首都とは違い、ジェスモに仕事をしに来ている人たちが多いからだろうか。優雅に散歩したり、買い物に来たりする人たちもいるが、少ないように感じた。


 ここ、『花飾りのヴェンダース書店 二号店』もまた、領主夫人のお店、ということで、最初は賑わいを見せていた。が、心配したドニが規制を張ってしまい、気がつくと客はまばらに。


 オーラの見える私が、それを目で追ってしまい、右往左往している姿が目に余ったのだろう。

 今はそれぞれの意味を知ったから、来店するお客様や、街中を歩く人々を見ても、以前ほど怯えることはなくなった。


 目の前に立つ、赤毛の男が発するほど、禍々しいオーラではなかったからだ。


 これが、ドニが言っていたオーラ。赤毛が際立つほどの黒さと、まるで炎のように揺れる質量。

 以前の私だったら、発作を起こしそうなレベルだった。


「いらっしゃいませ」


 私は努めて笑顔で応対した。席を立ち、軽く会釈をしながら、数歩、後ろへ下がる。


「今日は、なかなか探し物が見つからないので、公爵夫人に直接聞いてみようと思って訪ねてみたんです」

「ありがとうございます。私に分かるといいんですが」


 リザンドロが探している本はここにない。それは最初にやって来た時に知ったはずだ。つまり、リザンドロが言っているのは、デーゼナー公爵領にやってきた目的。

 ウェンディ・シェストフへの貢ぎ物、と思われる“探し物”だろう。


 私はさらに後退する。カウンターの中は狭いため、すぐに後ろにある扉に背中が当たった。


「そんなご謙遜を。これは貴女でなければ答えられないものなんです。是非、お力になっていただけると有り難いのですが」

「……何をお求めなのでしょうか。それが分からない以上、お答えすること自体、難しいと思います」

「あの方の求める物。欲する物、すべてです! 貴女はあの方が心を許した、数少ない人物なのですから、これ以上の人材はいません!」


 自分に酔いしれているのか、まるで舞台俳優にでもなったかのように、両手を広げるリザンドロ。


「あの方、とは?」

「勿論、ウェンディ・シェストフ嬢ですよ」


 やっぱりと納得しかけた瞬間、背筋がゾッとした。リザンドロがウェンディの名前を口にしただけで、黒いオーラが飛散したのだ。

 けれど、リザンドロを覆う量は変わらない。


 思わず悲鳴が出そうになり、口元を手で隠す。


「……ウェンディとはしばらく会っていないし、やり取りもしていません。そんな私が分かるのでしょうか」

「急に疎遠になった貴女を、心優しいあの方が心配しないとお思いですか? 心を痛めている姿を見て、何としても元気づけて差し上げたいのです」

「……そうでしたか。ウェンディには私以外にもたくさんお友達がいるので、元気にやっていると思っていたのですが」


 明るくて活発なウェンディ。誰もが羨む美しい容姿と、滑らかな銀髪。綺麗なものしか映さない、と思えるほど純粋な青い瞳で、周りの者たちを魅了する。

 勿論、その中には私とリザンドロも含まれていた。


 だからリザンドロが、ウェンディに心酔するのも理解できる。それほど彼女は、別格の存在に見えた。

 物語のヒロインに相応し過ぎて、ドニの話を聞いた時、信憑性が増したくらいだった。


「いいえ。貴女と連絡が途絶えてから、すっかり塞ぎ込んでしまいましてね。誰ともお会いにならないのですよ」

「でも、それほどまでにウェンディの心境を理解されているのですから、貴方は会っているのでは?」

「そんな恐れ多い! あの方の目に、私が映るなど! 私はあの方の陰になり日向になり、そっと見守っているだけで十分なのです」


 それってつまり、一方的につきまとっているってこと? ドニから話を聞いていた時も変な人だと思っていたけれど、これほどまでとは。

 ううん。だからこそ、この人は躊躇わずに私を殺したんだ。ウェンディのために……。


 ウェンディの、ため? 探し物……。途絶える……。


「もしかして、探し物って私の、こと?」


 そう言った瞬間、リザンドロの表情が激変した。

 リザンドロは禍々しいオーラを発しているものの、終始穏やかな顔、口調で語りかけていた。が、今はニタリと笑いかけてくる。

 その姿はまるで、罠にかかった獲物を捕らえるあくどいハンターのように見えた。


 獲物は勿論、私。一歩一歩、私のいるカウンターへ近づいて来る。


「ようやく理解出来ましたか。さぁ、こちらへ。ウェンディが待っているんですよ。貴女が来るのを……」


 何故と聞いている余裕はなかった。私はすでにドアを背にしている。これを開けるにしても、中に入るにしても、一度は背を向けなければならない。

 カウンターは、私一人で十分な広さ。奥の部屋に入ったところで、袋のネズミだった。それでも私はゆっくりと、右に移動する。


「私はすでに夫がいる身。勝手なことはできません」


 キッと睨んだのが合図になったのか、リザンドロが私に手を伸ばす。途端、勢いよく扉が開いた。


「奥様の言う通りだ。従えない場合は、排除させていただく」


 ドニが付けてくれた私の護衛、ガレンツ・アーベレ卿が颯爽と現れた。

 そう、合図は何もリザンドロに向けたものじゃない。奥の部屋で待機していた、アーベレ卿に対するものだったのだ。

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