第5話 公爵の正体(ドニ視点)

 翌朝、朝食の時間になっても、ルエラはダイニングに姿を現さなかった。


「奥様は具合が悪いとのことで、部屋で朝食を取られるそうです」


 いつも座っている席に目をやると、新聞を持ってきた執事が報告する。


 ルエラとの結婚で、邸宅の使用人たちには、なるべく優しく、丁寧に接するように伝えていた。

 僕もルエラにそのように接しているからか、公爵邸で嫌がらせを受けている様子はない。時折、メイドと楽しそうに話している姿を見かけたほどだ。


 上手くやっているようで安堵していた。昨日までは。

 しかも、僕自身がトラブルを起こすとは、ね……。


「原因は分かっているから、医者の手配は必要ないよ」

「左様ですか……」

「その代わり、朝食後に訪ねてもいいか、聞いてくれないかな?」


 正直に言うと、ルエラの部屋の前で直接聞く勇気がなかっただけだ。


 執事は僕の言葉に、一瞬驚いた顔を見せた。今は妻だが、ほんの少し前まで子爵令嬢だったルエラの機嫌を、公爵である僕が窺うのを不思議に感じたのだろう。

 ここはそういう世界だから。


「なんでこんな面倒な設定にしたんだろう」

「旦那様。またそんな可笑しなことを。間違っても奥様の前では控えてください」

「はいはい」


 もうすでに言っているけどね。


 そう、公爵邸の使用人たちは知っている。僕が小さい頃から可笑しな言動をしていることを。彼らがルエラに対して親切に接するのもまた、それが理由だった。

 多分、使用人たちは僕が結婚するとは思っていなかったのだろう。いや、仮にしたとしても、政略結婚くらいは予想していたんじゃないかな。


「何せ僕は公爵だからね。しかも一人っ子だ」


 この世界に転生する前も一人っ子だったから、できれば兄弟がほしかったんだけど……ままならないね。

 違うな。一番ままならないのは、僕がこの世界、自分が書いた小説『今日もノワグの丘で祈りを』に転生してしまったことだ。それも、ヒロインと結ばれる役柄。


 ルエラに契約結婚を持ち掛けたのは、ストーリーを変えたかったわけじゃない。結果的に同じような状況にはなったが、理由は違う。

 僕はただ、死なせたくなかったんだ。彼女を。


 何せ『今日もノワグの丘で祈りを』は恋愛小説ではない。推理小説なのだ。

 ルエラはヒロイン、ウェンディ・シェストフの親友でもあり、最初の犠牲者だった。


 彼女が死ぬことはイコール、僕が殺したのも同然の行為。だから何としても、阻止しなければならない案件だった。


 これを理解してほしい、というのは無理があるよね、ルエラ。でも、外出は絶対にダメなんだよ。


「可笑しなことを言って、出て行かれないように気をつけるよ」

「分かってくださるのならいいです。くれぐれも奥様の機嫌を、さらに損ねるようなことはなさらないでください」

「はいはい」


 分かっているよ。この世界に転生したと知った時から、ルエラ、君を探していたんだから。放すつもりはないし、絶対に死なせもしない。

 そう、決意して僕は生きてきたんだ、『今日もノワグの丘で祈りを』の世界を。ストーリーをぶち壊すために。



 ***



 朝食を終えてから一時間後。ようやくルエラからの返事があった。


「衝立越しでいいのなら、と仰られています。如何なさいますか?」


 ルエラ付きのメイドが、怪訝な顔で僕を見る。

 声のニュアンスから、これはルエラに向けられたものではない。明らかに僕への嫌悪だ。


「構わないよ。どんな形でも、ルエラと話せるのならね」


 衝立越し、ということは、僕と顔を合わせたくない意思表示でもある。けれど対話が可能なら、望みは少なからずある、ということだ。

 加えて、ルエラの様子も大体は掴めるだろう。


 僕は早々に自室を出て、ルエラの部屋に向かった。


 貴族の屋敷といっても、ピンからキリまであるのと同じで、夫婦の部屋の位置もまた然り。

 ある屋敷では、内扉で繋がっていたり、同じ部屋を使っていたりするところもあれば。逆に別棟で過ごすほど離れている夫婦もある。


 我がデーゼナー公爵家のように、王家に次ぐ地位の爵位を持てば、政略結婚はざらだった。故にルエラの部屋は、僕の部屋からだいぶ離れた場所にある。

 そう、慣例に習って代々公爵夫人の私室を宛がったのだ。


 因みに両親はすでにいないことになっている。何せ『今日もノワグの丘で祈りを』のヒロイン、ウェンディ・シェストフはルエラよりもさらに爵位が低い、男爵令嬢。

 親友の死から始まる、多くの不可解な出来事。さらに身分違いの嫁ぎ先で両親にいびられたら……目も当てられない。いや、僕が耐えきれなかったからだ。


 廊下を歩き、ルエラの部屋の前に立つ。

 白い清潔感のある扉が、なんともルエラらしい、と思った。真面目で素直なところや、内気だけど芯の通ったところなどが特に、そう感じる。

 中の家具は多少、手を加えたけれど、扉には何もしていない。けれど、あたかも彼女のために備え付けられたように見えてならなかった。


 その扉をノックして、僕は中にいるルエラに声をかけた。


「僕だ。部屋に入ってもいいかな」

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