第9話 過保護な旦那様
物事には限度というものがある。
一つ、何のために領地に来たのか分からないことについて。
私は領主館へ帰る道中、向かいの席に座るドニに尋ねた。
「ドニは、首都に帰らないの?」
『花飾りのヴェンダース書店 二号店』が開店して一週間。
準備期間も含めて毎朝ドニは、私と共に本屋へ向かう。その後、しばらく一緒にいて、大丈夫だと判断すると、帰って行くのだ。
けれど、それで終わらないのが、ドニ・デーゼナーという人物。閉店間際になるとまた、私を迎えに来るのだ。仰々しく馬車で……。
始めは慣れない土地だし、気を遣ってくれているのだと思っていた。
治安がいいといっても、私は領主の妻。ドニ、というよりデーゼナー公爵家、または領主に対して良くない感情を抱いている者からしたら、私は格好の餌食だった。
女手一つでお店を切り盛りするだけでなく、別の危険が潜んでいるのは分かる。分かるけど、領主館から本屋までは、徒歩十五分。
目と鼻の先だ。さらにいうと、一本道なのだから迷うこともないし、何かあれば領主館の者たちだってすぐに気づく距離にあった。
外出禁止を言っていたわりに承諾するのには、何か理由があるとは思っていたけれど。まさか、こんなやり方をしてくるなんて……。
これじゃ、首都の本邸にいるのと、ほぼ同じじゃない。
「もしかして、首都の仕事もニクスと同じで、ウィルソンに丸投げしているの?」
「まさか。領地の仕事は国ではなく、デーゼナー公爵、つまり僕の管轄だけど、首都の仕事は国だ。他の誰にも任せられないものだから、無理だよ」
「だったら――……」
いつまでも領地にいるのはダメでしょう、と言おうとしたら、人差し指を私の唇に当てた。
「ルエラは、我が家がどういう家か忘れたのかい? 王家に次ぐ公爵家だよ。簡単に首都と領地を行き来できるものくらいあっても、不思議じゃないだろう?」
「まさかっ!」
「安心して、そんな特殊なものじゃないから。元々、首都の本邸と領主館に、それぞれ転移魔法陣を設置してあるんだよ。それを使えば、ものの五分であっという間、というわけさ」
私は開いた口が塞がらなかった。さすがデーゼナー公爵家と言っていいのか、どうしてこんなことも思い至らなかったなんて……。
デーゼナー公爵家ほどの財力のある家ならば、魔術師を雇って設置することなど、簡単なことじゃない。
王城には近衛騎士団の他に、魔術師団もあるほどなのだから。
「ルエラも日中、僕に用ができたらニクスに頼むといいよ。魔法陣といっても、魔石で動かせるものだから、誰でも使えるし。でも何かあるといけないから、勝手に使用しないこと、いいね」
「あっ、うん」
公爵夫人でいられるのは三年。勝手なことはするなってことよね。
沈んだ気持ちのまま返事をしたせいか、ドニが慌てて付け足す。
「首都に用があるのなら、僕も付き合うから、ね?」
「両親や友人に会いたくなっても?」
「友……人?」
「っ! ゆ、友人の一人くらい、私にだっているわ」
確かに、結婚してから会っていなかったけれど……。それは、デーゼナー公爵邸に招いていいのか分からなかったからだ。
何せ相手は子爵令嬢だった私よりも爵位が低い、男爵令嬢だ。
公爵邸の使用人たちは皆、優しく接してくれているけれど、私が公爵夫人の肩書を持っているからに他ならない。
私が彼女、ウェンディ・シェストフ男爵令嬢を呼ぶことによって、
「もしかして、ウェンディ・シェストフ……男爵令嬢?」
「え? そうだけど、どうしてドニが知っているの?」
「あっ、まぁ、それは、契約結婚を持ち掛ける際に調べた、というか……。気を悪くしたのなら謝るよ」
「ううん、平気」
その契約結婚の理由が、私を『幸せにしたい』んだから、調べるのは当たり前のこと。不快に感じることはないはずなんだけど……。
何故だろう。二人に接点はないはずなのに、ドニの口からウェンディの名前を聞きたくはなかった。
ドニの隣に、美人で明るく、誰にでも親切なウェンディが並んだら、お似合いだろうな、と思ってしまったからだろうか。内気で我が儘な私よりも。
さらに身分違いなら、薄茶色の髪をした私よりも、銀髪のウェンディの方が、まさに公爵夫人に相応しい。
青い髪という華やかな色ではないが、それを補う容姿を持つドニ。キラキラした水辺のように滑らかな銀髪を手に取る姿は、まるで物語の一場面のようだった。
「それよりも、今は念願の本屋に集中してほしいな。昔からの夢だったんだろう?」
「うん。だから、来てほしいなぁと思って……」
「気持ちは分かるけど、軌道に乗ってからでもいいんじゃないかな。安心させる意味も込めて」
安心……。確かに結婚後は、あまり連絡していなかったから、両親もウェンディも心配しているかもしれない。
だったら、余計に早く安心させるべきじゃない? とは思うものの、ドニのいうことも一理あった。
「ドニは? いつになったら安心してくれるの?」
「……分からない。今だって不安なんだ」
「私は十分、幸せにしてもらっているのに?」
「僕は与えたいんじゃない。守りたいんだ、ルエラを」
そう言ってドニは私の手を取って、口付けした。
私が領地へ行きたいと言った時、ドニは言っていた。『ルエラ。僕はただ、君を守りたい、幸せにしたいだけなんだ』と。
その意味を知ったのは、さらに一週間後のことだった。
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