第6話 不思議な旦那様

 ドニの声に、体がビクッと跳ねた。メイドを通して伝えたはずなのに、いざドニの声を聞くと怖がるなんて、情けなさ過ぎる。


 それでも、来てくれたことに喜んでしまう自分がいる。

 嫌われたと思っていたから、ここに訪ねたいという旨を聞いた時は、戸惑ったけれど、嬉しかった。


 すぐに返事をしようとしたけれど、ある問題点に気がついた。そう、昨晩泣き腫らしたこの顔だ。こんな状態では会いたくない。


「でしたら、衝立をご用意いたしましょうか」

「衝立?」

「はい。何があったのかは分かりませんし、詮索も致しませんが、話し合いは設けるべきだと思います。旦那様というよりも、奥様のために」


 目元を冷やすタオルを手渡しながら、私の専属メイドとなったエルダがアドバイスしてくれた。

 確かに、関係のない使用人たちに、心配をかけるのは本意じゃない。

 そうして今、私がいるベッドの横に衝立が置いてある。あとは、返事をするだけ。


 大きく息を吸って、気持ちを落ち着かせた。


「どうぞ」


 私が返事をし終えるのと同時に、扉が開く音がした。さらに「ルエラ」と私の名前を呼ぶ声も。


「体調が悪いって聞いたけど、大丈夫?」

「……はい」

「まだ、怒っているかい?」

「ドニは?」


 質問を質問で返すのは失礼だとは分かりつつも、聞かずにはいられなかった。けれど返って来たのは「えっ?」という驚きの声だった。

 顔が見えないから、それが純粋に驚いただけなのか、嫌悪を含んだものなのかは分からない。だから私は言葉を続けた。


「大人しくて従順な女だと思っていたんじゃない。私のこと、扱いやすいって。それなのに、我が儘で生意気なことを言ったから――……」

「僕はそんな理由で、ルエラに契約結婚を持ち掛けたわけじゃない」

「でも!」

「うん。幸せにしたい、だけじゃ、ルエラに伝わらないのは分かっている。突然そんなことを言って、契約結婚を持ち掛けたのにも関わらず、承諾してくれたんだ。僕がルエラを嫌うことはないよ」


 最もな理由だけど、また突き放されたような気がした。そうまるで、私を通して別の何かを見ているような……。

 でも、その正体は分からない。恐らく、『幸せにしたい』という言葉の中にあるのだろう。

 何故なら、その後に必ず疑問を抱くからだ。


 私がグッと堪えているのを、ドニは知っているのかしら。


 そんなことを思っていると、衝立の向こうから椅子を引く音がした。


「ルエラにとって三年間は長いかもしれないけれど、それでも僕の言うことは聞いてほしい」

「外出はダメって言っていたこと?」

「そう。それ以外のことなら、何だっていいよ。我が儘を言っても良いし、贅沢な生活だってさせてあげられる」


 まるで監禁だと思った。どうしてそこまで私にこだわるんだろう。愛情を抱いている相手ならまだしも、そうじゃないのに……。


「なら、一つだけお願いがあるの」

「なんだい?」

「外出をしない。つまり屋敷で過ごす、という括りなら、領地へ行ってみたいわ」

「領地って、デーゼナー公爵領のこと?」

「うん。私、首都から離れたことがないし、レビ子爵家には領地がないから……」


 多分、このことは知っていると思っても、口に出すと情けなくて、恥ずかしかった。それでも、首都でドニと同じ屋敷で過ごすよりかはいい。


 一緒に過ごしていたら、今度は告白まがいのことを言ってしまいそうだから。ドニはそんなことを私に求めていない。


「確かに、首都にいるよりかは安全か。でも、ここの方が図書室は充実しているよ」

「それはそうだけど……。あっ、だったら領地で本屋を開くのは?」

「えっ? 領地で?」

「うん。やっぱり、これもダメ? 実は昔から、本屋を開くのが夢だったの」


 貴族令嬢が? と思われるのが怖くて、今まで他の人に言ったことがなかったけれど。多分、ドニはバカにするようなことはしないと思った。


 案の定、すぐにドニからの返事はなく、代わりにガタンという椅子の音がした。


「……ダメじゃないけど、条件がある」


 また、条件……。


「領地に行くことも、本屋を開くことも構わない。けど、その場所は僕に選ばせてほしい。ちゃんと安全なところとか、領主館からの距離とか、無条件に許可はできないからね」

「そうね。仮にも領民にとって私は、領主の妻だもの。身分を偽ってお店を開けないわよね」

「だから、決まるまでは大人しく公爵邸にいてほしいんだ」

「えっ? 私も一緒に下見をしに行くんじゃないの?」


 もしかして、この外出もダメってこと?


「ごめん。これが僕にできる、最大限の譲歩なんだ」


 私はベッドの中に潜った。


 泣いちゃダメ。今泣いたら、ドニにバレちゃう。だからダメ、なのに……。


 涙が止まらなかった。衝立と布団を挟んでも、私のすすり泣く音が、ドニの耳にも届いたのだろう。

 突然、マットレスが軋む音がした。それと同時に感じるドニの手。


「ルエラ。僕はただ、君を守りたい、幸せにしたいだけなんだ」


 契約結婚を持ち掛けられた時から何度も聞いた言葉。泣き顔を見られたくなかったが、私はドニの方を向いた。


 すると、ドニは一瞬驚いた後、すぐにホッとした表情になった。それと同時に見える、白いオーラ。


 自分の未来は見えないけれど、ドニの未来は明るいらしい。だったら私は、それに従うべきなんじゃないかな。

 ドニが私の幸せを願ってくれているのと同じで、私だってドニに幸せになって欲しいから。


「こんなに泣かせるほど悲しませて、ごめん」


 涙に濡れた頬に触れるドニ。そんな悲しい顔を見て、私は罪悪感にさいなまれた。

 外出はダメと言っても、私の安全のために、あれこれ考えて用意してくれるとドニは言ってくれたのに。それも、私の我が儘を聞いた上で。


 私は涙を拭きながら起き上がった。すると突然、ドニに抱き締められて、頭が真っ白になった。

 結婚してから一度も、いや、結婚式ではあったけれど、それ以後はなかった抱擁。

 私たちの間に愛がないのだから、求めてはいけないと思っていたのに……。まさかドニの方から?


「絶対にルエラを守るから……」


 悲痛な声と強まる腕の力。何が彼をそこまで追い詰めるのだろう。外出禁止さえなければ、私は十分幸せだというのに。


 そっとドニの背中を優しく撫でながら、私はそう思った。

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